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文庫本読書倶楽部
55
死闘の本土上空 B-29対日本空軍

死闘の本土上空 55 死闘の本土上空 B-29対日本空軍

渡辺洋二 著
文春文庫
戦争ノンフィクション

投稿人:コダーマン ― 01.08.20
コメント:---


 8月、私には「戦争の月」で、今年選んだうちの一冊がこれである。
 「B-29対日本空軍」という副題がある。
 相変わらず今の「日本」の先祖である、「大日本帝国」にはがっかりさせられる。
 戦争を始めた時点で、軍部は、日本が空襲されることなどほとんど想定していなかったという。だから、防空という発想そのものがなかったのだそうだ。これにはあきれた。アメリカの機動艦隊が日本の周辺に現れる事態は考えて哨戒機は飛ばしていたというが、アリューシャン列島から南方の島々まで、解放されている空のことは考慮に入っていなかったというから、暢気ではある。
 こうして、今では歴史になってしまった戦争を振り返ると、みごとに杜撰であり、神風が吹いてくれると心のどこかで思っていたとしか思えない。
 そういうことで、開戦後間もない時期、どうしても日本に一撃を喰らわしておきたいというアメリカの最初の空襲に対処できなかったことによって、自分たちが頭の上のことをほとんど何も考えていなかったことを知り、あわてて国土の防空を考えるようになった。そうした時期から、敗戦までの「本土上空の防衛」ノンフィクションである。
 防空を「考えるように」なった、のであって、本を読んだ限りでは敗戦まで防空体制は整わなかったと断じていいと思う。
 レーダーがない、対敵航空機の監視所・監視網がない、高射砲が無力、防空組織がまったく不備、高高空まで短時間で上昇できる戦闘機がない、邀撃用の戦闘機を設計するという発想がまったくない、軍も民間も防空訓練をしたことがない、そして敵の実力を知らず、情報もない。という事情を読まされてから、さてその上で、大日本帝国陸軍・海軍はどうしたのかという話になる。その海軍と陸軍、戦争を始めたときから終わるまで、仲違い。同じ目的なのに、別々の会社に同じような目的の戦闘機を発注する。
 実際のところ、悲しいけれど「話にならん」のだ。
 ハワイで太平洋艦隊を叩き、ある程度有利に戦争を展開しておき、どこかで停戦に持ち込もうとしていたともいわれるけれど、戦い続ければ、日本が有利になる目はほとんど出ないのではなかったか。緒戦で調子のいいときは、もっと占領地域を広げようと思い、反撃が始まると戦線後退が止まらなくなって、いずれにしても「ここで」という線を引くことのできない軍隊である。定見のなさが暴露されるばかり。この線で死守すると言葉は立派なのだが、その策を講じているうちにその線を突破されてしまう、といった感じなのだから打つ手がない。
 1941年時点の軍事的な常識として、緒戦で日本が占領した地域の外側から飛行機が日本の国土に襲来することは考えられなかった。だからといって、空からの攻撃はないと断じて、何も準備しないのはおかしい。
 攻撃のために飛び立って、敵の戦闘機と戦う飛行機としての零戦は、初めのうちは優秀だったが、国土防衛のための飛行機としては優秀ではなかったとされている。それは、来襲する爆撃機B-29の飛行高度が8000m〜1万mであって、零戦はこの高度までほとんど行けないからという。カタログ上の仕様ではその高度でも機体の能力が発揮されることになっていたらしいが、実際に飛んでみると8000m辺りがやっとだったらしい。
 条件と、パイロットの腕に「恵まれて」その高度まで達したとしても、そこまで離陸から40分から50分ほどかかってしまうというのだ。必死の思いでそこに到ったときは敵機はもういない。酸素を用意し耐寒用電熱服を着てパイロットが失神しない用意をしてやっとその高度まで行けることもあった、という。その程度なのだ。しかしそうして高空まで行ってしまうと、零戦の戦闘能力が発揮できなかったというから、戦力とは言い難い。初期は、そういう状態。
 アメリカにしても、準備を整えて「逆襲」を始めるまでには時間がかかっている。B-29を急いで作ったせいで、完全に機能する機体が非常に少なく作戦通りに爆撃ができるようになるまでに、計画はかなり遅れてしまったのだそうだ。それでも、試作機から決定にいたり、工場の製作ラインが完備するとB-29がどんどんできるようになる。
 そして、南の島々に米軍が上陸して飛行場を整備し、日本を爆撃してその島に戻れるようになると、基本的に「もう駄目」状態である。
 日本軍が南の島で捕虜にした米軍兵士を飛行場整備に使おうとして、もっこ担ぎをやらせようとしたら拒否されたという話が載っていた。もっこかつぎを拒否して、ブルドーザーを動かして見せたそうだ。人海戦術では何十日もかかる作業を二、三日で終えてしまった。それを見て驚いた日本軍は、似たような物を作ろうとしたが、結局まともな物ができないで終わったそうだ。ため息。
 こうした日米の戦争の本を読む時に、例えばひとつひとつの戦闘機の性能をしっかり読んで頭にたたき込んで読む方ではない。それより、B-29という空の要塞とまでいわれるような爆撃機を作るためにきちんとした計画を立てて、パイロットの安全にも配慮して頑丈な機体にするとか、初期、援護機がついていけない場合でもかなりな戦闘能力を持つように銃座を工夫するとか、攻撃に出て無事基地に帰ってくることをしっかり考える、そういうことに興味がある。日本のどこから空爆を始めて何を叩くのかの計画もしっかり立てるというような、戦争の計画性に関心がある。
 一方では、機体の運動性能のためには、操縦士の安全や居住性、ある場合には戦闘能力としての銃まで犠牲にしてしまう日本の発想の比較に興味がある。
 つまり、国力をかけての戦争で、何を考えていたのか、が一番気になる。
 日本軍が戦略を明確に立てていたか、どこで「有利な交渉」に持ち込もうとしたのかが明快ではない。
 さて、B-29の爆撃が頻繁になってくる時期には、防空部隊も一応できてくる。飛行機が揃い出す時期がやってくるのだが、南方での日々の戦いに戦闘機が必要になってそっちにかり出される方が多くなる。相変わらず自分たちの頭の上の爆撃機を追い払うことができない。
 初期は、米軍も反撃の少ない夜間空襲をしかけてくるので、夜戦用の航空機を利用するが、なにしろレーダーもなく敵機の数も、高度も距離も正確にわからないので有効な迎撃ができない。幸い、敵もまだレーダーを正確に使う爆撃ができなかったものだから、目標を正確に捉えることができなかった。しかも、通常爆弾を使用しているので、火災の広がりは少なかった。私自身は、初期から焼夷弾を使ったのだと思っていたが違っていた。ドイツで使って「効果的」なので、やがて日本にも落とせということになってしまうのである。
 特攻がまだ行われていないうちだったが、B-29に対してあまりに無力で、ついに体当たり攻撃を敢行してしまうパイロットも出てくる。ノンフィクションであるにもかかわらず、その辺りの、ジレてたまらなくなる心情がわりと同情心を誘うように描かれている。それがまた、自分も死ぬ気の必死の戦いではなく、敵機の尾翼をプロペラで破壊して操縦できないようにしておいて、自分自身は落下傘で地上に降りてまた攻撃に出かけるという英雄達が沢山出てくる。これには、驚いてしまった。それと、敵機の銃弾を受けて操縦不能に陥って敵機に体当たりしてしまうことも多かったようだ。
 また、戦闘機同士の戦いに使う銃弾ではB-29にはあまり効き目がなかったというのが悲哀である。そのために連座式の戦闘機の後部座席を改造して大きな銃を上向きにして積み込むなどその場の工夫はするが、負け始めてからの窮余の一策で、日本の戦闘機がそういう対策を講じているとわかれば、次にはそれに対する策は講じてくるということになる。その上向きの銃が有効な位置、B-29の下側、に確実に入り込まないと役に立たないというのも決定的な対策にならない理由である。
 当然といえば、当然である。
 B-29に対する防空が有効になる短い時期がある。南の島々を奪還されて、一旦飛行機が日本本土周辺に撤退して、優秀なパイロット達も集まった時期には、空襲にやってくる時刻を見計らって上空で待機したり、大都市上空に来る時刻に合わせて離陸したりでかなりの打撃を与えることができた。それでも爆撃に出た機の数に対して20%を少し越える程度でアメリカ軍に決定的な打撃を与えることはとうとうかなわない。
 南の島が奪還されていくということは、いよいよB-29に戦闘機が護衛のために寄り添って日本までやってくることができるようになるということである。こうなると、新人パイロットを養育するための練習機まで戦力に数える日本軍と、零戦の能力を上回る戦闘機が「雲霞のごとく」飛ばせるアメリカ軍では差が広がるばかりで、悲劇でしかない。空爆の根を断つために、島々のB-29の基地にも散発的に攻撃をかけているが、文字通り散発的で、戦闘機に迎え撃たれて有効打にはならない。
 もうどうにもならないとわかってもなお戦争を続けるというのは、旧日本軍の戦略も戦術も、戦争全体に対する見通しもなく、いつか神がかり敵に勝てることがあるかも知れないとぼんやり思い描いていたことを表しているようで、どうにも不合理である。元々不合理のまま始めた戦争といえばそれきりだが、戦いつつ彼我の戦力の分析能力にも欠けているというのは、今に通ずる展望の無さが当時から示されていたように思う。
 大都市、飛行機工場、部品工場、中都市、基地などきっちりローテーションを組んで爆撃し始める米軍。この時点で、しっかり「皇居は絶対に燃やすな」という命令が出ている。太平洋側の沖に近づいた空母から飛び立って、港湾地区に攻撃を繰り返す戦闘機もどんどんやってきて機銃で攻撃する。悔しいからと、かき集めた戦闘機で空母の攻撃に向かってみると、飛び立った飛行機より遙かに数の多い機動部隊に遭遇して弾幕に覆われてしまう。
 九州だけではなく、日本全体がほぼ爆撃の範囲内にはいると邀撃もほとんどなくなり、アメリカは制空権をしっかり獲得、毎日の日課のように順番に空爆を実行することができるようになる。
 レーダーは、戦前日本の八木博士が考案したものを基本にイギリス軍が改良して実践で使えるようにしていく。それを日本軍はまったく無視していた。工学、電子機械など日本の科学の力を信じない上に、機械力が驚くほど乏しい。
 その反省を、この国はしたか。
 戦争を放棄した国が、今の地球でどういう役目を果たしていくべきか、相手が戦争で決着をつけようという態度に出たとき、我が国は戦争放棄の国である、それでも攻撃するならあなたの国は世界を相手にすることにいなると、きっぱり言えるか? そのことをこの夏の「戦争の本」で思うようになった。


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