東西南僕 17 酒は友だち その5
2002年10月31日(木)
■以下の文は、かつて『オー・ド・ヴィー/徳間書店刊』という季刊誌に掲載した原文に、掲載行数の都合で割愛した文章を付け加えたものです。文中の店がまだあるかどうかの責任は、負えませんので、ご注意下さい。

酒は友だち・その五
雪の金沢、二夜の白子

 石川県には菊姫がいて、天狗が舞っているし、飲んで酔えば萬歳楽である。どうにも友たちが多い。雪の金沢に向かった。「雪の金沢」、なんともいい響きである。言葉の響きからすれば、粋な女性の登場など願いたいところ、うまい具合に、二晩とも「白い柔肌」と親しむことにはなった。

 まず、犀川大橋を、渡る。

 兼六園に近いホテルに荷物を置き、僕は持参した「ゴム長靴」に履き替えて街に出た。
 古道具屋を冷やかして歩いた。なんとも楽しい時間である。陶器の猫を気に入ってしまったモトさん、一旦その店を出てしばらく歩いて、やっぱり買わないではいられなくなって戻り、買うことにした。僕は、古道具屋では「ぐい呑み」探し程度だが、いいなぁ、と思うと決まって高価なのだ。ということは、少しは目が利くのか。ぐい呑みに限って目が利いてもしょうがない。金沢市内は、大人がダラダラと散策して、ちょっと店を覗くのに最適の街である。

 モトさんが、いい魚屋があると言うので、覗きに行くことにした。
 近江町市場は次の日ゆっくり楽しもうと思っていた。魚屋は、犀川大橋の向こう側(香林坊方面から歩いての、向こう側)の左の袂にある。その店頭を少し見て、今夜どういう「肴」を食べようか、策を練ろうというわけである。店の前には、鰈が干されていて、その揺れる鰈に金沢の雪がチラホラ当たる。
 ガラス戸の外から魚屋の中を覗こうとしたら、店の中で魚をさばいている人達が僕らに向かって手招きした。包丁を片手にして、猛烈な手招きである。もうこれは、中に入るしか手がない。「奥へどうぞ」と言われるまま、「どうなってんだ」と思いつつ魚のケースの前を進むと、奥が「飲み屋」なのであった、アハハ、である。
 カウンターの上に、煮物の『バット』が並んでいる。焼き魚と刺身は、注文すれば「魚屋」の方に一声かけ、向こう側であつらえてくれるという仕掛け。ね、これはどうしようもなく、いい塩梅でしょうに。
 ガラス越しにみて、僕らが「酒飲み」に見えたんだろうか。いっぱしの酒飲みに見えてきたか。
  四時半、北陸の冬の四時半は、酒を飲み出 してもいい時刻で、『萬歳楽』を飲み始める。なにしろ店の女性が「飲むんでしょ?」と尻上がりに言うのだから、飲まないわけにはいかない「鱈子の煮物」「竹の子」「茹で海老」「沢庵(モトさんのみ)」などで軽く準備運動のつもりである。何の準備か知らないが。
 その『てらき屋』、僕らは初めてだけれどは、よく知られた店のようで、どの時間でも食事に来ている人と酒を飲みに来ている人がいることがわかった。二階の大部屋には東京から団体の予約が入っているという。団体で食べに来てもいいけど、団体で飲みに来てはいけない、と僕は思う。
 やはり一階の奥で、目の前の『バット』に入った肴を見回しながら酒を飲み続けるのが、形というものである。酒飲みというのは、そういうものでしょ。てらき、は親爺さんの名前「寺中喜作」から来ているようだ、直接聞きはしなかったけれど。
  萬歳楽「一級・一合三〇〇円」は、僕には優しい味わい、というのか包みこむように酔いが回ってくる感じが何ともいい。この酒はホワリとしているけれど、爽快でもある。
 『てらき屋』は何のてらいもない店である。魚は、なにしろ魚屋だから、言うまでもなく良い。カウンターにいて「魚屋を一軒背負って酒を飲んでいる」と思えばいいのであって、こんな裕福なことはない。次の日の昼飯はここに来ると決めて店を出た時は、まだ六時台であった。

 次は、犀川大橋を、逆に渡る

  犀川を挟んで『てらき屋』と対称的な位置のビルに『ゆう幸』がある。ビルの川に面した側に看板があるので気づかない人がいるかもしれない。なんとなく、いい感じで入ってしまった。
 ここで飲んだのは『天狗舞』の一級。東京あたりではこの酒を出す店は、やや自慢気に出し、どうかすると主人の語る「ひとくさり」を聞かなければいけないことが多い。僕らは その夜の一番の客だった。モトさんは、冷や。僕は、ぬる燗。この店では、カウンターのすぐ向こう側に「電気燗器」があった。一升瓶を逆さに突っ込んでゴボゴボとやる、例のあれである。あれを使っている店の多くは注文ごとに燗の温度を細かく調節しないものだけれど、この店の板前さんは一人一人の注文に 応じて温度を調節して酒を出していた。とにかく、出てきた酒は僕好みのぬる燗ではあった。ははぁ、機械まかせにしないで、人がやれば「上燗」ができる機械なのだ。

 僕は、鱈の白子ぽん酢、という基本的な肴を食べることにした。モトさんは、河豚の白子の「焼き物」を頼むという。僕は白子焼きというのを食べたことがなかった。
 「河豚の白子焼き」は、白子を適度な大きさに切って、網の上で焼いたもの。外側がややカリッと仕上がっていて、ほんの少しこげ色がついている。
 僕があまり物欲しそうにしていたのか、モトさんがすすめてくれたのでひとつ口に運んだ。ちょうどいい具合の塩味で、中はほんのり暖かく、噛むと多少水分のとんだ白子がトロリと口の中に広がるのである。その、滋味と旨味を味わい回しておいて『天狗舞』を、すする。
 泣いて、笑う。
 ひとつでは食い足りないので、もう一人前追加注文し、鱈と河豚の白子の違いも食べ比べてみたくなったので、鱈の白子焼きも一人前頼んでしまった。
  白子の水分が抜けるせいで、ぽん酢で食べるよりコクがあり、鍋にして食べるよりは火の通り方が弱くて白子そのものの味が堪能できる。カマンベールチーズのもっともいい状態に熟れたのを食べた感じ、これが一番例としては近いが、あくまでも河豚の白子は河豚の白子の魅力を発揮している。

 近江町市場から、市中探索

 次の朝、近江町市場に行った。一般消費者を相手にする「いちば」なので、そんなに早朝から営業しているわけではない。市場の人が仕入れから戻って、商売を始める前に腹ごしらえをする店が何軒かある。そういった食堂で、安くて旨くてたっぷりある食事を腹に納める。そのあと、市場好きの二人で、店をじっくり覗いて回る。この市場は、誰も買える市場の中では「秀逸」で、金沢に行ったら時間を割いて見に行ってみる価値がある、と独断している。
  市場の繋りに、「大沢」という酒屋さんがあって、地酒がびっしり揃っていた。四合瓶で主な銘柄をピシッと並べてあるのはなかなか美しいもので、何が何でも一升瓶でなくてもいいなぁ、という気持ちになってしまった。
 そのあと、九谷焼の店々を見て回る。とにかく街を歩き回るのが好きなので、見つけた店に片っ端から入る。前にも書いたが、いいなぁ、と思わず声が出てしまうような物は例外なく高い。それにしても、若い工芸家や作家の作品というのはなぜああまで「家庭生活に馴染まない」姿をしているのだろうか。まぁ、僕は「作品」ではなく「日常食器」が欲しいのだから、思想が違うわけだ。テーブルにあったら目障りな食器というのは、実は困りものである。
 のどが渇いてお茶を飲もうと、金沢名物の「生麩」の店に入った。抹茶を喫しながら麩饅頭という物を食べる。生麩で餡をくるんだ物で、なかなか乙な物だった。もちろん、甘い物を食べないモトさんは、それは食べなかった。
 予定通り『てらき屋』で昼飯を食う.酒を飲みますか、と言われたが、どちらかというと日が傾かないと飲まない質で、ご飯だけ。焼き魚に、粕汁とご飯。
 さて前日同様、古道具屋の探索に回る。古道具屋という看板を出している店は今時少なくて「古美術」である。これが本気の「美術品」になると、手が出るとか出ないの問題ではなくな
る。安くて面白い物があったら買おうと思っていても、ハナッから無理なのである。兼六園にも行かず、この古道具屋めぐりとみせさがしで夕方まで時間をつぶして、さて、酒にかかる。

 鰯に泣き、白子に絶句

 金沢の街では「片町」周辺を捜せば、いい店が必ず見つかる、と思う。暖簾でどう判断するか、赤提灯の古び方をどう見るか、店の名前から何を読み取るか、人それぞれだけれど、僕らは「地酒」が多種類置いてあるという『三十間長屋本家』に吸い込まれていった。この店がいう「地酒」は石川県のものだけでなく、全国のそれである。ただし、僕らはその県の酒を飲みに行くことを目的にしているので、『菊姫』の原酒あたりから始めることにした。
 酒好き酒呑みに、菊姫の原酒が旨い、といっても「いまさら何を」と叱られるだろうが、キリキリに冷えたこの酒をワイングラスに大盛りで注いでくれると、もうすでに気持が充分おいしい。言うまでもなく素晴らしいが、温度が上がってくると僕の好みを越えて甘さが出てくる。
 ま、その前に飲み干してしまうのが常なのだけれど。
 僕は、原酒というやや濃い酒より普通の濃さの清酒が好きである。だからそれで舌を潤しておいて、少し研究のために、『大日山の吟醸』、『白菊の純米吟醸』などもやってみた。旨すぎてかなわない。
 どういう酒呑みに分類されるのかわからないが、真実結構な酒を少しいただいて堪能してしまった後は、しばらく飲み続けるのに向いた酒にしたいので『萬歳楽』『天狗舞』の一級にした。これが最近あまりお目にかからなかった珍しい二合瓶で出てくる。間違いなく二合入っている。久しぶりに目にする二合瓶は、なかなか美しい形で、そうだこれは悪くないシステムだな、と思ったりもした。時おり口を変えるためにモトさんの酒を一杯もらったりしながら飲む。
 これがこの店のスタンダードの酒で、このほかに沢山の種類が置いてある中には、先に書いたように石川県の酒の大吟醸や純米大吟醸など高価な酒もいろいろある。また、全国各地のそれも揃っている。石川県という酒処で地元の酒を満喫できて、しかも日本に知られたいい酒が飲めるというのはありがたい。 冬の金沢に出かけたらたいていは食べそうな「甘海老、鰤、じぶ煮」などを食べない二人である。
 この店でも、メインに選んだのは、「氷見いわし・五〇〇円」だった。富山県の氷見から届いた鰯、これを小型の七輪の上に乗せ自分で焼きながら食べるのである。子供の頃、七輪で目刺しを焼きながら食べたことがあるので、これはありがたかった。食べようと思った時に一匹網の上に寝かせて、焼けたところを一口食べて、網の端の方に戻す。まるでしょっぱくなく、堅くなく、程よく脂が乗っている。何しろ旨くて安い、酒が進む。店の仲居さんにも「酒を飲む時にはこういう物がいいですよね」と、酒を飲むことを目的に来たと見抜かれた二人は、言われてしまった。卓の上に出てきた物でちょっとした工夫をするのが好きなモトさんが、この鰯の苦いところをアンキモに少し乗せて食べると不思議に旨いことを発見した。
 鰯だけというわけにもいかないので、メニューをよく見ると「白子のてんぷら」というものがあった。これまた、僕は食べたことがない。さっそくこれを頼んでみる。
 この『三十間長屋本家』がいい店である証拠は、年配の夫婦が静かに食事を楽しみに来ていたり、子供連れの家族が鍋を楽しみながらワイワイやっていたり、怪しげなカップルや青春しているカップルがそちこちに座って楽しそうに食べ、飲みしていることである。 アンキモに鰯の内蔵を塗って喜んでいる四十男の二人組は、異様な存在ではなかったか。
 さて、白子のてんぷらが届いた。間違いなく白子のてんぷらである、てんつゆにつけて食べた二人は、しばし、絶句。その後しばらくして「ホッ、ホッホ」と笑った。
 ついで、泣きに入る。後でテープを聞き返してみても、何も音がしない時間がすぎて甲高いホホホが聞こえるばかりばかりである。てんつゆの味がやや薄いと感じたのは、白子の「らしさ」を充分引き出すための策だろう、案外ムッチリした、かなり成長してもう間もなく雄が雄としての行動に入ろうとする頃の白子のようで、前夜のぽん酢で食べた物よりはるかにコクがある。それが、てんぷらという料理にされる過程で水分が抜け、焼いたものとはまた別の表現力を見せてくれる。もう、こういう物を食べたら、おしまい、である。そこで極まったので、残りの酒を飲みほして「おつもり」にした。

  いい飲み屋なので、そこに居ついて飲み続けたい、という気持ちをモトさんが表現する場合、かなり良い店というのが「帰るのが厭やになった」、わざわざ来る価値があるというのは「布団あるかなぁ」ということになっていて、最上級になるとは「ここに住むか」ということになっている。鰯と、白子で酒を飲み続けた挙げ句、モトさんは「ここに住むか」と言ったものである。
 帰りぎわにメニューを確かめると、この店には「白子の揚げ出し」という、泣きやまなくなってしまいそうな物も載っていた、それは、次の冬、ということにしておく。
 以上、二夜の白子の顛末。





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