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文庫本読書倶楽部
37
奈落の水

奈落の水 37 奈落の水 公事宿事件書留帳 四

澤田ふじ子 著
幻冬舎文庫
時代小説

投稿人:コダーマン ― 01.05.08
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 公事は、江戸時代の民事事件というところ。そうした事件を奉行所に訴え出て、訴状が取りあげられると、地方に住んでいる人は、今でいう裁判・判決のために江戸や京都に出ていかなければいけない。さて、出かけていったからといってすぐに裁判が始まり、判決が出るというものでないので、待つ間泊まったり、あれやこれやと書類を書いてもらったりしなければいけないが、そうした弁護士事務所と宿泊所を一緒にしたようなのが公事宿と考えて欲しい。このシリーズを読んでいる人にはこの説明が不要なんだけれど、公事宿を黙っていても「くじやど」と読める人はかなり時代小説好きだろう。この文庫本の裏表紙には公事宿を「訴訟人専用旅籠」と書いてある。味気ないが、その通りではある。
 この本の場合は、なんといっても澤田ふじ子さんですから、場所が京都。なんといっても、がわからないか。もう澤田さんと来たら舞台は京都なのだ。で、北原亞以子さんといったら江戸の街なのである。
 それはそれとして、要するに京都にある公事宿でのあれこれを話にしてある。文庫本でシリーズ四冊目なので、登場人物の役所がつぼにはまっていて、読んでいてなかなか楽しい。
 ただその宿で繰り広げられる人生模様だけでなく、主人公で公事宿の居候菊太郎という、武家の長男で跡を継ぐべきなのにへそを曲げて浪々の身を決め込んでいる男が、京都の町の案内役になってみたり、宿に泊まり込んでいる人のために一肌脱いだり、逆に京都の奉行所の方から内々事件調査の依頼を受けたりしながらダラダラ暮らしているのが味である。弟を跡継ぎにしてはいるものの、ご本人がその気であれば、いつでも奉行所の方に然るべき役職を用意して、戻ってもらってもいいというような格の家の息子。この辺の都合の良さが小説である。
 殺伐とした事件よりは、哀愁に満ちた事件、落語の人情話のような事件が主体で、それにまつわっての主人公と宿の主人との軽口のたたき合いがなんとも楽しい。そこそこの身分の武士がいて、どうしても必要なときには奉行所の内側の情報を探ってもらうこともできるというのは、公事宿の主人としては都合のいいこともある。といって、それを目的に居候をおいているわけでもなく、この世の中こんないい人がいるならうちに預かっておいてもいいという気持。いずれ家に帰るだろうと思うと寂しくもあるが、小遣いを渡すと案外義理堅く宿のカミさんに土産を買ってきたりもするのである。剣が立つというより、理屈と人情の機微に通じているところがいい。かといって、刀を抜かなければいけなくなれば弱くはないが、どうもそういうことは無粋と心得ているところがある。この居候には好きな女性がいて、時折話に出てくる。
 早く一緒になればいいのにと周りからいわれると、いや居候の身でそれは、と言いつつ、俺が出ていっても寂しくないのか、困らないのかなんぞと逆襲したりもする。
 テレビや映画にはしにくい、姿が目立つタイプの主人公なのでこれはぜひ小説を読んで欲しい。できれば、というより、私の考えでは「絶対」シリーズを順番で読んだ方が面白い。主人公の家の問題、公事宿と奉行所の関係、江戸時代の訴訟の様子などなどが次第につかめてくる。シリーズ小説の良さというのはこういうところにある。
 池波さん、藤沢さん、巨匠二人の新作はもう永遠に出ないのだから、今面白い時代小説家を熱心に読むべきである。それと、時代小説で京都の町を読むことができる数少ないシリーズであり、この澤田ふじ子さんの小説は大体間違いなく面白い。
 caveさんに読んで欲しいのは、今度の一冊が特に京都の町をよく書いていて、珍しく今で言うどこそこで、この時代はこんな風だったなどと書いている。江戸の街は切り絵図で調べて読んだりもするので見当がつくものの、京都は駄目。こればっかりはcaveさんにお任せする。この小説は、おすすめ。8月にシリーズ5冊目が出ると予告が出ている。また、買わねば。


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