東西南僕 20 大野市の名水
2003年03月08日(土)
 水不足の名水

 これは、不機嫌な旅の話。

 いい水が出ることで有名な福井県大野市に出かけた。市内に清酒の蔵元が七つあるという話を聞いたことがあったが、目的は酒ではなく水である。
 ある土地の取材という場合、その町その市の役所の観光課に連絡を入れて資料をもらい全体像を掴むのが便利である。取材に出かける前に自分で集めたガイドブックなどではわからないことも多いので、ずいぶん美化してあるとは言え、地元からもらった資料を読んでから、役所を訪ねる。それを基本にしている。
 大野市を訪ねた時は時間があったので、役所に行く前に大野市の水の拠点を一通り見て回ることにした。

 『御清水』。これを「おしょうず」と読む。日本各地の名水の「清水」はこの読みが多い。
 その場所の立て札には…天正年間に大野へ入封した金森長近公が城下町を築いた時、その場所に四十間四方の水たまりを設け、城郭内堀の源泉として、災害や戦争に備えたと…大野町史に記されている池だとあった。
 「水清き大野の象徴として親しまれ、現在では共同洗い場として重要な役を果たしています。ここにも以前は陸封型いとよが棲んでいましたが、初冬から春にかけての地下水位低下による慢性的な湧水の涸渇現象により、現在は棲息していません。昭和六十年、名水一〇〇選に認定されています」
 …とあるのだが、その名水に勢いがない。勢いよく湧き出ていて、水が流れ下るなら洗い場にもなろうが、それが無理に見えるほど水が少ない。
 名水一〇〇選に選ばれた場所の多くには、そこを観光の目玉にしようという思いがある。「名水」を大切に保存する必要があるということと観光の目的も果たすということで、周囲をすっかり「観光用に」整えている。その工事のせいで、地下水脈を傷つけてしまい、水の出が悪くなったというあきれるほど間抜けなところもある。
 保護なのか破壊なのかわからない場所も(実は、かなり)ある。

 なにしろ水が出ていないので、様子が悪い。水の周囲の石積みを見ると、たっぷり水が出ていた当時の水面の位置に跡が残っているが、そこからはずいぶん下がっている。地下水位がゼロより高ければ水が噴き出るわけで、現在は地下水位が下がってしまったということである。地下水の水面が、地面より下になってしまったということ。
 立て札にある「慢性的な湧水の涸渇現象」の原因は何だか、役所で聞こうと決めた。
 名水の地元で、水が涸れるようになったと書く観光案内はないが、行ってみると涸れているところが多くある。しかも、役所側ではその原因について我々のような取材相手には言いたがらない。大野市がそうでないことを願っていた。

 次は、「いとよ生息地」本願清水に回った。
 立て札に「天然記念物、いとよ」の解説があり、次にイトヨ保護のための大野市の対策についての文章(私自身は生物の名を基本的にカタカナで書きます。看板の文章はそのまま書き写したので、いとよ)、以下がそれ。
 『昭和45年頃から地下水位の低下にともない、秋から冬にかけ湧出水が涸渇し、いとよはほかの場所に移転していました。昭和53〜55年度にかけて工業余水を導入し、さらに地底部の改良によって涸渇の心配がなくなりました。いとよの棲息を見る大野は、水の町大野の誇りです』(この文章の文末がおかしいのは私の間違いではない。生き物を移転させるも、おかしい)。
 この、工場の「余水」というのは、近所の工場が空調用にくみ上げた地下水をそれだけに使って捨てるのはもったいないので、この池にもらっているということであった。
 これが、唯一大野では水に関した明るい話題、なのだそうである。
 この池でも、季節によって湧水が涸渇するとあるだけで、原因については書いていない。

  町の中は文字通り、至る所に「名水を自由にお飲みください」という水飲み場が用意してある。この文章で感心して欲しいのは、「至る所」というところ。商店街ならまずほとんどの店頭脇に蛇口があると言っていい。正しく「至る所」なのである。この町では要するに、水をまいたり、掃除したり、車を洗ったり、便所で流す水がそもそもすべて「名水」なのである。
 抜群に素晴らしくて豊富な水を、素晴らしいともなんとも思っていない様子。生まれた時からその水を使いたいだけ使ってきているのである。素晴らしい水が豊富に出る土地の人がほとんどこうである。日常の「当り前」に、そうそう感謝していられないということはわかるが、清酒の蔵元が仕込水に使うのと同じ水を、ただで洗車に使えることは、もったいないぐらいの意識があってもいいように思う。無理か。
 そんなことを見てから、役所に向かった。

  御清水の渇水状況をまず質問してみた。冬の渇水の原因は何でしょうか? 本願清水はいつから出なくなったか? それを聞くと、もう20年ぐらい前から出なくなったのだという。水が出なくなってから20年もたっているのに、原因を調べてもいないし、その対策もしていないというのは明らかにおかしい。
 でしょ?
 変だと思ったので、その辺を繰り返して質問したが、口ごもるばかり。
  我々の取材を、通り一遍の「観光取材」だと思って待っていたようだが、私は「そんなに甘くない」のだ。
 何も答えられない観光課の女性にかわって、課長が横から言葉を挟むようになった。しかし、なぜ水が涸れるようになったかについては、観光課ではわかりかねるというようなことを言う。だんだん徹底した役所的な発言になっていくので、私は腹を立てつつも、すごく楽しんでいた。
 私の仕事そのものは企業のPR誌の取材だから、その点を突っ込むことが取材の目的ではない。辛口の記者のような物言いは避けたが、「わかっていても、公にしたくないんだな」とは感じられた。
 例えば昔からの習慣でジャンジャン水を使い続けていたら流石に水が不足しはじめたし、その他にもいくつかの原因が見つかり、町としては市民と協力して「これこれこういう対策」を講じて、せっかくのいい水を無駄づかいしないようにすることができた…というような話になるのなら、水関連の製品を作っている企業のPR誌にはふさわしい記事になる。
 しかし、涸渇しはじめて20年経つのにその原因をはっきり調べていない、というのは、怠けているだけですよ。その返答が怪しいし、このままでは取材に出かけた意味がない。

 「涸れたというよりは、使う量が増えたので地下の水位が下がってきたということではないか」、これを役所の人が何度も繰り返す。「ないか」という語尾は、確認していないか、言いたくないか、責任逃れか、である。涸れる前と涸れるようになってからの水の使用量の変化は、わかっていないという。そうすると、水の使用量が増えたという理由がおかしい。
 しかし以下のように話が続く。
 この町はあらゆる水を、地下水に頼って来た。工業用水にも使われるようになった。しかも道路は舗装され、河川にはダムができて川には水が流れず、浸透する水が止められてしまった状態である。上流での地盤整備なども原因のひとつに数えられている。それでも田んぼに水が入る時期になると地下の水位も上がってくるという。
 それでは冬の渇水は、明らかに冬の間田んぼに水を入れないので地下に浸透する水がないからということになるはず。冬の渇水の原因は大体はわかっているということでしょう。
 ダムができて川底が乾き、農道まで舗装され、田んぼの地盤整備がなされた…であれば、地面に滲み込む水が少なくなってしまったことは明らかである。全ての原因がそれとは言えないけれど、大きな部分はそれでしょう。

 ここでいう地盤整備というのは、農作業を機械化するために田の地盤を「固くするため」に整備することである。
 どう整備するかと言えば、田の養分のある上の方の土を一旦掘り起こして寄せておいて、底に粘土質の堅い土を入れてから、表土を戻す作業である。こうすれば機械が沈み込むことなく農作業ができるという次第。この粘土層によって田に張った水が地中に滲み込まなくなる。農業をする側から言えば、地下に水が逃げなくなる。
 これで地下水が涸れる。
 これは新しい農業形態のために必要な作業ではある。でもその結果、地下水が涸れる現象を引き起こしているという次第。何か解決策はないものだろうか、と素人は思う。
 ダムができ、発電できるようにしたはいいが、そこで流した水を川に戻さず別の水路に流して再利用しているという話だった、それで川はカラカラ。川というのは、その底から地中に大量の水が滲み込んでいるので地下水源としては欠かせないものなのである。

 ね、素人でも地下水位が下がる原因がわかってしまうのですよ。それに農道の舗装、これで雨が地中に滲み込まない条件が揃う。
 今、農作地帯は高齢化もあって、家から自分の畑やたんぼまで軽トラックで行く人が多い。農作業用の機械をトラックの後ろに積んでいったりもする。だから、軽トラックが走れる畦道はできるだけ鋪装して走りやすくしてまう。それが町からすれば、町民への親切、である。
 青森ではリンゴ畑の道が全部鋪装されて、しかも主道から木々の間まで軽自動車が走れる道が続いているところもあった。これほど鋪装されると、降った雨は地面にしみ込まず、U字側溝に流れ込んで山を下るのみ。地下水は涸れる。
 ダムも、地盤整備も、舗装も、地方自治体としてやったことなので、自分達のやったことが原因でとは言えないので、口ごもっているのではないか、と私は勘ぐるのである。「私」は、ね。 観光課ではない水対策担当の人も来てくれたけれど、地下水が涸れた原因については、わからないとしか言わなかった。わかったという結論を出す頃には、取り返しのつかないことになっていると、私は勘ぐっていた。
 
 地下水が「公水か私水」という論議が起こっている、と言っていた。
 これは初めて聞いた話題で「公水・私水」という言い方が面白かった。これまで、水道料金などというものを払うこともなく、自宅の地下から水をくみ上げて使うのが当り前だった。そのせいで上水道が発達せず、水道料金という収入も当てにできないできているというあたりを、市としては「改善」したくてしょうがないらしい。
 市民が何不自由なくきれいな水を使うことができるなら、上水道など不要。ただし、そのきれいな水が無くならないように皆で考える、あらかじめ様々な手を講じておく、とは思わないらしい。他の土地のように水道を引かなければ、と思うのだろう。 
 それぞれの家庭で地下水をポンプでくみ上げているので、この町では上水道の普及率が一〇%ぐらいだといっていた。自治体としては恥ずかしい様子。その一〇%も実際はほとんど使われていないと聞いた。
 上水道がなくてもまるで困らないのだから、水道は使わない。水道代なんか払いたくはないは当り前でしょう。

 地元の企業に対しては、地下水の使用量がわかるようにメーターを付け、その量を明確にし報告の義務も課している。また、地下水の再利用などの施設を作る場合には、補助もしている。地下水の警戒水位というものを定め、そこまで水位が下がった場合には、節水を呼びかけるというようなこともしている。あくまでも呼びかけるだけだそうだ。

 「公水・私水」の結論が出ていないので、地下からの取水を停止しろとは言えないわけだ。家庭にも地下水の使用量がわかるメーターをつけて、どれぐらい使っているのかを把握しようとしているが、そこでも公水・私水論議が起こっている。
 まぁ「これからは地下水を公の水と認めて、一人の人が多く使ってしまうような水の使い方ではなく、皆の水と認め、それを使った人は量に応じて協力費を支払うというような方向に持っていくことができれば、素晴らしい水を使っていながらその素晴らしさに対する無関心や、これまで気づかずにいた無駄づかいなどにも気づくことになるのではないか」と役所では思っている。
 と言っていた。これも、一説、である。
 原因を調査し、町の人と話して、手を打ちたい。でも、これができていない。
 公水、私水、というのは、ほとんど言いがかりに等しいと私は感じていた。

 私達は、以上のいわゆる「お役所的発言」の繰り返しでは取材にならないので、役所での取材を切り上げて、水の町を歩き回ることにした。

 自分たちが使っている水に関して、どう思っているかを聞くと、市民はしっかりした考えを持っているし、役所のような曖昧な物言いはしなかった。
 例えば。
 普通は、地下水脈があってそれに当ればその水脈から水をくみ上げることができる。しかし、その水脈から横に100m離れるともう水が出ないのが普通だが、大野は盆地全体が水瓶の状態になっていて、水に浸って地面があって住んでいるところはそれより少し高いだけ。だから、どこを掘っても水が出る…と、明解な話も聞けた。

 また。
 一度地下水が汚染されたことがあったそうだ。たまたま揮発性のものだったので、その汚染は長く続かなかったそうだが「上水道がない土地だから、絶対地下水を汚してはいけませんよ」である。上水道がない、と言っている。
 盆地をお椀のように考えると、「下の方」には地下水が溜っているので、地下水の量はかなり豊富だそうだ。
 盆地を、お椀と考え、お椀が少し傾いているとして、その水のあふれそうになっている側が、盆地の下の方である。だからそこに住んでいる人たちは「この辺りは、まず渇水するということはない一帯で、ここまで渇水してしまうということになったら大野の水がなくなるということでしょう」と言っている。

 こんな話も聞いた。
 「御清水」が出ているということはですね、
 地下水位が0m以下ということでしょ? そこから少し下がると噴き出なくなるわけですが、マスコミ関係の人はそれだけでも「大野の水がなくなった」という言い方をするんです。でも、そういうことはないわけです。地下には水が大量にあるんです。噴水しないということは、現象で言えば「地表に出なくなった」というだけのことですからね。

 さらに。
 真名川ダム、九頭竜ダム。かつて暴れ川だったことが、その名前からもわかるような九頭竜川の水が地下水の供給源だったが、今川原を見るとカラカラ。「大雨が降れば放水するものの、そうでない時は発電だけに使って、その水を川に戻さず、パイプでほかの発電所に流しているので、川底からの涵養量はうんと減っているわけですよ」。地下水の不足の原因は、わかっているのだ。
 「水を使う量が多くなったことと、涵養量が減ったということで言えば、その原因として水田の基盤整備があげられるでしょう。その整備を大野の地下水の涵養地帯で大々的に行ったので、地中に水が滲み込まなくなった。それともう一つはダムです。水力発電のためのダムができて、川に水をしょっちゅう流すことがなくなったので、川底から浸透するはずの水がなくなってしまいましたね」と、地元の、ちゃんとわかっている人が言っているのだ。
 私のは勘ぐりは違っていなかった。

 こういう風に教えてくれた人もいる。
 「冬場にどうして渇水が起きるかといえば、水田に水を張らなくなったからです。雪しか降らないし、その雪が解けるまでは地下水の量が減るから、どうしても井戸涸れが起きるわけです。そういう時だけは水道を使うわけですよ。ところが、春先になって田んぼに水を張る時期になると、おいしい水がどんどん出るわけですから、上水道のまずい水なんか誰も使わないんです。上水道を引いている家のほとんどの家庭が基本料金しか使わないので、毎年水道局が赤字なんです」と、私の質問に答えてくれた。
 個人的な意見を、私個人が聞いたという次第。
 これと全く同じ現象が、日本の名水の周辺で非常に多く起きている。名水の周辺だけではなく、湧き水が消えてしまうのにはこういう理由があると知って欲しい。

 大野市には、福井県に三軒しかない酢の醸造元のうちの一軒がある。
 いい水といえば、まず酒、次に醤油、味噌、豆腐屋、うどん蕎麦といった店を訪ねるのが「基本のように」なっているのが、酢の醸造元を訪ねる初めてだった。醸造元のご主人は、科学者であり物言いが明解であった。
 酢屋さんの教えてくれた話。
 人間は生理的に、暑くなると酸味を必要とするそうである。精神的にストレスが高い時に酸っぱいものが欲しくなるんです。妊婦が梅干しを欲しがる、というのもそれ。
 「飢餓状態の時は甘いものが欲しくなり、満腹して精神的なストレスが高くなると酸っぱいものがおいしいということになります。冬より夏の方が酢の消費量が多くなります。北の方より南の方が酢の消費量が多い。
 福井県に三軒しかない酢の醸造元ですが、酢の醸造元をプロットすると近畿、西日本、九州に集中しています。しかも面白いことに海岸沿いに集中しています。海産物との関係で、昔は塩漬けか、乾燥か、酢に漬けるかしかなかった。それで、海の幸が獲れるところでは酢が欠かせなかった。
 そういうことで言うと、福井県の山の中に酢の醸造元があるのは珍しい、のです」。
 こういう話を聞けることが、初めての人に合う楽しさである。

 仕事の原稿は、結局、豊かな名水に満ちた大野市ということと、現在は水が涸れて来ているということを書くだけにした。

 市内に清酒の蔵元が七つあると書いたが、中の一軒で、「うちだけ酒の質(たち)が違うんですよ」という蔵があった。その蔵元が使う水の地下水脈が通っている層が、他の蔵元のそれと違うらしい。水を飲ませてもらったら「キンキン」した水だった。花崗岩の間を流れてくる水だといっていた。水は飲んだけれど、酒は飲ませてもらえなかった。
 地下水に含まれている鉄分は、水の層によってかなり違うことはわかっているそうだ。

 取材というのは、こういうことが実は多い。

 あとがき:今は事情が変わっているとは思いますけれど。




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