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文庫本読書倶楽部
06
砂の魔術師アリジゴク

06 砂の魔術師アリジゴク ―進化する捕食行動―

松良俊明 著
中公新書
生物学・昆虫

投稿人:コダーマン ― 00.07.05
コメント:---


 書店でこの本を見た瞬間、買う気になっていた。と同時に、私はアリジゴクが好きだからこの本を買うけれど、アリジゴクの本なんかいったい他に誰が買うんだろうか、と心配してしまった。全国の書店に配送したところでほとんどが返却されるのではないか、たぶん、クモが好きだという人よりアリジゴクが好きだという人が少ないだろうと思った。でも、よくよく考えて見ると、私がそんなことを思い悩む必要はないのだ。
 さてと、虫をやっている人の例に漏れず、学術的にきちんとした人でありながら、どこかユーモア精神を漂わせる著者である。カマキリの研究もやりたかったが、何度かその行動を観察すると、自然な状態で観察してその行動を調査することの難しさを実感してしまった。ビニールハウスを利用した閉じた空間であっても、カマキリをある数放して、食餌行動の観察を基本的に把握しようとするだけで昼夜交代で死ぬ苦しみを味わい、案外成果が上がらないとぼやく。
 そこで、わりと狭い空間で、その行動の全てを観察できる虫はいないものかと思いを巡らすと、いたんですよアリジゴクが。これだと、実験室のバットの中に砂を入れて、放しておいて、次の日にできた巣を確認して毎日ピンセットで虫を入れてやるということでもう生態観察ができる。全ての理由がこの利便性のためではないけれど、この先生は「楽な道を発見して」アリジゴクで行くぞと決めたわけだ。
 アリジゴクがなんだか知っている人ばかりではないかもしれない。カゲロウの幼虫である。このアリジゴクで最も良く知られているのは、細かくて乾いた砂地に擂り鉢形の穴を掘ってその中央部分の底に潜んでいること。その擂り鉢に落ちてくる虫に噛み付いて体液を吸って生きていること。この二点だろう。主にアリがえさになることからアリジゴクということになっているが、当然この本ではえさとしてアリは何%を占めるかというような研究もしている。アリ以外の虫でも、地上を這う虫なら穴に落ちることはあるわけで色々な虫がえさになってしまう。
 私は、アリジゴクというのは不幸な呼ばれ方だと子供の頃から思い続けていた。どうしてアリ側から考えるのだろうか? である。えさになってしまう可能性の高いアリからは「地獄」かもしれないが、カゲロウの幼虫側からすればえさを取るために必死に身につけた方法ではないか。擂り鉢ムシとかなんとかつけられなかったものか、と、今でも思っている。
 そんなことはどうでもいい。
 で、このアリジゴクが後ろに進む虫だということは普通の人は知らないだろうなぁ。自分が擂り鉢形の砂の穴の中央の底に隠れるには後ろに進むのが便利で、いつの間にやらそういう風に進化してしまったわけだ。ところがですよ、よく観察を続けていると、確かに後ろに進むけれど、擂り鉢形の穴を掘らないのもいる。中には前に進むのもいる。オーストラリアには、擂り鉢形の巣を作り、なおかつ擂り鉢の縁から何本かの溝を掘るアリジゴクがいることを見つけだす。
 ここで、アリジゴクの先祖は、ただ徘徊するだけの虫だったんだろう。しかし、そのうちに、隠れていて目の前を通る虫をえさにする方が効率良くえさを取ることができることを発見して、後ろに下がって物陰に隠れるように進化した、と想像する。後ろに下がって身を隠すより、えさの通り道に穴をあけてその底で待っている方がもっといいと、そっちに進化したのがいる。その中で、擂り鉢の縁まで何本か溝を掘ると、小さな虫はその溝をたどって進み穴に落ちてくることを知ったのがいる。こういう風に進化の筋道を想像する。そうすると、現在のアリジゴクを広く研究することでアリジゴクの進化の道筋をたどることができるということになる。
 こうした話を、そこはかとないユーモアを含んだ文章で若々しく語ってくれる本だった。面白い。しかし、虫に関心のない人、そもそもアリジゴクを知らない人には、あってもなくてもいい本だろう。でもね、こういう人がちゃんと認められ、中公新書の一冊にしてもらえるような状態は、まだ救いがあると思う。
 アリジゴクの本なんて誰が買うんだろう、誰が読むんだろうと心配しながら、こうして紹介の文章を書かないではいられない人間がいることを著者と、アリジゴクに知って欲しいね。いや、ほんとうにさ。



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