レトロガラクタ懐古趣味
偏故洞
トップページ シール ワッペン 広告マッチ箱 駅弁掛紙 ちらし 絵葉書 ぼや金ヤド文庫本鉄道旅写焚火


管理人が餓鬼だったころは、小遣いを貰うやいなや10円玉を握りしめて駄菓子屋へ走ったものだ。そこには今と同様、当時の子供たちに人気のキャラクターが印刷された菓子類があり、シールやバッジなどのオマケが同梱されていた。おかげで、子供のいる家庭の冷蔵庫、箪笥、また窓という窓はこれらのシールに埋め尽くされていたのである。それを未然に防ぐべく我が父親はすかさず6歳の私にスクラップブックを与えたのであった。その、父の機転が、30数年後の、このコンテンツ開始のキッカケとなったわけである。当欄はシールのみに限定せず、さまざまなジャンルのガジェット類を追加してゆく予定。
父親があわてて与えたスクラップブックは、新品ではなかった。文具店へ買いに走るあいだに、家具にシールを貼られてしまうことを懸念した父は、マッチ箱や新聞のキリヌキをコレクションしていた自分のスクラップブックの前半に用紙を追加し、表紙に「シール」とマジックで大書し、間に合わせたのである。最初私は喜んでオマケのシールを貼っていたが、どうも物足りず面白くなくなってきた。何気に後半を見るとマッチ箱が並んでいるではないか。子供ごころに、こちらのほうが何か美しいと感じ、これを完全に自分のものにするとともにマッチ箱収集癖が芽生え、自ら追加するようになったのである。


高度経済成長期、三波春夫の「世界の国からこんにちは」の余韻も醒めやらぬころ、国鉄のキャンペーン『DISCOVER→JAPAN』が若者の旅心を挑発した。折しも国鉄の近代化合理化で全国の路線から蒸気機関車が消えつつあったことと重なり、空前の激安国内旅行ブームとなった。ノーブラタンクトップにボロパンツのおねえさんが、駅舎の軒下でザコ寝していたのだ!中学から高校にかけて管理人は、蒸気機関車と「旅情?」なるものを求めて、全国の辺境を線路伝いに旅することとなった。当時「青春18きっぷ」はない。しかし「ワイド周遊券」があった。ちなみに「北海道ワイド」は20日間乗放題で学割8900円だった(京都発着)。
こちらのコンテンツは祖父のコレクションである。明治29年生まれの祖父は、昭和45年に亡くなったが、若い時分から旅好きで全国津々浦々の温泉、名所に旅したようである。没後、祖父の書棚から膨大な量の「絵ハガキ」や「観光案内」が見つかった。小学生だった管理人は、当時の日本の怪しげな風景の虜になり、こっそり手元にファイルした。しかし、しかしだ。なにせ昭和初めから戦争を挟んで30年頃までのブツである。本人に訊くすべもなく日記が残っているわけでもない。考証しようとするとタイヘンな調査が必要になる。それで当欄の開設をためらっていたのだが、ええいままよ、だ。テキトーに並べるだけ並べといてデタラメな解説でお茶を濁す。




menu
おまけシール他目次
広告マッチ箱目次
駅弁当包装紙目次
絵はがきパンフ目次

ガラクタ懐古趣味・偏故洞   (c)Copyright 2000-2016, cave. All right reserved.