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上方落語 桂米朝コレクション2 奇想天外

上方落語 桂米朝コレクション2―奇想天外― 102 上方落語 桂米朝コレクション2 ―奇想天外―

桂 米朝 著
ちくま文庫
演芸・上方落語

投稿人:cave コダーマン追 ☆☆☆ 03.10.04
コメント:思わず音読してしまう元落研のわたしです


 上方落語復興の事実上のリーダーであり、重要無形文化財保持者〈人間国宝)でもある、桂米朝師の落語が、新しくちくま文庫に纏まった。現在(2003年10月)第8巻まで出版されているが、当欄では「シュールな大ネタ」を中心に収録した第2巻をピックアップして紹介することにした。師の落語集は以前から多数出ているのだが、今回のちくま文庫版は、噺の性格によって各巻に分類されているのが特徴である。これは読み手にとっては大変有難い編集で、とかくこの手の本では、読みたいひとつの噺のために一冊買わされてしまうことが普通なのだが、「読みたいモチベーション」に添った同系統の噺を一冊まるごと愉しめてしまう。これで「落語」を短編集のような感覚で愉しむことが可能になった。

 「落語を活字で読む」というのは、噺家の「芸」の部分がそぎ落とされてしまうように思いがちだが、これが意外に面白いし、読んでおくと高座を愉しむためにも、かなり役に立つのである。高座では意味不明のことばに、「?」と一瞬感じつつもスルーしてしまう場合がある。そういうことばが、実は大きな笑いの原点になっている場合も多々あり、その意味を「文字」で確認しておくと、「ちゃんと笑える」し、噺が「よく見えてくる」のである。そして原作者の、また編纂者(米朝師)の仕掛けや工夫も十分に読み取ることができる。これが実に面白い。本書にはおのおのの噺の冒頭に、〈口上〉と称した師の解説が添えられている。そこには噺の背景や時代考証などのポイントが語られていて、噺を愉しむための重要な前知識を与えてくれる。このあたりの巧みな構成も、「研究家」米朝師ならではのものといえる。

 本書「桂米朝コレクション2―奇想天外―」に収録されている噺を列挙すると、
「地獄八景亡者戯」「伊勢参宮神乃賑〈煮売屋〜七度狐)」「天狗裁き」「小倉船(竜宮界竜都)」「骨つり(東京落語の野ざらし)」「こぶ弁慶」「質屋蔵」「皿屋敷」「犬の目」といずれもSF味のあるシュールな大ネタであり、それだけに他の巻よりも掲載作品数が少なくなっているが、書物として「落語を読む」のには最も適当であると思ったのでここに「第2巻」をピックアップした。

 「地獄八景亡者戯」は、地獄とはどんなところか?という、死後の旅の噺である。演じれば一時間以上かかる大作だが、そのなかに絶えず笑いの要素がちりばめられているし、主人公や場面が突然変化したりするので、たっぷり愉しめる。当文庫では正味68ページが費やされている。「伊勢参宮神乃賑」も旅の噺で、高座では「煮売屋」や「七度狐」の部分が単独でかけられることが多い。喜六と清八が狐に騙されるシーンは圧巻。「天狗裁き」は、喜六が観た夢の内容を知りたがる人間が、どんどんエスカレートしてゆく「回りオチ」噺。「小倉船」は関門海峡の渡し舟の光景だが、大きなフラスコに乗って竜宮へ行くというところが奇想天外。そして「こぶ弁慶」は、大津宿の旅籠での宴会風景が一転、顔の横にできた弁慶の人面瘡とのやりとりに変化するという、ホラー噺だ。

 ちなみに他の巻のタイトルを紹介しておくと、「1巻:四季折々〈愛宕山ほか)」「3巻:愛憎模様〈崇徳院ほか)」「4巻:商売繁盛〈道具屋ほか)」「5巻:怪異霊験〈天狗さしほか)」「6巻:事件発生(らくだほか)」「7巻:芸道百般(くしゃみ講釈ほか)」「8巻:美味礼賛〈寄合酒ほか)」となっている。

 米朝師によって丹念に発掘され、慎重に復元・脚色され、時間を掛けて練り上げられてきた噺だけに、その価値と完成度は絶品である。しかしこういう「無形の文化」は、演者の死とともに葬られてしまう儚いものだ。現在では、師の録音やビデオを手本に稽古している若手噺家たちが多いと聞く。私事恐縮だが、今から30年ほど前に興った「上方落語ブーム」の折、わたしも落語研究会の末席部員として、レコードを聞いて練習をした。当時は、録音とレコードに付属していたライナーノーツの活字で憶えたのだが、振りなどは自分で想像・構想して付けるしかなく、それだけにテレビの演芸番組や高座を観る機会がたいへん貴重だった。それで本書を読んでいても、脳裏に師が演じる映像が浮かんできて、思わず声に出して読んでしまう。ビデオが普及した現在は米朝師の高座も多数記録されているので、貴重な「無形の文化」も、ある程度は後世に伝わりやすくなったのかなとも思うが、師のご長寿を切に祈りたい。

 最後に、個人的に大好きなギャグの部分を引用させていただいておしまいとしたい。

〜「地獄八景亡者戯」中、一芸あるものに極楽への特赦があり、その審査をする閻魔大王と亡者〈噺家)のやりとりの一幕〜

亡者「ヘイ、わたしは落語をやりますで」
―中略―
閻魔「誰でも笑うか」
亡者「どなたでもお笑いになります」
閻魔「長年召し使いおる鬼どもは、ついぞ笑うた顔を見たことがないが、あのような鬼でも笑うか」
亡者「何でもないこって、鬼さん、ちょっとこっちィおいで」
青鬼「何じゃい」
亡者「偉そうに言いなはんな。もうちょっと側に来なはれ、耳持ってきなはれ」
青鬼「何、うン」
亡者「……なあ」
青鬼「……ふふ」
亡者「……なあ」
青鬼「……うっふふ、うっふ、うふはあ、うわっはッはッはッ」
閻魔「鬼が笑うとるぞ、こりゃこりゃ青鬼、何がそのように可笑しい」
青鬼「うわっはっはっは、笑わんといられん、こいつ来年の話ばっかりしよりますのや」


 桂米朝コレクション コダーマン追加投稿

 このコレクションは、素晴らしい。思いがけない拾い物だった。
 上方落語を文字で読んでこんなに面白いとは思わなかった。それは、米朝さん自身が解説してくれていることと、米朝さんの落語であるということが非常に大きいように思う。「米朝さんの落語」としかいいようがない落語にできあがっている、その点も素晴らしい。
 長年東京の落語に聞き入ってきた私にとっては、関西落語の全体像を掴むというか、関西の落語の基本を踏まえるのに最適のシリーズだと思って全部揃えて読むことにした。初めは4巻の予定だったようだが、最終的に全8巻になった。これを上方落語の基礎と考えることにした。
 寄席に落語を熱心に聞きに行っていた時代、また、ホール落語を聞きにいけるような暮らしぶりの頃に、機会を捉えて米朝さんを聞くようにしていた。関東にいると上方落語をきちんと聞く機会は思いのほか少ないのだ。なにしろ寄席には出てくれないわけだからね。枝雀さんでもなかなか機会がなかったぐらいだから。だから必死の気持で、三夜連続歌舞伎座口演にいったわけだ。
 私は勝手に、米朝さんを上方落語の教科書と決めてきた。
 といって特別緊張して聞いているわけではない。落語を聞いている間は米朝さんに酔いつつただ楽しんでいた。無類に面白く、聞き終えれば感激、感動が残り、枕で語ったことを思い返せば、上方落語のアレコレがわかる。笑いの少ない落語でも面白いものは面白い。国宝級の面白さ、である。ははは。
 この本は、落語の教科書としての米朝さんがそのままが本になった感じであり楽しめるし学べる。蔵書して時折目を通すことにしようと決めた。記憶にある限りの米朝さんの口振りでこの本を読んでいく。
 関西弁を身につけていない私にしてみれば、アクセントを正しく回すことはできないにしても「落語の関西弁」を存分に味わうことができる。さらに、一つ一つの落語の前に米朝さん自身が、解説を加えてくれているのがありがたいし、興味深い。
 また、関西の人でも若い人にはもうわからなくなっている古い関西弁の解説をしてくれているし、時に噺の中に出てくる関西弁のニュアンスもかみ砕いて教えてくれる。その話のベースになっている関西の習慣なども掴むことができる。
 また、米朝さん自身がその話を演ずるについて、これは古い形のまま演じてみたとか、あるいは私の新しい演出でこういう意図があってこうした、というようなことがいちいち役に立つ。また、すでに噺が失われかけて筋も内容も消えかけていた噺を、伝聞を元にしてではあっても「再生」させて、新しく息を吹き込んだという落語ある。
 東京の落語の原型がほとんど関西から来ているということがあって、ああ、あの噺はこんな風だったかと思わせてくれもする。また、どういう風に東京に下り、どう変わっていったのかがわかる。それと、これは外れているかもしれないが、その落語がどうして東京に来なかったかも、わかるような気がする。
 これを読むと、一通りは口演でしっかり聞いておきたい気がしてしまう。そうすると本を読みながら反芻するときに頭の奥に米朝の口跡が少しは残るだろうに。自分でしっかりした文章を書ける米朝さんならではのシリーズで、落語本としては秀逸だと思う。
(コダーマン:03.10.20追加)


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