cave's books
文庫本読書倶楽部
122
西遊記(一)

西遊記(一) 122 西遊記 全十冊(一)
中野美代子 訳
岩波文庫
伝奇小説(東洋古典)

投稿人:コダーマン ☆☆☆ 05.01.31
コメント:これは、読んでおく本でしょう


 今さら西遊記を紹介するというのは、なんだ? と、思うと思う。
 2005年1月の岩波文庫の新刊として、『西遊記・一』が出た。
 実は、岩波文庫の『西遊記』は、全一〇巻で、もう全部出ている。私は、全巻持ってはいるけれど、全部は読んでいなくて、七巻あたりで休んでいる状態。

 すでに全巻出ているのに、新刊の『西遊記・一』が出たにはわけがある。
 20年ぐらい前に岩波文庫が、西遊記を全巻出す、訳者も中国文学では第一人者といわれる方が担当するということで出始めたので、買い始めた。「孫悟空」などという抄訳や、子供用のお話にしてしまったものはあるが、全巻をきっちり訳していくというので読み出した。これが面白いのなんの。ああ、こういう風にできていた話か、と、いちいち感心するところが多く。あの三蔵法師が乗る馬の素晴らしさを、白髪三千丈的にほめあげる言葉の多彩さ、また、三蔵法師がインドに行ってもらって帰るつもりのお経の一覧など、非常に興味深い伝奇小説なのだ。大人がじっくり読むに値する。

 「その馬の素晴らしさといったら」それは、こういう風である、と、延々漢語の表現を連ねて誉めあげるのである。確かそういうところがあったはず。そういう部分も実に面白い。この文庫の『西遊記』を読むまで、三蔵が受け取りに行くお経の一覧表が載っているとは知らなかった。そういう部分部分にちょっとした楽しみがある。
 そんなことは今さら言うまでもないのだが。

 孫悟空が三蔵法師と出合うまでにけっこう間があるとか、猪八戒や沙悟浄が喜劇仕立てのテレビ・西遊記ほど間が抜けてはいないというような、そうだよなと思わせる物語でもある。
 そうして、一から三までトントンと出た。トントンと読んだ。そこで、翻訳していた方が亡くなった。四巻目が出ない。さぁ、どうする。全巻読む気ではいたので、その後毎月毎月岩波文庫の新刊を気にしていたが出ない。そして、その「三から四まで」の間が6年空いてしまったのだ。
 読む意欲が切れてしまった。長編小説の途中で6年間もの時間が空くと、だれるより、読む気が失せるのだ。それでも私は途中までになるのが厭やで、再開してから読み続けたのだが、先に書いた通り全巻を読み通してはいない。読む気で揃えてはある。
 それで、今回の新刊は、まず今になっては「旧版の」一から三までを、中野美代子という人の訳で揃えてしまうことと、さらに四から一〇までに手を入れて全体の調子を整える、というようなことをするらしい。

 で、私は、この新しい『西遊記』を買うべきか否かと悩んでいるのです。
 一番安上がりなのは、この新版の『西遊記』が出るリズムに合わせて、新刊を買ったつもりになって蔵書の『西遊記』を、今度こそ読み通すことである。
 新しい方の第一巻をパラパラと見たら、この何十年間に『西遊記』の研究が進んでその結果を盛り込むこともできたというようなことが書いてあった。私の勝手な想像では、シルクロードの研究などが進んだり、中国からインドまでの古い時代のことを調査した結果の新発見があったり、そうしたことが新訳の『西遊記』には反映されているのだろうと思う。想像ですけれど。
 そうなると、俄然「旧版」と比較して読んでみたくなる。そのためにはもう一回一〇冊買うことになるが、それは無理だ。オアシがない。やはり、持っている本を読むことにするか。
 『西遊記』もそうだけれど、有名なところでは『ガリバー旅行記』や、『ほら吹き男爵』のほら話など、ちゃんと読んでいないことが多い。子供向けの「お話」にしたものは子どもの頃読んでいても、大人になると相手にしなかったりする。しかし、大体は大人向けの本で、伝奇であり、皮肉であり、夢想譚でありと大人が読んで面白いようにできている。ということで『西遊記』はどうしても一度はしっかり読み通しておきたい本なのだ。

 文庫本を一〇冊、最近では読む力が落ちた。読解力がというより、読むエネルギーそのものがやや足りなくなってきた。集中できないことがあっても、それは「私は」本がつまらないせいだとしてしまうので、気にしないが、持続して一つの物語を読み通す力量が減ってきた気はする。
 だから、岩波文庫で『西遊記』が出る速度にあわせてポツリポツリと読んでいくのがいいような気がしている。ちゃんとした『西遊記』、読んでみる機会です。なんだか岩波文庫の回し者みたいだなぁ。そうではないんですよ。


文庫本読書倶楽部 (c)Copyright "cave" All right reserved.(著作の権利は各投稿者に帰属します)