金魚長屋(4)

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 暗闇の中、突然の誰何に面食らった二人だが、弥三は、うろたえつつも傍らに用意してあった蓆を足先で引っ掛けて穴を隠そうとし、留吉は手燭の明かりを侍の方にさし向け、物件を影の中に沈めた。ま、頼りない二人にすれば咄嗟ながら上々の首尾である。まったく欲というものは侮れない。

「お、お侍、お許しを。け、決して怪しいモンじゃござ......う、あれれ? じ、神内さんじゃあ...」

 留吉の持つ手燭に照らし出された若い浪人は、なんとこの長屋の住人、神内善三郎であった。神内は前年の桜の頃に、ひょっこりこの長屋に越してきた二十歳過ぎの青年武士である。侍には珍しい穏やかで親しみのある性格と時に垣間見える博識もあって、長屋の住人達ともすぐに溶け込んだ。丁寧で腰の低い言葉遣いの中に、時折上方の訛りも覗いたりするのだが、その素性はいまだ誰も良くは知らないようである。

「なんと、弥三殿と留吉殿でしたか。これは驚かせて失礼いたした。こんな奥の井戸端の暗闇でゴソゴソしておられたので、てっきり盗っ人かと思い申した」
「えへへ、あたり!」
「こら留、余計なことを言うんじゃねえ!...しかし肝を冷しましたぜ、イキナリ背中の方からおっかない声が飛んで来たもんで。ふうう」
「いや、今宵、長屋の店子は五兵衛殿のお招きで皆さんお出掛けと聞いておりましたから、せめてそれがしが留守中の用心棒でもと思いましてな...」
「ええっ!大家のォ...オイラ何も聞いてないぜ!弥三兄ィ」
「俺も初耳だな。神内さん、これはいってえどういう事なんですかい?」

 神内の話によれば...こんな襤褸長屋の管理を請負っている大家の五兵衛だが、なかなか狡獪な老人で、日々世渡りにだけはマメに気を配ってきたようだ。先日、町役(町年寄)から呼びだされ、おっかなびっくりで参じたところ、町役、何やらお奉行様からお褒めの言葉とご褒美を賜ったという。その手柄には五兵衛の普段の気配りと胡麻擦りが一役買っていたというわけで、ご褒美のお裾分けにありついた。喜んだ五兵衛は店子連にも祝いの一献をと触れてまわり、今宵、長屋総出の宴へと運んだようだ。ま、吝嗇な五兵衛のことだからどうせ素麺に酒一本てなところなのだろうが。

「あの因業爺い!どうして俺と留だけが蚊帳の外なんでェ」
「いや、どうも店賃に滞りのある者は外す。一切知らせる必要もなし、と言うようなことでした」
「何でェ。皆、いつもピーピーピーピーほざいてやがるくせによ。店賃踏み倒してるのはオイラと兄ィだけてえのかい!大体が、あの遊び人の慎之介なんか、払ってやがるわけねえだろよ」
「慎之介殿は、ご実家のほうが払われているのではないかな。次男坊とは申せ本勘当されたわけでもなさそうですし、あれだけの大店ですから体面もありましょうしなあ」
「ふうん。まあ頭にゃあ来るが...しかし留、考えてみねえ。こちらにすりゃあ今宵皆さんお揃いでお呼ばれってのはかえって好都合ってもんだ。なあ、あんな因業爺いのセコい素麺酒の驕りで喜んでる連中の馬鹿面が目に浮かばぁ。」
「そ、そうだった!そうだった!ははは。オイラにゃ千両箱...」
「シャイ!、あ~、そういう事なら神内さん。長屋の留守番は俺達が帰ェったからもう大丈夫ですぜ。まったく大家も長屋の連中も、お侍に留守番をさせるたあ何てェ無礼な奴等だ。ったくご苦労様でございました。ささ神内さんも、追っかけ素麺のご相伴に駆けつけてくんなせえ。もうできるだけごゆ~っくり呑み食いされて、因業五兵衛の巾着を空っ穴にしてやっていただきゃ、こっちの気もスカーッと晴れるってもんで...なあ、留。」
「はは。ど~ぞど~ぞお呼ばれに。オイラは明日、鰻喰う」



「いや、お気遣いはありがたく存じますが、それがしはそうはいかんのです」
「神内さん。いくら下衆な町人どもとの戯れとは言え、空きっ腹にゃ変えられませんや。お若いんだし、この際お武家の見栄は止しにしといて、とりあえず喰っとくのが吉、つうもんですぜ」
「いや、しかし、そうも」
「ネェ、喰うは一時の恥、喰わぬは一生の恥ナんてェなことも...」
「その、実はそれがし、五兵衛殿にはもう半年も不調法致しておる身なモンで...」
「ありゃ、神内さんが踏み倒しの三軒目!」
「それに、それがしも素麺などよりは鰻の方をご一緒致したい。エヘン!さてもおふた方、あの蓆の下によもや蒲焼きなど隠してはおられまいのう...」

 暗がりを指す神内善三郎の温厚誠実な眸に一瞬妖しげな光が奔った。

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