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文庫本読書倶楽部
07
明治のおもかげ

明治のおもかげ 07 明治のおもかげ

鶯亭金升 著
岩波文庫


投稿人:コダーマン ― 00.07.07
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 著者の名前を見ていただきたい。鶯亭金升「おうていきんしょう」と読む、会って来ましょう、を芸人風に発音しているといったところ。明治とともに生まれて昭和三十年を過ぎて亡くなった人。新聞記者であり、雑俳の宗匠、粋人で、世の中を見る眼が優れたジャーナリストの眼であることはこの一冊を読んでいるとよくわかる。
 ひどく大雑把に言ってしまうと「昔はよかった本」だが、昭和の時代に較べると明治はずっと洒落が利いていたよ、という本だ。
 いつも本を見に行っている書店にこの本は一冊しか入っていなかった。私の前に誰かが手にとって気に入って買ってしまったらこの本を買い逃していただろう。そうなってしまっていたら、かなり惜しい本だ、そう思うほど面白い。

 どんどん遠ざかっていってしまう明治時代。日常生活や市民の生活感など、江戸時代よりわかりにくい距離感になってしまっている。明治になっても、日常生活や世の中全体はずっと江戸の感覚が息づいてそれが当り前だったらしい。私達が教えられた明治時代は急速な近代化の時期で、一気に世の中が変わってしまったということになっていた。これもまた、明治政府の流れに沿った教育が昭和の後半になってまだ続いていたということになる。
 そんなもんじゃなかった、実際のところ明治時代というのはこんな風だったんだよ、という語り口の本があればできるだけ読もうと思っているので、この本は即買った。
 落語にも出てくる見せ物、「六尺の大イタチ」・六尺の板に血がついたもの、「眼が三つあって歯が二枚の化物」・下駄、を本当に見に行っている。くだらないよなぁ、と感じつつこれを笑ったという明治の頃の方が世の中今(昭和)より遥かに面白かったぞというわけだ。「日本一のそら豆」というのがあって、これを覗き込むと男が一人入っていて、こいつが逆さになって尻を見せているという見せ物だったという。これは読んだだけでもおかしい。
 芸人、文人、歌舞伎役者、学者、その他多くの人と幅広く交流した人で、全体洒落や駄洒落がちりばめてある一冊。都々逸、川柳、狂歌、雑俳もばらまいてある。だれそれと旅をして、旅先でこんなめに遇ったが、そこで同行の誰かがこんな洒落を言ったというコラムが沢山並んでいる。仙台までいった旅役者が金主に逃げられて、飯が食えなくて困り果てていながら「こんなことは仙台未聞だ」やら「奥州こととはつゆ知らず」など言い合っている様子も書いてある。
 伊勢の松坂を旅していると「焼き竿」あり、と書いてあるのを見つけて、竹を程よく焼いて売っているのだと判断して、いいのがあったら杖にしようとその店に入っていったら、実は焼き芋やで「草冠を、竹冠に間違えて書いていた」という、奇妙におかしい話もある。全編噴き出すというような本ではない。ただ、何となくほのぼのとおかしく、文体の良さ、文章の確かさ、古典や日本の芸能に造詣が深いこと、そういうことが心地よいのである。「素養」というか、「教養」というか、そういうものの確かさがうらやましい。知識の深さを尊敬すると同時に洒落がわかる人の多かった時代はいいな、と私は思った。


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