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文庫本読書倶楽部
109
遊動亭円木

遊動亭円木 109 遊動亭円木

辻原 登 著
文春文庫
現代人情小説

投稿人:頑固堂 ☆☆☆ 04.06.13
コメント:ああ、もう少し読みたい!。


 遊動亭円木は、目の見えない噺家。正確には、目が見えなくなってしまった噺家で、糖尿病が原因である。糖尿病とわかってからも、酒を止めない、旨いものを食うのも止めない、そういう意味のない粋がり、というより半ばヤケを「粋」というのが落語家的な見栄で、それがあだになってしまう。遊動亭円木という名前が洒落ている。
 でも贔屓がいて、「お前のあの噺を聞きたい」という人がいたり、独演会を応援してくれる人がいたりで、生活の方はなんとかなる。助けてくれる人もいる。私は落語好きなので、この主人公が独演会を前に、落語をおさらいしたりする場面が、楽しくてしょうがない。志ん生はこの話をこういう風に演じた、この話は文楽がこうやった、同じ噺を誰それはこう語った、という地の文章がなんともうれしい。文楽は、もちろん先代、八代目桂文楽ですよ。また、最近は行かなくなったという楽屋風景などもいい塩梅で、著者はそっちの世界にいた人なのだろうかと思ったりもした。

 この遊動亭円木の、どこか捨て鉢になった、もう、自分を捨てて洒落だけに生きようかという気分を漂わせる日常が面白い。人生をあきらめきってはいないけれど、なるようにしかならないんだから、時に流れに身を任せてしまおうという、「重ったるい」感じがある。
 人間そこまで行ってもそうそう心中サラサラとはいかないのであって、抱えているものが大きいから、読者には重い。目の見えない噺家の、外に向けた洒落と、独白部分の沈痛さ、ここが設定の面白さだろう。
 そうした人物が、独演会を開いたり、嫌な客と喧嘩したり、旅に出て人違いされてすごい扱いをされてあわてたり、女に惚れたり惚れられたり。人の面倒をみて、大変な目にあったりもする。目が見えないことを嘆きはしないが、時に、ここで見えたらいいのに、というホロリもある。
 創作から生まれた噺家だとは思うが、「あれ、目を患った噺家っていなかったっけ」と、思い当たる人がいないか探してしまう。そこそこのファンを持つ独特の語り口の落語家で、最近見なくなった人はいなかったっけと思う。
 それにしても、落語と洒落がふんだんに盛り込まれているしっかりした小説。先にも書いたが中に「志ん生はこう演じた」というような言い種が出てくると、落語ファンとしてはたまらなくうれしい。そういうやりとりの行間が充実していて、読み応えがあるというのは気持ちがいい。私は、本当の落語家、春雨や雷蔵の、素人弟子で春雨や雷太という名前を持つ。人前で一席やるほどの度胸がないからどうにもならないが、小説にする手はあるなと思ったりもした。

 落語家を主人公にすると、客の前で精一杯「粋」を演じて、自分に戻ったときにそうしてしまう嘘の自分に大きなため息をつくような人生を描くことが多い。または、人情話的人生で泣かせようという方に行く。そうでなければひたすら破天荒な人間像。そのどれでもない。破天荒の味わいはあるが、常識人で、なんでも笑いに持って行こうなどと思ってはいない。周囲にいる人間の方がめちゃくちゃな人生で、目の見えない噺家がなんとかしてやらなければと思うことすらある。まともで上質の娯楽小説である。
 楽しくて人情味の深い小説だった。続編を読みたいが、この一冊のあとに、二編ほどは書いているらしい。できれば一冊にまとまるぐらい書いて、文庫にして欲しい。ということは、次に読む機会がなかなかめぐってこないということだな。 
 この人はまったく読んだことのない人だったが、この一冊は「抜群」だった。
 「感激」とは違うけれど、時折情が満ちてきてほろっとしてしまいそうになる小説である。


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