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文庫本読書倶楽部
140
俳人漱石

俳人漱石 140 俳人漱石

坪内稔典 著
岩波新書
評論・エッセイ

投稿人:小玉頑固堂 ☆☆ 08.07.05
コメント:俳句の実作に即して子規を理解するにはいい本です、とても。


 俳句が好きなので、勉強のつもりで俳句関連の本を良く読む。その上、漱石も好きなので、この本は出たときにすぐに買った。読んでみると非常に楽しくて、興味深い本だった。
 実は、2003年の新刊で、読んだのが2009年の初夏。6年も蔵書しておくべきではなかった。

 著者の坪内稔典はよく知られている俳人で、正岡子規と夏目漱石の研究家、といっていいのだろう、この二人を実に深く知っている。その坪内が、子規と漱石を(架空)対談させて、その間に解説的に自分が口を挟んでいくという鼎談本である。 
 漱石と子規と坪内の三人で、漱石が若い日に詠んだ俳句一句一句につき見開き2ページ単位で評価していくという具合。その対談の内容自体は坪内の創作だが、漱石と子規の研究を重ねてきた坪内が、漱石と子規の日記や書簡、作品の中でいっていることを熟知していて「いかにも言いそうなこと」あるいは「実際に残っている言葉」を語らせている、と受け取った。闇雲にただ面白い会話をさせてしまうといったものではない。

 この本で、今さらながら気づかされたこと。
 漱石は初め小説家として世に出たのではなく、俳人としてしられたのが先なのだ。漱石自体が、俳号なんだから。
 そして後にさまざまな形で小説にすることになる、松山時代、熊本時代はまだ小説家として名をなしていなくて、というより小説なんか書いていない。漱石は俳句スタートで、新進の俳人として雑誌や新聞に俳句が掲載されたのだ。そのことを新鮮な思いで振り返ることができた。

 東大で知り合った子規と漱石。すぐに親しくなり、子規の俳句に対する情熱に感化されて、漱石も俳句を詠むようになる。子規の弟子、といっていいようだ。子規のやっている俳句を真似てみることから、俳句の面白さと、この表現手段の奥の深さに引きつけられた漱石が句作にのめり込んでいく。俳句に夢中になってしまうのだ。
 子規は東京で暮らすが、漱石は松山や熊本に赴任する。その漱石が、しばしば子規に手紙を送る。その中に月に100句単位という多くの俳句を同封して子規に評価してくれと頼んでいた。その中のいい句を、子規自身が持っている雑誌欄や新聞で「漱石」という新進の俳人の作品として掲載するのである。
 その俳人漱石の極く初期の作品から、小説家になってもう俳句を詠まなくなるまでの句を、時代順に並べて三人で語り合うのがこの本だ。

 親しい仲であることを前提にして、著者は漱石と子規に自由で、ざっくばらんな会話をさせている。
 ごく初期の漱石の俳句は(趣味の俳人の私からしても)下手だ。俳句という表現形式をこなし切れていない気がする。子規に学び、子規を真似ている段階だからそれは仕方がないことだろうけれど、俳句で切り取る風景とそこに託されている心情が、実に「月並み」なものが多い。
 子規にいわせればいいとか悪いという対象にならない程度で、漱石からの手紙にいい句に○をしてくれといってくるけれど、付けようがないということになる。
 漱石も初期の俳句をそういわれて苦笑いという塩梅。このあたりの「架空の会話」の進め方がさすがに研究者は巧みで、漱石と子規に対談させればこういう気分だろうと思わせる。いかにもそういいそうなセリフを重ねていっている。そこがいいのだ。
 もちろん、あまり子規にひどくいわれると、漱石が「少し弁解する」。

 そのやりとりの中で「月並み」だという句があるが、子規のいう「月並み」というのはどういうことなのか、がわかるように、書き手の坪内が解説してくれる。俳句が好きだからこの本を読んだのだが、この月並みな俳句ということの意味、また、子規がいった写生、あるいは「想像句」など、一般的に少し子規の意図と違って解釈されているような気がする。子規は、俳句の本質的なところを明確に、深く理解して「現代句」を興した人なのだとこの本で理解することができた。
 子規のいう俳句における写生は「見たままを詠め」ということではない。しばしば、子規は写生といっている、見たままを素直に詠めば俳句になる、といったことをいう人がいるがそれは違う、と読んだ。
 子規のいう俳句の「写生」について、その後の人たちが勝手な解釈をして誤解していることや、写生だけが大切なのではなく、想像力を働かせること、心情表現も大切だと述べていることを書いてあって納得できる。漱石が観念的な句を詠むと、想像だけに行きすぎているという注意も促している。
 
 漢詩・漢文の素養が深かった漱石は、漢詩の中の風景描写を俳句に持ち込んでいることが多く、坪内は漱石の読書歴の中から「この言葉は、この漢詩のここにありますね」と探り出す。漱石は素直なもので、そうそうそれだね、と肯定する。よほど漢詩を読んでいないと知らないような漢語を、五七五にはめ込んでしまうと、一般の人にわからなくなる。そういう話も出てくる。漢詩を知っていることを前提に、そこで謳われる風景を俳句にポンと持ってくることができる漱石の教養は凄いものだが、俳句はそういうものではないと指摘されている。漱石も、俳句が巧みになるに従って、漢詩から言葉を借りてくることがすくなくなる。

 奇想天外ではないけれど、発想の飛躍が見事な漱石の句が良くできているときは、子規がこれは漱石独特の表現だよといったことをいい、こういうのは巧いと評する。漱石も「我ながらなかなかのできだと思うよ」というようなやりとりが続く。
 なにしろ、漱石も初めはこんなに下手だったのか、そして熱心に続けることで俳句が上達していったと知れて、勇気がわいてくる。

 また、漱石と子規の交友、彼らの句会に森鴎外も遊びに来て参加したというようなことがなかなかいい話だ。
 やがて、子規が脊椎カリエスに罹りその養生のために動けなくなっていく中、漱石は篤い友情を持って応援していき、俳人の子規を尊敬、敬愛し続ける。まだ、小説家になっていない漱石は、ますます俳句に夢中になり、毎月のように何百という句を子規に送り続けるのだ。

 漱石がイギリスに渡る日が来る。漱石も子規も、もう生きて会えないと思いつつ友人と別れるのである。子規からの手紙をイギリスで受け取っていながら、鬱々と暮らして返事も俳句もできなくなってしまった漱石の元に、虚子から子規が亡くなったという知らせが届く。やがて帰国した漱石は、俳句を詠まなくなり、小説を書いて思いがけなく華々しいデビューをしてしまうのだ。
 面白い本です。




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