東西南僕 18 酒は友だち その6
2002年11月01日(金)
■以下の文は、かつて『オー・ド・ヴィー/徳間書店刊』という季刊誌に掲載した原文に、掲載行数の都合で割愛した文章を付け加えたものです。文中の店がまだあるかどうかの責任は、負えませんので、ご注意下さい。

酒は友だち・その六
暗くなるまで待って、山形。

  岡山、山形、どちらに行くか、と決めかねているうちに、僕が別の仕事で岡山に行くことになった。下調べのつもりで、地元の酒呑みが集まるという店に行ってみると。皆さん県外の酒を飲んでいた。山形に決めた。目標は、寿司屋にある酒。

 奥さん、倉庫に走る

 昼過ぎ、東京を離れて仙台経由で山形市へ。ホテルから「友が待っているはずの」寿司屋に電話して場所を聞き、着いたのはもう夕方。酒を飲み始めるにふさわしい時間であった。この、黄昏だったことがいかに幸運か、僕らは知らなかった。
 寿司屋さんに入ってつまみを食べて酒を飲むだけ、ということは、寿司職人に悪いのでいつもはやらない。同じ思いのモトさんが、『寿司まるでん』の暖簾をくぐってすぐに、「寿司屋さんに入って悪いんですが、つまみと酒だけでいいですか」と言った。まぁ、それに対して駄目と言う主人はほとんどいないだろうけれど、この店の主人は、うまい酒を揃えていることに自負を、自信を持っているのだから、いやはない。
 透明プラスチックのケースに、酒のリストが挟んである。季節によっては切れている酒もあるが、ご主人の後藤さんが直接蔵元に出かけて仕入れてくる酒で、市販ではまず手に入らない酒もあることはある、とのこと。それと、倉庫にはあるが、まだ落ち着いていないので出さないという酒もある。蔵元の場所、酒造会社名と杜氏名、酒米の種類などを書いたリストである。この一覧表、とても覚え切れるものではない。
 まず、遊佐の『芳・かおり』という酒で始めた。知らない酒が多いので、リストを見ながらご主人と話しお薦めに従って、初めの一本を飲んだのである。肴は「さより、トロ、鮃、えんがわ」ときた。この後の肴のことは書かないが、それぞれの酒に合った物を選んで出してくれた。寿司屋さんらしく、握ったらここが旨いけれど、つまみにするなら別の部分がいい、と同じ魚の別の部位を切ってくれたりする、旨い。
 以下酒は順に、酒田の『上喜元』、高畠町の『米鶴・巨匠』、山形の『霞城寿』、山形の『いばらとみよ純米吟醸』、鶴岡の『栄光富士ひとりよがり』。どうにも、次々に素晴しい酒で、しかも前の酒の印象が濃いうちにすぐ後に飲むのだから、僕でも個性の違いがわかって、楽しい。しかし、上の上クラスになると旨さがある点に集約されていて、それぞれの蔵には失礼かもしれないが、酒が似てきてしまう。
 『巨匠』はその名前とともにモトさんがいたく気に入った。この酔友を、僕を含めた仲間が「巨匠、本山」と呼ぶことがあるので、この酒はぴったりではあった。しかし、自然児モトさんは『いばらとみよ』にも感服した。清酒の名前に魚の名前をつけるという意表をついた点がなにしろ面白い。いばらとみよが棲めるほど水の清い所だ、という意味を含んでいるのではないか、と後藤さん。僕の方は『ひとりよがり』が口に合ってしまった。
  寿司を握り、魚をおろし、酒のあれこれについて話していると、ご主人、飲ませてみたい酒があるということになる。その度に、すぐ近くにある酒用の倉庫に奥さんを走らせる。その酒は入ってすぐの右、奥の左、一番奥の上、という指示に従って奥さんが重いケースを店に運んで確認し、そこから一本取り出して飲ませてくれるのである。ひたすらありがたがって飲むしかない。
 さらに、『まどか』。そのあとこういう酒もあるんですと「ひとりよがりの会社の別の酒・火入れしたものの3年物」を飲ませてくれた。これは、シャトー・マルゴーの『白』に似ていて「へぇー、清酒もこうなりますかねぇ」などと口走ってしまった。モトさんは「こういう酒飲むと、元に戻れなくなるな」と言ったものである。
 巧みというか、達人というか、そう言われれば、そういう酒を出した方は元の酒に戻れるようにするためにさらに「別の酒」を出さないわけにはいかないのである。
 で「8年物の18.9度の酒」が現れた。これは、米系でいえば紹興酒のような味わいだけれど、瞬間「シェリーだ」と思ってしまう色と香り。
上手に寝かせておけば見事に変身するとわかっていても、清酒を何年も貯蔵しておくことができない、まずたいていは酔った勢いで飲んでしまうという話をしてもとの酒に戻った。そのあとは『巨匠』と『ひとりよがり』をそれぞれにおかわりして、猛烈にいい気持ちになった。

 山形の昼地獄

 言っちゃ悪いが、山形市は「味気ない街であった」。
 朝食の後、夕方酒を飲み始めるまで何をして過ごすここれまで書かなかったけれど、基本的には市場(いちば)に行って地元にどんな魚が届いているのかを調べる。他に、古本屋、古道具屋・古美術店、大きな書店(地元の自然に関した出版物を探す)を巡る。その途中、古い佇いの通りを発見すれば端から端まで歩き、珍しい物があれば店の人に尋ねるためにしばらく寄る。
 モトさんは、刃物屋を見つけたら入り、僕は老舗の菓子舗があれば入って見る。その地元らしさと歴史のようなものを、語ってくれる人、話すことのできる場所、を捜して時間を使うのである。
 山形市内には、それがほとんど絶無であった。あまりにも見る物が無いので、博物館に入ってしまったが、ここに「蔵王の樹氷原ジオラマ」という絶望的に味気ない展示物があって、呆れ果ててしまった。山形駅の一つ前の駅近くに市場の看板を見つけていたので、一駅分の距離を歩いて行ったのだが、この市場はすでに死んでいた。山形の味がどういうものかを発見できそうな雰囲気の店を見つけることもできなかったので、昼は前夜の『まるでん』に行って寿司を食べた。
 午後二時過ぎ、とうとう歩きあぐねた僕らは、喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。しかも、話題にすべき何物も無いので漫画の単行本を手に取った。日頃漫画を見るということがほとんど無い二人である。前代未聞である。何とか、暗くなるまで待って、そそくさと酒の香りのする界隈に向かった。

 山菜三昧酒三昧

 おおよその場所がわかっていても、ビルの地下にある飲み屋というのはなかなか見つけにくいもので、行ったり来たりしながらとうとう『宝山』にたどり着いた。例によって、その夜のハナの客となった。
 何種類か酒があったけれど、前の夜に飲んでいる酒はやめて『羽陽男山、吟造り・純米』というのに取りかかった。吟造りの何たるかは僕はよく知らないけれど、地元の季節の肴「山菜」にスッと身を寄せていくように馴染む酒で、こういうのは心の中で「なるほどねぇ、巧く造るもんだわ」と思って黙って飲む。
 行者にんにく、しどけ、こしあぶら、など盛り寸前の山菜類を口に運び、香り・ほろ苦み・歯触り・それに野生の個性の強さを味わいながら、手を尽くして仕上げた酒を飲むのである。この組み合わせ、絶妙である。野菜として人に選ばれずに山に残された「山菜」と米の化身の液体が人を酔わすのだから、面白い。
 この時に、すでにカウンターの端にある雑誌に気づいていた。アウトドア系の雑誌が並んでいて、巻頭にモトさんの作品が載っている本である。それはいいとして、まだ雪の深い渓谷に入って釣りをしている主人の写真がびっしり貼ってあるらしいアルバムが3冊ほど置いてあり、話しの間に間に、アルバムを見てくれ、見ればわかる、と言うのである。
 徐々にこれが辛くなってきてしまった。
 肴も、凝らない分だけ素晴しいし、酒の選択も悪くないのだが、話の流れが妙な方に行きそうになったので、四合瓶を飲み干したところで、退散した。
 立派な酒が続きすぎて、良い店が続きすぎ て少し「日常的な店」に入りたくなっていた。

 通りすがりに、黒猫、という店の暖簾を見つけた。黒猫、というのは、一般には「バー」の名前である。しかし、暖簾に黒猫が染め抜いてあって、この猫がモトさんにはとてもかわいい。で、この猫をスケッチし始めた、その横を三人の客が入って行き、そのうちの一 人が暖簾の内側から顔を出して「何してる?」「これが可愛いから描いている」というやりとりがあって、その時に中が少し見えた。何やら「悪くない」ので、入って見ようか、ということになった。
 酒は『一声』。何でもないけれど、ホッとする酒だった。ぼくらが日頃何も言わないで店に置いてある酒を飲むのが、ちょうどこの酒のような酒。普通の酒で、質がいい。
 実はこの店で僕らは困ってしまった。初めて入った山形の飲み屋なのに、もう何年も通いつけている店だったのである。ついこの間まで、東京の赤坂にあって、親爺が「面倒くさくなって」たたんでしまった店にそっくりなのだ。我々が何年も通って馴染みに馴染んだ店は「親爺」だったけれど、ここはばあさんである。
 ところがこのばあさん、店の切り盛りの仕方が、僕らをさばいた親爺にそっくり。たまたま店に入ろうとして、グズグズしている若い女のグループが、入るの入らないのと言っていると「ここは、予約が入っているから、(あんたたちは入れないよ)」と目の前の空席を指して娘たちを追い払ってしまった。むろん、そんな予約なんか無い。それも、僕らが何年も見慣れた「親爺」のやり方で、馴染みの客と話が弾んでいるところに一見さんが来て話が途切れてしまうのが嫌いで、「ああここお客さんが来るから」とどんどん断ってしまうのと全く同じやり方だったのである。それを旅先で見ることができたものだから、うれしいの大笑いの、であった。クククと笑いつつ店を出て、今度は大笑いになった。黒猫という店に行くために、山形に行ってもいい、ただし夜着くように行きたい。
 この店に入ったことで、力が戻ってきた。酒も良いし、変わった物を食べさせてくれる店だと、まるでんの主人が教えてくれた「味処い組」という店に入った。
 この店は、優れた店である。「今の店」でありながら、気持が正座している。こういう言い方が合っている、と自分では思う。酒呑みはカウンターに座りたい。
 季節ごと、というよりは毎日違うんだろう けれど付き出しは「ぎぼしと、ほたるいかと、蟹足にもう少し何かあしらいがあって」それに三杯酢がかかっている。これが、光を放っているのである。酒は、ここまで来たのだから飲んだことのない物を選ぶことにした。
 『吾妻の白猿』と『自然流』が二合入りで並んだ。この山形の旅で飲んだ酒は僕にはほとんど初めての酒であり、『一声』を除けばたいていは吟醸か大吟醸である。旨いの何のと言うこと自体が口はばったい。個人的な好き嫌いで言ってもどれも旨い。友人が、これしかないんだけどどうだ、と言って一晩飲むことになって「もうちょっと口に合う酒はないのか」と、言いそうな酒は一本もない。見事なのだ。
 それにひきかえ「街がなぁ」と、何十回二人でつぶやいたことか。
 『吾妻の白猿』と『自然流』を堪能して、 そのあとは『雪満々・二年古酒』と『朝日川』に移る。この「味処い組」という店は、清酒を飲ませる店としては「新しいタイプの居酒屋」だが、程好い。むしろたたずまいは昔ながらの気分をとどめているが、カウンターの中の人々の意識が、今素晴らしくおいしくなった清酒に、昔ながらの肴では「惜しい」ので、少し考えてみようじゃないか、という態度でやっているように思う。それが、行き過ぎないで、ちょうどいいところで仕事がなされているという感じ。酒も肴も完全にいただいたところで、清酒・醸造酒部門は終わり。 最後にちょっと、西欧の蒸留酒を嗜みに行って、山形の夜はおしまい。
 たった二晩で、十五種類もの大変結構な酒をいただいてしまった。そのどれも、あれはいけませんね、と思えないのだから、山形は確かに酒どころである。
 それにしても、昼は味気ない、街が死んでいる。酒呑みの、正しい山形の楽しみ方は、暗くなってから到着、目当ての飲み屋でじっくり楽しんで、次の朝出発、これしかない。

 以上の他に、それぞれの夜、蒸留酒を飲みに行った店のことを書かなければいけないのである。完成原稿では長くなり過ぎると思ったのであえて書かなかったが…
 最初の夜には、まるでんの主人が地図の上にマークしてくれた「あまり酒の種類は置いて無いが、ワンショット・バーとしてはお薦めする」という店に向かった。
 この角からすぐ、と印をつけてくれた角からベタベタにビルを調べながら歩いたのだが、無い。酔った目で探しているのだからきっと見逃しているだろうという思いが僕にもモトさんにもあり、かなり「必死」に探し回ったのだが、無いのだ。見上げて探すのは苦しいので、互いに通りを挟んで歩き反対側のビルを眺めながら歩いたりもした。細い路地があってその奥にひっそり隠れているかもしれないなどという奥深い路地などは無い町なのだ。何せガランとした山形である。通りに面したビルの二階となると見つけるのは実に簡単なはずなのだが、無い。散々探してとうとう見つけることができなかった。
 なにも、そこ以外に飲む所がないわけじゃないので適当に勘で探してやろうじゃないか、ということにしてしまった。で、どこをどう歩いたかとても説明はできないけれど、とある「地下に入って行くバー」に降りて行った。木の、磨り減った階段で、バーの中の壁の一部は昔のままの煉瓦がむき出し、いわゆる「この店から時代をぬぐい去ってしまうとほとんど何も残らない」店なのであった。
 カウンターの中央が開いていた。右には、カウンターに凭れかかって中にいる女と話している赤い服の女、左には上着を脱いでYシャツ姿になって飲んでいる若いサラリーマン二人。僕は「古い店だなぁ」と「さて、何を飲むか」ぐらいのことしか思わなかったのだが、モトさんは「韓国人の店に入ってしまった」と思っていたらしい。右手にいて話している女同士の会話がまるで耳に入ってこない、理解が届かない、どうも言葉が日本の物ではないと思ったというのである。ところが、同じ瞬間僕は「ああ、やっぱり東北言語圏だなぁ、仙台のイントネーションに秋田弁の訛りを乗せるとほとんど山形弁になるみたいだ」と感じていたのだ。
 モトさんは、室蘭育ちなので「やや重い発音の北海道標準語」を完全に話し聞き分ける。さらに、僕が教えた「基本・南秋田郡の訛りと言い回し」も身につけている。それに、これまで数え切れないぐらいの「青森、秋田内陸部取材」を体験して、多くの地元の人と言葉を交わして仕事をしてきているのだから、東北の訛りにはかなりな自信を持っていたのである。ま、東北弁のフィールドワークは充分に積んでいるのだ。
 だから「ほとんど聞き取れない言葉などあるはずが無い」と思い込んでいたのだ。だから、聞き取れないことを、外国語それもハングル語だからだ、と思ったのである。そうでも思わないと、モトさんのこれまでの東北弁への傾倒が無になってしまう。
 実は、見事、無になってしまったのである。
  ハングル語でも何でもなく、山形弁の純米酒、だった。かくして、モトさんの東北弁に対する自信は雲散霧消。あの無数の言葉を交わした青森の、秋田のおじさん達青年達おばさん達は「東京から来たモトさんのために、わかりやすい東北弁を一所懸命話してくれたのだ」ということまで浮き彫りになってしまったのである。
 このショックは、かなり大きかったようで、この後ずっとこの「聞き取れない」ことを悔しがっていた。
 さて、蒸溜酒はいつものように選んで、モトさんはカウンターの中の「おじさん」と話題を拾いながら言葉を交わしていたのだが、何かのことがをきっかけに、そのおじさんが「私は女です」と言った。ワハハ、おじさんではなくおばさんなのだった。灰色の髪、バーのカウンターの中にふさわしい少し古びたベストで、酒にも世間話にも味わい深く通じている「おじさん」が、おばさんであることにまたまたモトさんはショックを受けてしまったのである。




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