cave's books
文庫本読書倶楽部
60
ノモンハンの夏

ノモンハンの夏 60 ノモンハンの夏

半藤一利 著
文春文庫
戦争ノンフィクション

投稿人:コダーマン ☆☆☆ 01.10.15
コメント:戦後世代が、戦争を知るのに必読です。


 実に、読みでのある、弛みのない、みごとなノンフィクションだった。
 3年前か、ハードカバーで出版されたときに読みたかったのだが、私の月々の購読予算からすると高すぎたので文庫化を待っていた本である。
 どうしても、ノモンハン事件の実相を知りたかった。非常に多くの日本人がここで亡くなったということだけは知っていたが、関東軍が挑発したのか、ソ連軍が国境を越えて「無体な」攻撃をしかけてきたのかというようなことを、私は長い間知りたかったのである。それがようやくわかった。
 陸軍のエリート達が暴走して、天皇の統帥権を侵して勝手にソ連領内に入り込んで、こっぴどい反撃を受けたというのが正しい歴史のようだ。
 エリート、という言葉を使ってみて、昨今の外務省(もっと最近では、厚生省、農水省も入れた方がいい)の馬鹿どもと同じ体質がそこに流れているのがよくわかった。
 子供の頃から優秀で、もうただひたすら優秀なだけであって、優秀以外の何者でもない中のさらに上澄み連中が、戦争の時代に陸軍参謀本部に集う。頭はいいし、日本の陸軍を「俺が動かして、アジアの覇権を握りたい」と思い詰めているようなのばかりである。自分たちが優秀である世界とは別の世界があって、その世界に対して自分たちの目が全く開いていないことを、エリートは知らない。本来、エリートとはそういうものではないが。思い上がりは相手に対する謙虚さを失わせて、情報収集さえ怠ってしまうのである。
 そのエリート連中が、全ての帝国陸軍の「作戦」は参謀本部の許可が必要であり、作戦となればただ一人唯一統帥権を持つ天皇の許可を得なければ軍は動いてはいけない…という原則を、自分たちの勝手な思い入れで破って、ソ連領に攻め込んでしまう。
 まさにそれが発端であることをこの本ではじっくり探り出していた。

 まさか、日本軍側がそういう愚かな武力行使を実行すると思わないソ連と蒙古軍は、一度目の侵略行為に対しては犠牲を出さないように退却していく。
 その退却を「愚鈍なソ連軍・蒙古軍は、果敢な戦闘精神で強く出れば一蹴できる」と、お馴染みの、あきれるほどの馬鹿な「精神力」の勝利にしてしまう。この、相手を見くびり、精神力で戦争に勝てるという徹底的に愚かな思いはあの戦争の間中、特に陸軍の軍人の精神的基盤で、それは、蒙古襲来の時代から変わらぬ分析力の無さ、情報不足に根付いているように思う。
 日露戦争に勝ったことを拡大解釈して、あわや負けそうだったことなど分析していない。あれは愚かな戦争だったと、私は思っている。江戸時代に育った人が最初の近代戦争を体験し、ただただ人海戦術で戦うしか方法を知らなかった陸軍など、愚策の山だった。あまりの犠牲者の多さに、申し訳なくて乃木は自決しようとしたんですぜ。かわりに三人の息子を戦死させてしまった。
 とにかく、革命後のソ連の状況を全く把握していない。敵の実力を全然知ろうとしていない。その上で、ソ連と蒙古が国境と決め、以前に日本も同意している国境線を、関東軍が勝手に動かすようなことをして、「敵」がこちらの領地に入り込んでいるという言いがかりで攻撃をしかけてしまう。真実、はっきり言いがかりで、進めるだけ進んだところで講和に持ち込んで国土を広げてしまおう、それが日本にとって良くないわけはない、と、これまた勝手な「作戦」を立案して、実施に移そうとする。参謀本部の許可をもらわなければいけない範囲の「戦争」ではなく、ちょっとした「戦闘」なのだから関東軍の一存でいいのだと言い張る。こういうことが20年の8月15日以降のソ連の進軍の背景になっているのではないか。
 この間、参謀本部の、関東軍跳ねっ返りに対する優柔不断が、すぐに意見の届かない大陸にいる関東軍を増長させてしまう。関東軍は「現場を知らない参謀本部の腰抜けが何をいうか!」と暴言を吐き続け、参謀本部はそれをとどめることをためらう。きっちり物を言える人間を繰り込み、実際関東軍を煽動しているのが誰なのか調べれば、策はあろうという事態だったことがこの本からは読み取れる。そうすれば、無駄死にがなかったはずである。
 この間一貫して、天皇は「戦争をするな、拡大するな、国境を侵すな」と侍従に言い続けている。これだけは明確にしておいた方がいいと思う。しかし、侍従や陸軍上層部はそれを明確に現場、まぁ、参謀本部だろう、そこに伝えていないのである。いつの時代も、明確な指針を持たない我々の国である。
 さらに、ソ連が国際的な状況の中で日本をどう扱うべきかと苦慮していることを認識していない。革命が終わって、帝政ロシアは急激に「ソ連」に変貌しつつある。その変貌している時期にモスクワ大使館に赴任していた「優秀な軍人」も関東軍にいるのだが、革命のあとのソ連軍が体制を整え、軍備を整え、訓練も次第に行き届き、しかも日露戦争の敗北以来武器や戦略の研究に熱心だったことを観察もしていなし、感じ取ってもいないのだ。国家としても社会主義国として整備されていることに気づかない。
 こうして、ただ向こう意気の強さだけで「戦争」を仕掛け、それに全く責任感を感じないエリート将校達のせいで膨大な数の兵士が死んでいく。命令を下された将校達も多く死ぬ。どんなに無惨な状況でも退却を許さず、そこで死ねという、日本軍のありようも犠牲を増やす一方。命令して、命令通りにいかないと、なぜできないか分析しないで、それは精神力が不足しているからだ、と、徹底的に愚かなエリートたちである。

 ソ連は、西部方面では「英仏」に味方してドイツと戦うか、その戦争を避けてドイツと講和条約を結んで、とりあえず不要になった武器を東に廻して日本を一度は叩いておくかという、国際状況をにらんでの策を徹底して練っている。世界情勢がどうなるかを必死に読んで、その中でソ連はどういう位置を占めるべきか、占めたいかを深く考えて外交交渉と戦争の両刀遣いで生き抜こうとしている。
 知らぬが仏、である。
 ソ連の戦車、下側に潜り込まれて爆弾を仕掛けられるとすぐ破壊される戦車も、その日本軍一つ覚えの攻撃を防ぐことができるように改造が終わっている。戦車の鋼板も厚くなり、速度も上がっている。日本軍はそのことを知らない。しかも、たびたびちょっかいを出して来る日本に対して一度は徹底的に打撃を与えておかなければいけないと、大軍を集結させている。そのことも知らない、日本。偵察も真面目にやらない。

 弾薬も少なく、部隊の数も揃っていない。食糧も不足気味。戦線の伸びに、補給線が追いついていないのである。それを「二日間でここまで行って、ここを確保する」と地図上で夢物語を描いている日本。
 戦闘が始まってみれば、ただただ無惨である。勝てる要素がないのだ。ノモンハンの平原のあちこちにバラバラになった部隊が、次々に殺されていく。何も展望を持てない戦争で兵士は疲弊し、猛攻にさらされていながら退却を許されず、果てていく。
 こうして、何も成果をもたらさないエリートたちの思い上がりのせいで、膨大な数の日本兵が平原に果てた。本来責任をとって罷免されたり、閑職に廻されたりするはずの将校達は、一時別に廻されはするが、責任はとっていない。別の場所で、同じような精神論をぶち揚げて、多くの兵士を殺している。
 その人々が戦後も生き延びて、ほらを吹いていた。
 この著者そこまで、私の感想のようにいきり立つことなく、徹底して冷静に事実を積み重ねてノモンハンの夏を書き尽くしている。戦後世代には、いつか読んで欲しい一冊である。


文庫本読書倶楽部 (c)Copyright "cave" All right reserved.(著作の権利は各投稿者に帰属します)