旅の写真とスケッチ・紀行
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―公園を訪ねて―
東京・駒場野公園

 午後二時に部屋を出た。
 代沢五丁目から代田にはいり、北のほうへ歩いてゆく。快晴。道なりにゆっくり進む。五〜六分歩いたところで左手に浅井慎平さんのお宅。二週間ぐらい前には、野宿の話をひとしきりしてすっかり酔わせて頂いた。
 つぎの角を右へ、代田から北沢へと町名が変わる。北沢二丁目でチャーハンでも喰おうかと「蜂屋」へ寄ったが、この店何しろ安いので、学生さんが数人店の前で席の空くのを待っている。帰りに寄ることにして小田急線の踏切りをわたる。よく呑みにくるスズナリ横丁(このところ御無沙汰しているけれど)を横目に左へ坂を登ってゆく。右手にゴルフ場左に小さな公園。ここのベンチで煙草を一服つける。若いお母さんが子供を遊ばせている。遊ばせているというより、佇んでいるというほうがぴったりするほど落ち着いた感じで、さすがに世田谷っぽい。
 道をなるだけ東南の方向へ進むように歩いてゆく。そうすればだんだんと井の頭線に近づいてゆくはずだ。あんのじょう池の上駅の東端で踏切をわたることとなった。
 井の頭線に乗って渋谷へ向かうとき、駒場東大前の手前右側に、こんもりとした森が見えるのが以前から気にかかっていたので、その辺りを散歩してみたいと思っていたのだ。
 くねくねと道をとっていくうちにふたたび線路の脇にでた。
 あった、あった、深い(?)木々の向こうに池が見え、子供のカン高い声が聞こえてくる。門らしきところへたどり着くとそこに「駒場野公園」とあった。
 公園の配置図を見てみると「雑木林」というエリアがある。「オッ」と思った。雑木林こそ最近の僕の(よく分からないが)重要なテーマらしいのである。
 図に示された「雑木林」のほうへ道をとってゆくと、そこには確かに雑木林があった。木々のいくつかには名称札がとりつけてある。野宿のとき薪にしている木々たちは果たして何という名の木であったのか。
 まず気にかかるのは広葉樹である。今頃の時期には落葉していて葉がない。野宿の時、いちばん目で見、手で触れているのが幹の部分だから、幹の感じに見覚えのあるものを捜す。
 これだ と思うものがあったが名札がついていない。
 どうしてだろう。コナラやクヌギは葉が落ちきっていず、枯れたまま茶色になって枝にとどまっている。ホオッ、と思う。
 クリの木は、たぶんそうじゃないかなと思っていたら、当たった。わりとイメージがはっきりしていた。こういう本格的な山の木々よりも、京都の家の小さな庭に植えてあったアオキやヤツデのほうが、僕には身近に感じられる。やはり「山の人」にはなりきれないようだ。
 遊歩道からはずれて、林の中へ踏み込んでみる。(後で気づいたのだが、これは禁止されていることだった)冬のことで、僕には、あたりの木々や落ちている枝が全部薪に見えてしまう。確かに雑木林の感じなのだ。こんな都会の中にある程度まとまった林があることに驚いた。
 でも僕がよくでかけてゆく白州の本山賢司さんの森に較べると、全然浅くて、木々自体もひよわに思える。十分に注意しながら焚火をしても、一週間も薪を取りつづければ、この林は丸坊主になってしまいそうだ。
 白州では生木が必要な時にかぎって手頃なやつを二、三本伐ってしまうのだが、(それ以外は、できるだけ立枯れや倒れている木を使う)ここでは根元の直径が10cm程度の木にも名札が巻きつけてあったり、また二本も三本も副木がしてあったりする。本物の山はさすがに懐が深い。雑木林の向う側はずーっと雑木林が続いていてほしいし、木々の間に屋根や建物は見えてほしくない。
 でも、この公園には雑木林がある。冬の林がある。もちろん針葉樹や照葉樹もある。林のマントもちゃんとある。地面を注意深く調べてみるとモグラの塚もそこここにある。木々の間を抜けて創り出される夕日のモザイクをぼんやりと眺めていたら、井の頭線の電車の音が聞こえてきてゆっくりと遠ざかっていった。
(了)
東京都目黒区駒場2丁目
words41989.1.28

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