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観光案内・絵ハガキ
04
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観光案内・絵ハガキ04 組絵ハガキ『帝都復興祭記念 奉祝 花電車』
昭和5(1930)年頃 発行



奉祝 花電車 「花咲春」
帝都復興祭は昭和5年、春の3月26日に開催された。関東大震災から7年、ようやく廃墟からの再建なって、まさに「花咲春」でありましょう。万歳する男性はマネキンだろう。全体に装飾されているのは造花なのか? 筆にこってり塗り込められてもうほとんど元写真の面影なし。

奉祝 夜の花電車 「花咲春」
上の車両の夜景バージョン。昼と同じ写真を人着処理で夜化したのかと疑ったが、よ〜く見るとアングルが若干違う。レール幅などはいい加減なのに、ポールを操るワイヤの線が忠実に描かれている辺り、なにに拘って着色しているのかよくわからない。

奉祝 花電車 「聖壽萬歳」
両端部には鳳凰のレプリカか。中央に四角い部屋のようなスペースがあり、扉部に富士山を背景にした皇居が描かれているようだ。聖壽とは天皇の年齢のことで、車名の「聖壽萬歳」とは、天皇陛下のご長寿をお祈り申しあげて万歳を称えましょう!であろうか。

奉祝 夜の花電車 「聖壽萬歳」
上の車両の夜バージョン。中央の閉ざされたスペースに何があったのか気になる。額縁みたいにも見えるので、ひょっとしたら扉が開いて電動からくりなどが見える仕掛けだったのかもしれない。関係ないが「ネオンくらげ新宿花電車」なんて東映映画があったなあ。

奉祝 花電車 「天の岩戸」
こちらはお馴染の日本の神話がモチーフですな。左側の怖い顔の男がスサノオさん。右側がアマテラス嬢か。お顔が見えないのが残念。岩屋が開いて光とともに宮殿が出現したような装飾だが、このKYな洋風建物のモデルは何だろう?このイベントのスポンサー絡みなのではないかと疑ってみたりして。

奉祝 花電車 「光 輝」
車両名は「光輝」。すると真ん中にある球体は巨大ミラーボールなのだろうか。当然、回転したのだろう。こちらこそ夜のバージョンが見たい車両である。他にも「復興踊り」「復活」などという名の花電車が走行したようだ。

奉祝 花電車 宛名面
宛名面は紺1色刷。中央に…MADE IN JAPAN SEIKAIDO TOKYO…と発売元らしき名称がある。しかし、文字から点線まで全てフリーレタリングでいってまうとは…。当然活字もあっただろうに。


『帝都復興祭記念 奉祝花電車』の絵はがき。モノクロ写真に人着彩色したものを2色分解製版。ケント紙系の無光沢の厚紙に紺と金赤の2色刷である。手元にあるのは6葉で、4種類の車種のうち2種類が「夜」バージョンのイルミネーション風人着処理になっている。この2種の昼夜両方を間違い探しのようにしてじーっと見るに、違いはかなり微妙だが、当時の人着絵はがきの元写真は、ほとんど下書き線用みたいな扱いだということがよくわかる。
大正12年9月1日に発生した関東大震災の被害に対し政府は後藤新平を中心に東京復興の方針を練り計画は迅速に進められた。復興事業は7年後の昭和5(1930)年に完成。再建を祝い3月26日に『帝都復興祭』が開催された。当時の新聞紙面には「歓喜の乱舞の中に湧き立つ帝都。昨日の人出、実に二百万、素晴らしい首都の首途よ」「銀座を中心に殺人的な大群衆。電車、自動車、バスも動かばこその人の波」「闇もこげよと打ち振る提灯の海。夜景を彩る花火に相和して、延々二万人の行列」などの記事がみられ、当日の大盛況を想像することができる。
本絵はがきは、その震災復興祭でパレード運行された路面電車を題材にしたものだが、ネット上の古書店やオークションを検索してみると、同様の絵はがきが数多く発行されていたことがわかる。ここに掲載したものは2色刷り印刷だが、フルカラー(人着)のものも存在していたようで、「ケース付8枚セット」の出品が確認できた。残念ながら手元にケース(カバー)はないが、この題材、複数の版元からこぞって発売されたようである。いずれにせよ発行されたのは昭和5年だろう。


組絵ハガキ 夜の京都へ
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2008.04.24記