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文庫本読書倶楽部
32
鼠たちの戦争

鼠たちの戦争/上鼠たちの戦争/下 32 鼠たちの戦争[上下]

デイヴィッド・ロビンズ 著
新潮文庫
海外ミステリ

投稿人:コダーマン ― 01.02.22
コメント:
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 理由はわからないが、このところ新潮文庫の海外物には「狙撃手」物が多い。この文庫上下もそれである。しかも、これは「嵌め物」。私のいう嵌め物というのは、小説の骨組みを「事実」で構築した作品のこと。登場人物も実在した人を登場させて、その周囲に創造上の人物が配される。日本の歴史小説の場合でいえば、関ヶ原で西軍に勝たせたら「架空小説」になってしまうが、東軍の勝ちを歴史通りにしておいてその背後でどういう物語が展開されたか創作するというようなものを嵌め物と呼んでいる。
 この『鼠たちの戦争』は、1942年スターリングラードまで迫ったドイツ軍とソ連の悲惨な攻防を枠にして、実際そこにいた狙撃手を史実に近い形で働かせ、その対抗の狙撃手をドイツ軍側に登場させている。
 軍隊の中では、一般に「狙撃手」は嫌われ者だとノンフィクションで読んだ。バラバラ銃を撃ちまくる兵士たちに較べると、一発の銃弾でほとんど間違いなく敵の兵士を、将校を、将軍を、斥候を殺して、すぐに姿を消してしまう存在が嫌われる理由がわからなかった。しかし、ひとつは、逆の立場で「向こうにそのような狙撃手がいる」と考えた場合の恐怖はどれほどのものかと思いめぐらすと、本当に怖い。また、狙撃手はその場で敵の重要な人物を倒して、すぐに移動してしまう。狙撃手は同じ場所で二発撃つことをしないのが基本。その基本に従って、移動してしまったあと、敵側からの反撃が尋常ではないのだそうだ。作戦上その場所を守るために置かれた兵士たちにとっては、その反撃が厭で厭でたまらないという。特に、敵の指揮官などを撃ち殺してしまったあとは、死にものぐるいで反撃してくるのでうんざりなのだそうだ。それと狙撃手にとって必要な人間的性格は、仲間と親しんで生きる、というのとは全く逆であることも影響しているようだ。なお、ノンフィクションで読んだことだが、銃が好きで、敵を殺すことに喜びを感じてしまうような「熱い」奴は、全く狙撃手に不向きだという。ここで、相手が現れるのを待つと決めたら二日でも三日でも動かずにいられるといったことに耐えられる、心の揺れない人間性が必要だという。
 目立たないことをよしとする狙撃手。しかし、このソ連の戦争では、主役の狙撃手の活躍を政治的に利用し、英雄に祭り上げようと現場担当の政治指導員が行動を新聞で報道し続けたのだ。
 だから英雄にはなった。事実、たった一人で、何百人ものドイツ兵、ドイツ将校を狙撃した。そして、そのやり方をかなり詳しく報道した新聞が、ドイツ軍の手に入ってしまう。なにしろ毎日の戦闘で、100m進んだ後退したという、一進一退を繰り返しているので、新聞を燃やす間もなくドイツ軍に占領された場所ではそういうことになる。
 ドイツ軍では、連日思いもかけない場所からの銃弾で確実に味方が殺されている理由がわかった。名前も、行動の様式も、さらにその名狙撃手が先生となって若い狙撃手を育て上げては戦場に送り込んでいることもわかる。そこで、ドイツ軍もドイツ全軍の中でこの男しかいないという、狙撃手をスターリングラードに派遣する。
 単に銃で確実に敵を撃つという能力ではドイツの狙撃手の方が上。しかも、新聞によってロシアの狙撃手の名前も、姿も、策の立て方も、人間性の紹介までもなされているので、その点でも有利である。しかし、ロシアの狙撃手はシベリアの大雪原で猟師をしていた男。何世代も猟師の一族として生き延びてきた者の一人で、実際に戦場で人を撃つためにはどうしなければいけないか、相手が高い能力を持っている時にどうすればいいのかという、狩人としての能力は遙かに勝っている。
 一方、ドイツの狙撃手は、ドイツの名門の生まれで、そのことによって出世し、戦場に出ることもなく大佐になっている男。自分が狙われることのない場所では無類の腕前を発揮するのだが、そうした精密機械である分戦場では本当に力を発揮できるかどうか、自分でも少し不安なところがある。しかし、ドイツ軍随一の噂を「安全な場所から」敵兵を倒してみせることで実証してしまうのである。本人も、簡単なものだと思いこむ。
 なにしろ、このドイツの狙撃手は、ソ連の狙撃手の一人を撃つときに、あえて「スコープを覗いている目を撃ち抜く」ことで、腕を見せる。本当は、こういうことをしない方がいいそうだ。スコープの直線上に、その瞬間はいるということがわかる。これは本当はまずいらしい。しかし、ドイツの狙撃手は、わざとそういうことをしていると主人公であるソ連の英雄が登場しないわけにはいかなくなると考えて、看護兵まで撃ち殺してソ連側を怒らせる。
 こうして、何十万人という兵士同士の戦場のただ中で、一発の銃弾に命を懸ける者たちの奇妙な戦いが始まる。罠を掛け合い、相手がどこから銃を撃ってくるのかを探り合う。互いに、相手さえ見えれば一発で殺せる、と自信を持っている。すでに戦況はそうした一対一の殺し合いを越えてしまっているのだが、その二人の戦いの決着がつくまでは物語が終わらない。


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