ぼやテツ 最近の記事

ぼやテツVol.9は、また妄想編です。実家の亡父のアルバムから、ちょいと気になった写真を拾ってきました。下の写真であります。まあブツは乗合馬車なんで、鉄道じゃないんですが、いちおう「輪っか付き」ということで。

btwh_09_1.jpgさて、オヤジのアルバムに、なんのキャプションもなくスクラップされていたこの写真。ピンも甘くて馬車の車体に書かれた文字も読めません。しかし手がかりはこの一枚の写真に写っているものが全てであります。幸い、馬車溜まりの天蓋に架かっている看板の文字は読めます。「鳥羽 松阪 津 方面 のりば」。それとアルバムの配列からして、撮影時期は昭和30年〜35年くらいの間です。これをとっかかりにして想像を巡らせ、複合キーワードを駆使してYAHOO!り、Googleり、Bingりました。しかしBingりって、なんかイングリモングリみたいですな(笑)。検索しまくりの結果、なんとなくこの写真に写ってるモノが見えてきましたわ。

まず最初は、乗合馬車というワードをメインに、三重県の伊勢神宮周辺の公共路線交通のスジで検索したのですが、ひっかかりません。まあ明治大正ならともかくも、昭和30年ですから、鉄道・バス網も発達していますしねえ。それで、写真をよ〜く見ましたところ、どうも「鳥羽 松阪 津 方面 のりば」のカンバンは、この乗合馬車用のものではなく、鉄道か路線バスのものなんではないかと。ようするにここは駅前ロータリーなのではないかと。背景の空間もなんとなく駅の構内のような風情がただよってますしね。部分拡大↓

btw_09_2.jpgそれで検索ワードを観光馬車に変えて見たところ、それらしきモノに当たりが付いてきました。まず見つけたのが、二見浦の観光旅館のサイトです。二見浦といえば夫婦岩で有名な観光地。あたしも小学校の修学旅行は二見浦に泊りました。まあ関西の修学旅行の定番でしたからね、お伊勢詣りは。「松嶋館と二見の歩み」というページに、観光馬車の写真があり、「昭和50年代まで、二見のバスセンターから夫婦岩まで観光客を運んでいました」とのキャプションが付いてます。写真が小さくて馬車の形状はよく見えませんが、たぶんこいつでしょうね。

昭和50年代まで運行していたのであれば、あたしも見たり乗ったりしたことがあるのかもしれません。全く憶えてはいませんけれど。ほかのサイトやブログにも、「また馬と云えば伊勢市とか二見町へ行くと観光馬車があり、乗った記憶がありますが後ろの車に乗るので、馬の匂いが臭かった思い出があります(浜島町の紹介)」 、「おばあちゃんに連れられて山田上口駅から国鉄に乗り二見駅へ。そこから海水浴場までは歩いて行きます。賑わっていましたね。人々満載の観光馬車が走っていて、馬の糞が道の真ん中に所々に落ちていましたっけ(シェフの部屋)」などの記述も。どうやら写真は参宮線の二見浦駅(ふたみのうら えき/あたしら、ふたみうら と言ってたけど駅名だけは読みが「」なのね)の風景のようです。

そして、「観光、行楽の玄関口としての黄金時代は、昭和10年代であつたが、その最盛期には、駅前に人力車や馬車が常駐し、修学旅行の団体列車の入り込みも多かった/紀元2600年祭(S15)には連日団体列車が到着し、多客で賑わい、人力車2台、観光馬車5台が常駐していた(現場の素描二見浦駅)」あたりを読むにつけ、ほぼこの写真の素性が判明したのであります。

でもって、ついに決定的写真を発見!!コレ→「伊勢名物御福餅号夏をあきらめて)」←ずっと下までスクロールしてね。やった〜パチパチパチ。

こんなくだらないことして遊んでる場合じゃないんですけど...ま、妄想なんでお許しを。
btwh_08_1.jpg今回のぼやテツは、わたしの実家の最寄りの国鉄駅、奈良線の桃山駅に併設されておりました桃山貨物駅の遠望写真が一枚でてきましたので、同日撮影のC58の貨物列車とあわせて掲載することにいたします。桃山駅は、現在では電化されたJR西日本奈良線の鄙びた快速通過駅なのでありますけれど、ひと昔前は貨物駅舎と日通のターミナルを備えた、比較的立派な駅だったんであります。

なにせすぐ背後に西日本で最後に築かれた天皇陵である明治天皇陵が控えておりますゆえ、かつてはお召し列車が発着した誉れある駅なのでありまして、現在は普通しか停車しないローカル交換駅ですが、長いホーム上屋と交換設備を備えた立派な構内に、過去の栄光の名残を垣間みることができます。たしか昔は原宿駅のようなお召し専用ホームがあったように記憶しているのですが、これはわたしの勝手な思い違いかもしれませんけどね。まあ桃山駅は地元ですから、そのあたりの探求はまたの機会に。

tmss.jpgこの国鉄桃山駅については、機芸出版社発行のTM.Select(TMS選書)「鉄道模型趣味別冊 Nゲージレイアウト1号(初版発行:昭和62年)」に、『国鉄桃山駅を模型化する』という吉田晃夫さんのNゲージのレイアウトセクション製作記事が掲載されています。駅構内略図とともに、リアルなNセクションのカラー&モノクロ写真記事が8ページにわたって詳しく解説されているので、鉄模の古スジの方なら案外よくご存知の駅かもしれませんな。

鉄写ゴコロのついたわたしが、最初に蒸気機関車を撮る目的で線路際や犬走りにカメラを構えたのが、この桃山駅周辺なのでありまして、たしか昭和46年(1971)の早春3月からでした。今回掲載の写真はその昭和46年の5月3日に撮影したもので、中学一年生だったでしょうか。当時はまだハーフサイズのカメラしか持っておらず、小学生の折、親父にせがんで買ってもらった、オリンパス PEN EMというかなりのキワモノ機で(←キワモノの理由はリンク先を参照されたし)撮ってました。ハーフだけにネガが小さくてスキャン画質はひどいですけれど、まあご容赦ください。

桃山駅の京都寄り、大手筋通の斜め踏切を挟んで桃山貨物駅のヤードと駅舎がありました。その敷地が終わるところに、通称でしょうが「くろはし(黒橋?)」と呼んでいた跨線橋が架かっていて、記事冒頭の写真(↑)は橋の京都寄りの、線路が国道24号線と並走する付近で撮影したものです。桃山駅を発車したC58牽引貨物列車が桃山貨物駅の脇を通って京都方面に向かいます。C58の右側奥にチラ見えしているのが貨物駅です。結構いい風情の跨線橋でした。この、くろはしの橋脚はひょっとしたら古レール製だったのかもしれません。しかし橋上の女性、蒸機の黒煙が迫って来るのに堂々と歩いてますね。

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↑国鉄奈良線 桃山貨物駅と日本通運ヤード遠望(OLYMPUS Pen EM・F.Zuiko 35mm F2 NeopanSS)

上の写真は「くろはし」のたもとあたりから南の方を向いて撮った、桃山貨物駅の全景です。写真の左側奥に行くと大手筋の踏切と桃山駅のホームがあります。一番左の線路が奈良線の本線です。貨物専用ホームにはワムが列をなして停まってます。写真右側が日本通運の集荷ヤードと倉庫になってまして、懐かしいボンネットトラックが何台も停車してますな。普段は入換え用のスイッチャーがいたんですけど、残念ながらこの写真には写ってません。ああいう機械ももっと撮っとけばよかったと思うんだけど、その時点では普通過ぎて撮らないんですよね〜鉄分薄い所以ですわ。で、ググッてみたところ、hal_railさんのブログ「鉄道写真 撮りつづけて45年」に1976年の桃山貨物駅のカラー写真がありました。やっぱりあたしなんざとは鉄分が違いますね〜。件のスイッチャーも写ってます♪

日通ヤードの部分を拡大したのが下の写真。ペンEMはハーフサイズカメラなんで、引き伸ばしても鮮明じゃありませんけど。ボンネットトラックがたくさん停まってます。アルミ製?のトレーラー積載用楕円形タンクが3つ程見えますけど、これはたぶん清酒か醸造用アルコール用でしょうね。なにせ伏見と言えば酒処ですから造り酒屋が山ほどあります。ここから鉄道で全国に出入荷されていたようです。道路が整備された今は全部大型トレーラー輸送に置き換えられたんでしょうね。道が狭い伏見の通りに酒工場のでかいトラックが通るんで大変です。

btwh_08_3.jpg右手前に並んでいる2つの円筒形タンク(拡大トリミングでは一つ)は、たぶんカセイソーダか希硫酸用でしょうか。少し南に行った中書島に新日本理化の化学工場があるので、そこで使用されたものだと思われます。タンクの前にタキが2両停まってます。ネガが小さいので車番が不鮮明なんですが、奥の車両はタキ11204と読めるような気がします。わたしは私有貨車の形式にはとんと疎い、というかあまり興味がないんですけど、プロフェッサー吉岡氏のサイトで探すと形式タキ11200形は35トン積リン酸専用車とあります。車体にある菱形のマークは燐化学工業株式会社のものみたい。手前のタキにも企業マークが写ってますが、私有貨車の迷宮世界への深入りは止めておきます(笑)。

この1971年5月3日撮影のネガに写っていた桃山貨物駅はこの一枚だけです。貨物の取り扱いがいつ廃止されたのかはよく覚えておりませんけど、その後もしばらくは日通トラックの集荷ステーションとして使われていたようです。現在は跡地にマンションが立ち並んでしまい昔の面影はありません。ぼやテツ前回の「ムードンにて」で味を占めたGoogle ストリートビューで撮影位置に立ってみましたが、路端が邪魔で同じアングルにはなりませんでした(→)。散歩してみると、どうやら「くろはし」も味気ない橋脚なしのコンクリ橋に架け替えられてしまったみたいですね。土手の大きな樹木も伐られてありません。現況航空写真MAP(↓)の左上隅にあるのがくろはし。左半分の大きな建物のある三角形部分が桃山貨物駅跡地。右下がJR西日本の桃山駅です。桃山駅からさらに少し宇治方面に進んだところが、ぼやテツ2回目に掲載したキハ17の撮影地点です。


桃山貨物駅のボケた写真一枚で、そうとう引っぱってまいりましたけど、しんがりにC58貨物列車の写真を載せておきます。冒頭に掲載した写真の続き撮りですが。

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↑↓国鉄奈良線 稲荷(当時)〜桃山間 C58240[奈] 昭和46年5月3日撮影

btwh_08_5.jpgbtm_08_6.jpgbtm_08_7.jpg貨物を牽引しているC58240は奈良機関区(運転所)の所属。昭和46年の春にわたしが撮影した奈良線の蒸機は、C58329、C5866、C58355、C58120、C58190、そしてこのC58240の6両です。奈良線定期貨物列車の無煙化が同年9月30日でしたから、ホントつかの間の撮影期間でした。

でも、ときには天理団臨のピッカピカ12系客車を誇らしげに牽引したりもしてました。C5866は信楽線用に亀山区に回ったのでのちに再会できましたけど、翌47年の3月時点には奈良区配置のSLはD51ばかり19両あるのみ(入換用C12167一両アリ)になってしまったと思います。他の奈良線C58各機の写真はまたおいおい。

さて奈良線も電化され、複線化が進められているのですが、京都寄りに新設されたJR藤森駅で複線区間は終わり、以南は現在も単線です。この桃山駅北側は、もともと伏見城の武家屋敷が建ち並んでいた地域なので、かなり昔から民家が密集しておりました。比較的のどかな山沿いを走っている奈良線なんですが、このあたりでの複線用地取得は今後もちょっと難しいでしょうね。まあ、京阪本線、京阪宇治線、近鉄京都線、市営地下鉄烏丸線とガチンコ競合して惨敗している不遇の路線なので、今更そんなにキバる必要もないでしょう。地元を知るあたしとしてはいつまでものどかなローカル線風情のまま存続してほしいものであります。

というようなところで、今回のぼやテツはおしまいにしておきます。

本編:蒸気機関車と鉄道趣味
ぼやテツ7回目は、あたしの古鉄アーカイヴからちょっと脱線しまして、鉄関係の妄想を膨らませてみたいと思います。ずいぶん昔の話になりますけど、ど〜いうわけかあたしの鉄の琴線に触れて強烈な印象を埋め込まれた一枚の写真があったんですな。最初に見たときはまだ坊(ぼん)でしたから、誰が撮ったどこの写真なんてことは全く気にせず、ただ、戦前のヨーロッパ風の都市の家並みと、背景にかかる高いアーチ橋を走る蒸気機関車のイメージだけが、アタマに焼き込まれてしまったのであります。

長い間、再びその写真を目にすることもなかったんですが、常にその風景のイメージだけは頭の引き出しにしまい込まれていて、後に似たような構図の絵を描きかけたこともあります。そんでもって坊が野郎に成長して美大へ進んだ頃でしょうかね、この写真がハンガリー出身の著名な写真家、アンドレ・ケルテス(ケルテース・アンドル/André Kertész)の代表作のひとつ、「ムードンにて(Meudon, 1928)」(下写真)であることを知ったわけなのです。(版権があるのかもしれませんが、この写真がないと話ができないのでひとまず掲載します。問題アリの場合は指摘いただけば削除します)

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アンドレ・ケルテス Meudon, 1928




まあ写真の出自を知ったからといって特にどうともしなかったのですが、そのイメージは以前同様、頭のどこかにこだわり続けていたのでありました。ところが最近のこと、別件の検索をしているときに偶然ちらりとこの写真を見かけたので、検索作業も忘れて久しぶりにじっと写真を見つめていましたら、なんだか色々知りたくなって来たんですな。......まあケルテスの写真はおおむね好きで、いわゆるヤラセだとかの批判もありますけど、置きたい場所に置きたいものを配置して撮るのはひとつの構成手法なんだから別にいいんでないかと思います。中にはみるからに演出ヤリスギの、まるでジオラマみたいな絵になってる写真もありますけどね。このMeudonでも手前のオッサンなんか、いかにもヤラセつう感じで居てますですが......もとえ。さて、これはドコの街なのか?ドコの線路なのか?でもって橋は今もあるのか?という好奇心がね。


Andre Kertesz (Spezial Fotografie, Portfolio No. 31)

撮影年は1928年、昭和3年ですな。ムードンという名前からなんとなくフランスだろうなーとは思ってたのですが、絵柄の雰囲気はイギリスっぽい感じがしたので、ちょいとググッて見ましたところ、あなた、最近は便利ですね〜。Google Mapで一発ですわ。フランスのイル=ド=フランス地域圏、オー=ド=セーヌ県にあるパリの近郊都市で、鉄道ともいろいろ縁のあるお土地柄だそうです。で、地図の中から鉄道路線を探して、航空写真に切り替えて線路沿いをスクロールして行き、該当しそうな橋梁を探しました。でもあるのは近代的な複線や複々線の路盤ばっかりです。ちょいと諦めかけましたが、この橋の特長はアーチですんで、空撮の平面画像では橋脚の様子がわかりません。しからば、という訳でストリートビューに切り替え、ムードンの街を散歩してみましたら、ちゃんとあるじゃないですか、あのアーチ橋が。いやはやGoogle Map恐るべし。というか家にいながらこんなことできちゃうの愉しいな〜、と。


次はケルテスの撮影位置を特定しようと思い、ストリートビューが通っている橋周辺の道路をグルグル徘徊して、おおよそこのあたりが撮影地点だろうと目星をつけました。上の航空写真マップの右下へカーブしている道(ドクター・ヴィエーム通り)に面して、北に長く影をひいた茶色の屋根の建物がありますが、これが写真の左側の建物じゃないのかなあと。残念ながらこの道、ストリートビューが通ってませんので確認できませんけどね。

それから、この橋梁(ムードン高架橋またはヘレナ橋)の中央部の4つの橋脚は二重アーチになってますから、写真の橋脚は単層の東端部なんじゃないかと勘ぐるわけです。写真にはアーチを潜っている線路の築堤(建設中か?)も見えてますしね。北側に回っても地形から見てやや違うような感じだし。またこの鉄道橋、ケルテスの写真撮影当時は複線橋だったみたいですが、現在の航空写真を見ると電化複々線です。なもんで近づいて見上げたり、ズームで橋脚を細かく調べてみると、ちゃんと拡幅工事をされた追加の張り出し部も確認できるし、トンネル内も古い複線部分のみに赤レンガの内装が残っています。

この橋の由来や歴史、1928年当時の状況、写真の蒸気機関車の形式調査など、鉄チャンならまだまだ探求することは多くあるんでしょうけど、いまのあたしにゃこのあたりで時間切れ。でも2〜3時間没頭してしまいましたわ。興味とお時間のある方は、上のGoogle Mapの「大きな地図で見る」をクリックし、ストリートビューの人形をロータリー交差点の辺りに降ろして、アーチ橋をいにしえのケルテスの写真と比較しながら、のんびりムードンの街を散歩してみてくださいな。

本編:蒸気機関車と鉄道趣味
btw_06_2.jpgぼやテツ6回目は、ついでと言っちゃあ何なんですが、お年賀に掲載しました国鉄参宮線 宮川橋梁のC57牽引旅客列車の周辺写真とそのつぶやきでいっときます。撮影日は昭和47年(1972)4月3日です。冒頭に再掲したのは、参宮線の宮川〜山田上口間の宮川に架かる、明治30年(1897)竣工の古式ゆかしいトラス橋であります。

宮川橋梁の橋長は458m。旧参宮鉄道の架橋で橋桁は元々プラットトラス式だったものを昭和5年に鉄道省がダブルワーレン式に補強して、現在のX字型のトラス構造になったようです。レンガの橋脚といい鉄道橋らしい風情があっていい感じですね。上路のトラスなんで鉄道写真の撮影に非常に好ましい橋梁ですな。以前はお伊勢詣りの要路で賑わい、やんごとなき方々もたびたびお召しで通られましたから、早くから立派な鉄橋が架けられたんでしょうね。もはや現役の鉄道遺産といっていい橋です。


宮川橋梁を客車6両を牽いて渡っているのはC57形蒸気機関車ですな。現在この参宮線にはJR東海の2両編成キハ11がトコトコ走ってるようですが、当時は現車6両。まだまだ旅客も多かったと見えます。お年賀写真のコメントにはC57の車番不明と書きましたが、このコラムを書くにあたってちょっと資料を調べてみましたら、おおむねC57110[亀]だろうということが分かりました。列車は客821レ。亀山を7:21に出て伊勢市着9:01のスジです。折返し13:08発の826レとなって15:00に亀山に戻ります。ダイヤからすると、この写真の撮影時間は午前8時50分過ぎといったところでしょう。津以南のC57客レの運用は一日にこの一往復だけだったみたいです。

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↑参宮線 宮川橋梁のC57110[亀]客821レ(1972.4.3撮影/KonicaIII ヘキサノン48mm f2 NeopanSS)

切手付封筒を同封して天王寺鐵道管理局から送ってもらった、47.3.15改正のガリ版刷りのダイヤと配車表が残ってますんで、それを確認したところ、天鐵局に配置されているC57は全4両で、うち亀山機関区にはC57110、C57148、C57198の3両、あと紀伊田辺機関区に1両C577がありました。紀伊田辺のカマは紀和(信)方面への運用だし、当時すでにD51のみになってましたからC577は除外できます。余談ですが、亀山にはこの時点で入換用のC50がまだ2両も残ってたんですねえ。C50109とC50154。何で撮らんかったんやろ?


↑天賞堂HO C57一次形

さて亀山配置のC57110、C57148、C57198の3両のどれかということに絞られたわけですが、ありがたいことに、この3両のC57は全部次形が違うので特長の違いがわかりやすいんです。3両ともみんな重油タンクを背負ってますが、C57110は一次形、C57148はテンダー台車が変わった二次形、そしてC57198は窯の太い四次形です。しかしこうズラッと形違いが並ぶとは、蒸機最末期の亀山機関区はC57博物館みたいな配車だったんですねえ。

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↑上写真の一部を拡大しました。キャブが開放型ですね〜

写真に戻ります。撮影したカメラがコニカ3なので望遠もなく、引きで撮ってるので機関車の細部が判断しにくいのですが、列車が鉄橋を渡っていくぶん近づいて来た次のカットを拡大してシルエットを見てみました。C57一次形と二次形では見分けがつきにくいんですけど、幸いなことにC57148は集煙装置付きだったんでハッキリと違います。そして拡大してみるとキャブの形状が開放型、先輪もスポークっぽいんで密閉キャブの四次形C57198も外せます。つう消去法でいくと、このC57は昭和31年の六軒事故で衝突・脱線転覆ののち復活したいわく付きのカマのC57110でした...となるわけであります。

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↑国鉄参宮線 山田上口駅 駅舎と駅前広場。昭和47年(1972)4月3日撮影

車番がわかったところでC57から離れまして、この写真は山田上口駅の駅舎です。どーってことない写真ですが、丸い鋳物の郵便ポスト、クラシカルな公衆電話ボックスが懐かしい風情です。駅を出るオバサンの服装も昭和ですね〜。Wikipediaに載ってる2006年6月撮影の山田上口駅舎外観写真と比べてみると面白いです。この写真から34年が経過してますが、ポストと電話は同じ位置に更新されてますね。ソテツはずいぶん成長しました。屋根上のストーブ用煙突は撤去されてます。しかし駅舎は当時の状態を良くとどめているほうだと言っていいでしょうね。駅向こうの大きな煙突がありませんが工場だったのかな。玄関部分を拡大した一枚を下に載せておきましょう。ちなみに現在の山田上口駅は無人駅だそうであります。

btw_06_1u.jpgネガにはこのあと隣の宮川駅で撮影したD51貨物列車の入換風景がありますけど、折返しのC57牽引上り826レの写真がありません。たぶん蒸機牽引の旧客に乗って帰る楽しみの方を選んだんでしょう。親戚のあった阿漕駅まで一時間半(上りは多気で30分程停車した)ほどを汽車旅に揺られつつ喜んで帰ったのではないですかね。この前日に撮影したC57110牽引客826レの写真は本編に既出です。今回のぼやテツはこんなところにしときます。宮川駅構内のD51の写真はまたの機会に。
btw_05_1.jpgぼやテツ5回目は国鉄信楽線(現:信楽高原鐵道信楽線)のC58を載っけときます。撮影日は昭和48年(1973)2月18日です。また寒そうな日に行ってますね〜。本来なら本編の方に載せるべきなんでしょうけど、当時の信楽線の蒸機運用は一日一往復だけ。それもお昼のド真ん中のスジだったので、撮影効率が非常に悪くて写真が少ないんですわ。なもんで、当欄ぼやテツにてサラッとご覧いただくことにします。

限られた小遣いと時間を使って行くからには、どうしても本数の多い加太方面に行ってしまいますからね。しかしネガを見てみますと、この信楽線の一往復を撮影後、柘植に出て関西本線のD51を7本ほど撮影したあと、笠置〜大河原に回って薄暮にまた何本か撮ってますね。しかしバイタリティあったなあ。無煙化はこの年の10月でしたから、このときが最初で最後の信楽線の撮影となりました。

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貴生川〜雲井間の七曲に挑むC58312[亀]牽引の貨591レ。昭和48年(1973)2月18日撮影。

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33パーミルの勾配に貨車5両。C58結構頑張ってます。

この日のカマは亀山区のC58 312でした。信楽線は線路条件でデカいD51が入れなかったんでしょうね。C58は午前中に亀山から加太越えをして柘植にて草津線に入り貴生川に来ます。貴生川11:14発の貨591レとして信楽11:48着。信楽にターンテーブルが無いので、貨物の先頭に機回しして逆牽引の貨592レとなり12:06発で貴生川12:36着。草津線と加太を通って亀山に帰る運用です。当時の草津線は蒸機牽引の旅客列車が何往復か走ってたんですが、乗ったことはあるものの、沿線に降りてまで撮らなかったですね。ちょっともったいないことをしました。天王寺鉄道管理局から送ってもらったガリ版刷りのダイヤが残ってるんで当時の運用が分かるんですが、ここでは詳細は割愛しときます。

Nゲージ 蒸気機関車 C58 #2010
↑KATO Nゲージ C58


↑天賞堂 HOゲージ C58 鷹取タイプ
信楽線と言えば信楽高原鐵道の衝突事故で有名になってしまいましたけど、33パーミルの急勾配ですね。貴生川を出て大きく右にカーブし、杣川の鉄橋をわたると長い直線の線路が山を登ってゆくのが見えます。その先がいわゆる七曲と呼ばれる撮影地で、わたしもそのあたりに三脚を立てました。いまは新名神とか近江グリーンロード(R307)などが整備されたんで、風景も様変わりしているのかもしれませんが、当時は結構鬱蒼としてました。

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復路の貨592レは逆向きで急坂を転がり降りてくる。早っ!

この貴生川〜雲井間、勾配が急なので煙は期待できるものの、信楽への貨物が少ないことが多く、ヘタするとワフ一両だけてなことがよくありましたから、そのあたりは運任せ。幸い撮影当日は荷物がそこそこあったようで、C58 312が貨車5両を牽いてキバッて登ってくれました。復路は貨車3両に減ってましたけど、お尻から急勾配をコロがり降りてくるんで絵にはなりません。蒸機末期の亀山・奈良区のC58は加太越え用に集煙装置と重油タンクを載っけてますから、いまいちC58の可愛らしさが感じられなかったですねえ。

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