cave's books
文庫本読書倶楽部
132
芭蕉俳文集・上

芭蕉俳文集・上
132 芭蕉俳文集・上

松尾芭蕉/堀切 実 編注
岩波文庫
随筆

投稿人:コダーマン ― 06.05.07
コメント:面白い人には、無類に面白い


 上下二冊の本なので、下巻が出てからまとめて書いた方がいいのだろうが、面白いので早く紹介したい。
 この本でいう「俳文」は、俳諧趣味、俳諧的な気分でちょっと洒落たというか、ははぁそういう感じで書いたわけだと思わせるシャラリとした文章。
しかし、書いている人が芭蕉ですからね。時に、ある文章の形式を真似たり、読み手に古典の素養を期待していたり、あるいはひけらかしているように見えたり、西行への憧れがあふれたりといった短い文章である。もう自在に言葉を操って楽しませてくれる。古典の素養のない私には、ははぁ、こういう言葉は出てこないよなぁ、というところが多い。
 最後に俳句があって、その前書きになっている短文もある。以下、引用。

 「むざんやな」の詞書
 加賀の小松と云処、多田の神社の宝物として、実盛が菊から草のかぶと、同じく錦のきれ有り。遠き事ながらまのあたりに憐におぼえて、
 むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉 (猿蓑) 

 こうして、本の中から俳文を丸々引いてみればわかりやすいと思う。
 すべてがこういう風ではないが、旅関連の俳文はこんな風に「どこに至って、何を見て、どんな風に思った時に、こういう俳句を詠んだ」ということが多い。異本が多くある場合は、どの本ではこうなっているとか、最初の本と後の本では俳句が推敲されているというような編集もなされている。

 私は、親しい人たちと俳句を遊んでいるので、俳句に非常に興味を持っている。私自身は、ヘボな句しかできない。私なりに勉強は続けているので、すぐれた俳句を読んで感激することはできるようになってきた。しかしそれと自分でもいい句が詠めるかどうかというのは別のことで、いい句を詠む力は備わっていない。その分、ずっと精進していこうとは思っている。時間をかけて習ったり、誰かの弟子になる気はない。巧くなれるなら、素人として巧いレベルで十分。なまじ俳句が巧くなってどうする? と思っている。いや、逆か、いくら俳句が巧くなったとしても、素人であるべきだ、と私は思っている。ヘボな句を詠む自由、これが私には大切なのだ。
 
 さて。人生観、世界観、旅についての俳文が納まったこの文庫。
 旅は奥の細道その他芭蕉が歩いた日本各地での文章だが、憧れの歌人西行に思いを馳せていることが多く、どこかに行き着いてその地に立ったときには、かの西行はこう歌ったと感慨に耽ることが多い。そういう風に自分自身旅をしつつ、旅の先人である西行に憧れ続ける姿が、孤高の人のように思われがちな芭蕉のほのぼのするところである。芭蕉に憧れる人を多く作った本人が、ずっと西行に憧れていた、というのが面白い。

 その一方、風景描写に出てくる古典の素養の深さ、漢文の表現を身につけていることの深さに感心する。ああ、私には漢詩からこうして引用して風景を描くことはできない、と思う。芭蕉の時代に教養人が身につけていた「中国や日本の古典」は幅広く、深い。当時の文化人の基本なのかどうかはわからないが、中国の古典の素養というのは身につけているとどんなにいいか。それと内外の古典文学に通じていたらもっと自分の文章に筋が通るかも知れない。

 「松島の賦」では、松島は扶桑第一の好風にして、凡(およそ)洞庭・西湖に恥じず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。
 というよく知られる文章があるのだけれど、こんな言葉は私ではとうていスラスラと出てこない。必ずしも書きたいわけではないけれど、日本を旅したときに中国の古典から引いて「かの詩人がいったように」といいつつ、ちょっと自分の文章に挟むことができたらうれしい気がする。中身が薄いからそう思う。
 とにかく、芭蕉ぐらいだと、古典からの引用が自在であり、自分の中から出てくる文章が秀逸であり深さと軽妙さが同居していて、当たり前だが「こうは書けない」と思う。

 ただ、いうところの俳文というのはこういう文章をいうのだと理解して、一見読み慣れない江戸の文章を、ゆっくりでもしっかり読んでみるとなかなかいいのである。
 しっかり推敲して一応完成させた文章と、訪ねた先で「先生何か一筆残していただけませんか」てなことをいわれて(だろう)、先に仕上げた文章の簡略形をそこの人に残したものなどがある。あるいはその逆で、ちょっと思いついて書いた文が先にあって、しっかり書き込むといいかも知れないと筆を入れたのだろう、同じ内容でも後にまとめて仕上げたものもある。
 解説、注付きのこういう本を読み慣れない人には鬱陶しいかもしれないけれど、俳文と芭蕉が何を思って旅をしたか、どういう暮らしをするのが理想だったかがよくわかる。大人にはなかなか面白い本だと思う。

 日本の古典を読まなくなった時代なので、この程度の文章も読まれないかもしれないが、俳句に興味のある人だったら読んでみて欲しい。


文庫本読書倶楽部 (c)Copyright " cave" All right reserved.(著作の権利は各投稿者に帰属します)