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文庫本読書倶楽部
131
おすず - 信太郎人情始末帖

おすず
131 おすず - 信太郎人情始末帖

杉本章子 著
文春文庫
時代小説・人情捕物

投稿人:コダーマン ☆☆☆ 06.05.03
コメント:しっとり楽しめる


 時代小説から引き上げようと思っている。
 面白いけれど、それだけの小説が多い。多すぎる。娯楽小説としての時代小説はそういう目的なのだからそれを悪いといっているのではない。ただし、そればかり読んでいると、ああ面白かった、というばかりであとに何も残らない娯楽の時間が過ぎて行くばかりで空しい。本を読み終えてから、一つでいいから他の人に「この間読んだ本がなかなか面白くてね、それは…」と少しは話ができるような小説を読みたい。
 何が心に残るかは読み手によって違うだろうが、ほぼテレビの一時間ドラマのように、手順が読めてしまうような展開のものはもういい。人情もの、捕物、長屋に住むやたらと剣術のできる浪人などなど、もういい。また、大名の次男坊で、いわゆる部屋住みの若者が家を出て市井に住んで悪を懲らしめるのももういい。そういう風に思ったわけだ。
 ただし、時にしっとり楽しめる小説だけはじっと読んでいこうと思って、これまでに手をつけていないシリーズを当たってみて、この『おすず』にぶつかった。
 「信太郎人情始末帖」という連作もの。
 あれ、この主人公知らないなぁ、と思って手に取ったのが、文庫の二冊目。二冊あるということは、いうまでもなく「最低二冊」楽しめるということだ。文庫の前にハードカバーで出ているはずだから、ある程度売れて人気の連作ものと、読む。しばらく思いを巡らしてから、いつもの書店で第一作を注文した。それがこれである。連作が何本か入っていて、読み終えたあと、あの話はよかったなぁ、と思える話が一つでも二つでも入っていればいい。その「一つ、二つ」が無い文庫本が多くなってしまった。だから「時代小説から引き上げようと」思ったのだ。

 さて、私は、時代小説でも海外のミステリーでも、連作ものの主人公について、どういう重荷を背負わされているかにとても興味を持っている。
 女であるがゆえに警察組織の中で苦悩する主人公、アメリカでも男尊女卑はある。有能だが過去に大きな失態をして常にそれを言い募る上司に悩まされる刑事。アル中「アルコール依存症」から抜け出ようと苦悩しつつ仕事に熱中する刑事。家庭に問題を抱えたまま仕事では大きな責任を負っている警部。現代の情報戦に巻き込まれながら、自分の人生の展望がお先真っ暗な情報部員。疾走した妻を捜し続けながら勤務する警察官。罠にはめられて組織を追い出されて私立探偵をしている元警察官。
 日本の時代小説にしても、主人公は「なんの屈託もなく」暮らせるようには設定されていない。作家というのは、主人公が嫌いなのだろうかと思ってしまいかねないほどだ。
 で、この『おすず』は「信太郎人情始末帖」の第一作目の題で、文庫一冊目の題でもある。昨日今日の読み手ではない私だから、主人公の信太郎と何らかの関係があって、そのまま二人はいい関係を保つことができない設定か、と予想した。
 ふふん、半分当たり。おすずは信太郎の許嫁だったのだが、一緒になる話が進んでから、信太郎は子持ちの後家に惚れて、結婚話は破談。大店の総領息子である信太郎は勘当されてしまう。信太郎は歌舞伎の裏側に生活の糧を求める暮らしを続けつつ、「おすずに悪いことをしてしまった」と悔いている。単に別れてしまっただけでなく、思いがけないことが起きてしまい、信太郎は深く悔いることになっていく。しかも、後家との関係は続いていて、時にそのことで周囲からなじられることもある。勘当された実家の父の具合が悪いと、信太郎が呼ばれることもあるが、結局父の枕元で親戚中から責められるようなことになる。
 こういう重荷をじっと背負いながら、周辺に起こる「事件」を推理して解決に導く。そうそう自由が利く身の上ではないので、推理しては休めるときに自分で動いてみるとか、知り合いの十手持ちに話してみる、あるいはその岡っ引きに手札を渡している同心が興味を持ってくれるというような具合で犯人の捕縛につながる。そういう展開。
 主人公が、江戸歌舞伎の表舞台ではない場所で仕事をしていて、そのことで歌舞伎の春秋が背景になっている。これが、興味を引く。外の世界とは別の身分制度があって、そこには元武士だの元若旦那だの、座付きの作者だの、衣装関連、また芝居ごとに出資する者だの多種多様な人間が登場する。主人公が大店の息子であることを知っている、おすずとの顛末を知っている、後家との仲を知っている、厭な奴も徐々に心を開く者もいる。一作目から五作目まで、読む方は徐々に信太郎という男に慣れ、彼の環境について知るようになり、安心して読めるようになる。
 で、この信太郎と長くつき合ってもいいなと思ったわけだ。連作小説ではあるが、五つの章立てをした長い小説とも思える滑らかさで、たっぷり楽しめた。
 杉本章子という作家は、作品がベタベタしたところのない魅力的な作家なので、その点は安心。ということで、読み終えて二冊目の文庫を買った。
 信太郎とおすず、その後の関係については、本の紹介のルールからして書けない。


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