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文庫本読書倶楽部
90
吉良上野介を弁護する

吉良上野介を弁護する 90 吉良上野介を弁護する

岳 真也 著
文春新書
歴史ノンフィクション

投稿人:コダーマン ☆☆☆ 03.01.12
コメント:常識をひっくり返される楽しさと、事実の面白さ。


 こういう本を読みたかった、という本だった。
 実は、毎年12月には「忠臣蔵」関連の本を読むことにして来た。もちろん、いい本が見つかれば、である。忠臣蔵(赤穂浪士)に関していい本というのは何か? 小説であれば「松の廊下から討ち入りまでの間に」何か新機軸を楽しませてくれる本であり、ノンフィクションならこれまでの研究から一歩踏み出した内容を提示してくれる本である。
 小説とノンフィクションの両方で言えることだが、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけるときに「この間の遺恨おぼえたか!」とか「日頃の恨み覚えたか!」といったことにされてきたその「恨み」が、何に対する恨みか、それに新しい解答を用意している本でないと駄目なのである。
 赤穂浪士の研究本では、今や、この恨みが何かということがわかればほとんど解決というところまで来た感がある。
 「忠臣蔵」というのも実は変なもので、本来は松の廊下刃傷(にんじょう、ですよ)事件だと思うけれど、まぁ一般的名称で忠臣蔵ということにしておこう。いわば、赤穂義士による吉良家集団殺人事件でもある。 
 この事件を「真っ当な歴史」として語る場合は、仮名手本忠臣蔵というあまりにも有名な歌舞伎によって形成された「常識」をすべて創作として省く必要がある。吉良が浅野の妻に横恋慕しただの、討ち入りの前に蕎麦屋に集まったの、赤穂の塩の製法を吉良が知りたがったのに浅野が教えなかったなど、物語として面白くするために創られた創作部分は全部捨てなければいけない。
 また、戦後世代の「常識派」が見て育った、映画やテレビドラマの忠臣蔵も一旦すべて頭から追い出さなければいけない。ベテラン俳優が猛烈に意地悪な芸を見せる吉良上野介、色白のおぼっちゃま風浅野内匠頭、アクション俳優演ずる堀部安兵衛などなど、を白紙に。
 幾多の赤穂事件関連本を読んできて、そこまではわかっている。

 さて、2003年の12月になって読んだのが、この本だった(本が店頭に並んだのは11月下旬)。忠臣蔵がいつも浅野側、というより大石たちの義挙という風に描かれるが、珍しく「被害者」吉良側からのノンフィクションなのだ。
 吉良上野介は、室町時代からの名家でいわゆる有職故実に通じ、将軍の名代として京都へ行き、禁中に上がって時の天皇に挨拶して諸々の行事をこなして帰ってくるという重要な役をこなしている人である。禁中から江戸に返礼の人間が送り込まれるときには、「接待役に任命された大名」に礼儀作法を教授する先生役を果たす。
 この時、吉良が浅野内匠頭に徹底的に意地悪をし、その恨みを晴らすために斬りかかったことになっている。事件現場松の廊下で、浅野を羽交い締めにして止めた梶川与惣兵衛の日記の記述を頼りに、「日頃の恨み」といったことになってきたのだが、その日記の記述自体がやや怪しいものだという。
 まぁ、こうしてここでその話を紹介していくのは筋が違うけれど、一般的に常識とされている「吉良のいじめ」が実は後世創られたものであり、浅野の「恨みの原因」とされることごとが、実はなかったか、当時の常識からあり得ないか、また、吉良の行動から「考えられないこと」というように、実証し、状況証拠を整えていく内容。
 なかなか面白い。
 意地悪、いじめがなかったと確かめられていくと、浅野の「恨み」が宙に浮いてしまうわけだ。
 世間の評判の変化によって、吉良は幕府にもうとまれるようになり、ついに討ち入りの日を迎えてしまった。
 赤穂浪士たちにすれば間違いなく吉良を殺すために、十分な武装をしていた。吉良の方は基本的に「恨みを覚える」わけもわからず、事件後の変化についても、ひたすら幕府のいうままに行動してきて、隠居も受け入れていた。その隠居した先で、親しい人たちと茶会を催した夜というより次の日の早朝、47人もの完全武装の殺人集団に急襲されたのだからたまらない。
 なぶり殺しであったことは、検死の記録でわかる。
 不意を襲われたから、吉良側としては華々しい戦いはなかったようにいわれている。背中に傷を負った武士がいて、恥ずかしい行為とされているが、吉良側の武士たちも寝ぼけたままで「向き合って」必死に戦ったと記録されている。「逃げるものは殺すな」というようなことを、ドラマの大石はいうが、三人ずつ組んで襲った赤穂浪士は、一対三で、陰惨に殺戮していったのだ。

 浅野は、若い頃に一度勅使饗応役をやっていて、すでに経験済み。だから何をどうすればいいかすべて知っているというわけではないとは思うものの、事件の10日前まで京都に出かけていた吉良としては、初めての人に色々教える時間がないので、前に一度やったことのある浅野を指名したのだろうとされている。
 その時点では、浅野側にもなんの「恨み」も困惑もなかったようだ。教授してもらうことに対するお礼が少ないといって、浅野をなじるような吉良ではないと様々な事象を出して説く。経済面から製塩の技法をどうこうという話が出てきて、質の高い赤穂の塩の作り方を教えてくれと吉良が頼んだのに浅野が断ったという話。これも根拠のない話だという。三州、三河では元々製塩業など行われていなかったとこの著者は調べている。
 浅野の、心の病、あるいは癇性が募ったあげくの瞬間的な行動で、あとで質問を受けたときには本人も冷静になっていて、言い逃れをしようとせずに、斬る気で斬りつけたのだと証言する。
 それでも、斬りつけた理由は明かさなかったらしい。幕府の役人が尋問したのに対して、公式の返答の中に恨みの理由がない。
 ということで、松の廊下での浅野の発言からずっとわからない事件なのだ。
 ただ、残された大石たちの行動だけがくっきり浮かび上がる。吉良のどこがいけなかったのか? いけないところがないのである。
 12月以外にやや気分が乗らないことだけがこの本のテーマの困るところ。


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