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78
陽炎ノ辻―居眠り磐音 江戸双紙

陽炎ノ辻―居眠り磐音 江戸双紙 78 陽炎ノ辻―居眠り磐音 江戸双紙

佐伯泰英 著
双葉文庫
時代小説

投稿人:コダーマン ☆☆ 02.06.20
コメント:好人物の剣豪が思いがけなく魅力的。


 「居眠り磐音 江戸双紙」という副題があって、坂崎磐音(さかざきいわね)という武士を主人公にした新しいシリーズの第一作目ということになっている。ということになっているというのは、「シリーズ1」とはうたっていないから。でも、作家自身がこの主人公を温かく見守って欲しいと書いているので、続けるつもりだと思う。
 佐伯泰英は、このところ夢中に読み続けている作家。時代小説は、いま、この人の作品が読みどきだと思う。傑作の連続とはいわないが、ずっと安定して上手に楽しませてくれるのでうれしい。話の次の一手が「うまい」のである。どの小説も充分面白いから、数時間をすっかり任せることができる。

 最近、ミステリや時代小説の主人公について、負わされる人生の重荷、あるいは心の負担ということを思うようになった。
 主人公の生き方が自由奔放で、なんの陰りもないというのは読む者には気軽であっても、深みがない。人生の機微がない小説は読んでも残らない。武士なら、浪人しているとしたらそれだけでもう重荷を抱え込んでいるようなもので、「お家」から離れて自由かも知れないが、禄がないので日々の生活のことを考えないと生きていけないわけだ。また、浪人で仇持ちとなれば、生活のために必死に仕事を探しつつ、いつ仇が現れて勝負をしなければいけなくなるか、という二重の重荷を背負う。仇を追いかけて生きているとすれば、生きる糧を得ながら、逃げる仇を追って日本全国旅することになる。敵を討たない限り藩に戻ることができないし、それまで親に心配をかけ、家の存続に関わってくる。その目指す相手が自分より腕の立つ人間だったりすると、苦悩が深い。
 主人公も楽じゃない。そこに小説の味がある。
 剣の達人といっていい主人公がなんの屈託もなく悪を切る、では、できの悪いテレビ時代劇よりなお悪い。

 この話、江戸双紙とありながら、豊後の国の将来を担う青年たちが江戸での修業や勉学から帰国したところから始まる。そこで大きな事件が起きて、主人公の坂崎が、江戸に戻って一人で浪人暮らしをしなければいけないことになってしまう。ここの話を詳しく書くと、これから読む人の興味を削いでしまうことになるので、書かない。
 そのことで、主人公は、家も、近く結婚するはずだった娘もそのままにして出奔、という次第。ぼろぼろになって江戸で暮らし始めるところから読者はこの侍の魅力に惹かれていく。
 人がいい分金を稼ぐのが下手で、家賃をきちんと払って欲しい大家が色々な仕事を持ちかけてくることになる。その中にお定まりの用心棒という口がある。夜は用心棒で、それが終わったあと、朝の一時「鰻割き」という仕事も引き受ける。鰻を割く武士、これは初めてだった。
 お侍さんが鰻を割くんですかい、子供の頃鰻を釣って食べるのが日常のようなものだった、へぇ、となって鰻屋での仕事も続く。身についた子供の頃の割き方は、江戸と割き方が違うもののそれはすぐに会得して、何年も仕事をしている職人と同じように鰻割きが上手になる。なにせ剣の達人、「鰻割き」が上手な主人公である。
 一方、用心棒は「両替屋」での仕事。どう見ても、夜中にこの店を襲ってくる側の顔つき、といった無頼の武士と一緒に夜を明かさなければならない日々が続く。やがてこの無頼どもと決着を付けることになり、その背後にいる幕閣の悪と戦わなければいけなくなる…ということでお馴染みのチャンチャンバラバラが始まる。
 佐伯という作家が作り出す何人かの主人公は独特の剣術を披露するが、今度のは、副題にあるように「居眠り」してしまうような、穏やかな立ち姿、敵意や殺意がいつまでたっても本人からは出てこない、人のいい人格そのままの剣術ということになっている。凄腕を発揮するような人に見えないので、「いいご浪人さん」なのだ。
 実に屈託のない人だけに、凶暴な武士を穏やかな雰囲気の中で瞬時に切り倒してしまうのを見て、周りの人々が驚いてしまったりもする。
 しかし、一瞬の後には元の人のいいお侍に戻っているというあたりが、これまでとは違う。とはいっても、応援してくれる群像、貧乏長屋の面々、惚れてくれるちょいと粋な姉さん、知り合いになってしまう八丁堀という、時代劇になくてはならないスタイルはしっかり踏まえている。腕のすごさを認め、人の良さに惚れ込んだ両替屋が応援し始めることで、日々の貧乏とは別れることになるが、逆に事件には深く巻き込まれていくことになる。
 このあと、国に残してきた許嫁だの、藩そのものだの、幕閣の誰かと戦う、あるいは味方になるといったさらに大きな人間関係に広がっていくと思うが、まずはこの第一作が実に楽しくできているのでおすすめしたい。
 一作目を読んで、主人公が嫌いであれば読み続ける必要はないが、おお、この主人公としばらくつき合ってもいいと思うなら、やはり初めからいきさつを知って読む方がいい。ということで、まずはこれから。


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