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観光案内・絵ハガキ
02
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観光案内・絵ハガキ02 東京地下鐵道株式会社遊覧自動車課
東京遊覧バス パンフレット2点
昭和15年(1940)頃発行

バーをスライドさせると全面を見られます
東京遊覧バス(東京遊覽乗合自動車)のパンフレットを2点。
デフォルトで表示しているのは、縦195mm、横90mmの蛇腹折、片面6ページ、アート紙の体裁で、表面がカラー刷りの遊覧経路鳥瞰図。裏面がモスグリーンとマゼンタ2色刷りの案内になっている。
もう一点は3折の簡易版で、サイズは6折とほぼ同じで上質紙を使用。表紙面のみ5色を用い、他は青と金赤の2色刷り。昭和十五年六月改正と印刷されている。(→3折版パンフレットを表示
さて、東京の遊覧バスといえば、「はとバス」が有名だが、こちらの設立は昭和23年で戦後である(→はとバスの軌跡)。掲載したパンフレットには「東京地下鉄道株式会社遊覧自動車課」とあり、当時の運営母体は、現「東京メトロ」のようだ。地下鉄は、昭和2年(1927)早川徳次の東京地下鉄道株式会社が浅草駅〜上野駅間を開業し、その後、新橋駅までの延伸と昭和13年(1938)に開業した東京高速鉄道の新橋駅〜渋谷駅間との相互直通運転(昭和14年)を経て、戦時下の政府による交通事業の統制(陸上交通事業調整法)により東京市内の乗合バス・軌道は東京市へ、地下鉄両社は1941年9月1日、新たに設立された帝都高速度交通営団に引き継がれ、平成16年4月1日、ようやく戦時色の強い「営団」という文字を外した東京地下鉄株式会社(東京メトロ)となった。
東京地下鉄道は大正3年8月開業で、路線バスには「青バス」の愛称がある。しかしこのパンフでは「黄色」に印刷されている。「黄バス」(東京環状乗合)というのもあったはずなのに、どうしてか?「遊覧バス」のみ塗色が黄色だったのだろうか?(戦前の日本にはカラーフィルムが少ないので、こういう疑問がしばしば起こる。当時のフルカラー映像資料が豊富なアメリカの豊かさにはいまさらながら驚く)昭和13年に城東電軌のバス部門を合併、昭和16年に大東京遊覧自動車と葛飾乗合自動車を合併し、のち全線が市バスに引き継がれた…と言う経緯なので、「都バス」の前身(の一部)と言ったほうが正しいのかもしれない。
パンフ裏面冒頭に「大正十四年日本で初めて許可になった帝都唯一の遊覧専門の乗合自動車です」と謳っているところをみると、大正12年の関東大震災で市電網が壊滅し、その代替として路線バス網が発達したわけだから、復興なって「遊覧」する余裕ができてきた頃合いに認可されたのであろう。
太平洋戦争開戦直前の昭和15年頃の案内ということもあり、「國策に沿ってユーランバスも木炭車に」の文字もみられるが、「教養ある婦人案内係附」「展望式高級自動車」「御心付は一切頂きません」などに、華やいだ帝都の姿も窺える。
詳細は各画像をじっくりご覧頂きたい。


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2004.11.21