焼酎の話を聞きに九州へ
2003年10月23日(木)
 この件、いつにもまして、「枕」が長いです。
 講談社「世界の名酒事典」に、日本の本格焼酎のページを加えるという話がありました。
 2003年度版から「世界の名酒事典」は、分厚くなって、日本の焼酎も載るようになった。本格焼酎は「世界の名酒」というに相応しいと私は思う。私にその焼酎についての取材仕事が回ってきました。

 これがまた、話が単純ではない。
 この「雑貨屋」の、最初の話にでてくる、福地享子さんから電話がかかってきた。
 内容は「私(福地さん)の代わりに九州の焼酎の取材にいってきて欲しい」ということだった。元々の話は、名酒事典の石橋さんという名編集者から、福地さんに依頼が行ったということで、それを私に「行かないか」といってくれているのである。 
 どうして? 
 私が「だって、福地さんは酒は強いし、芋焼酎といえばあちら出身だから、その香りの中で育ったようなもんでしょう」というと、「その香りの中で育って、いいことが全然なったから、芋焼酎の匂いはトラウマになっているので、その中に浸りたくない。わざわざ田舎に帰って焼酎の匂いの中に出かけたくない」という。ははぁ、そういうこともあるのか、と思った。その拒絶感がかなり強い。
 福地さんも候補を色々考えて、私を思い出してくれたということなので、引き受けることにしました。「私でいいのか?」を編集者の石橋さんに確認してもらった。
 福地さんと講談社の石橋さんは「日本の名酒事典」の最初の版(1985年刊)で編集の仕事を一緒にして以来の仲間のようです。私は、その本で、清酒の酒米で名高い「山田錦」という米の取材をした記事を書いています。

 そういう経緯があって、講談社に行って打ち合わせして、私が九州に行くことになった。
 すでに、取材先が決まっていて、色々な意味で興味深く面白い蔵四軒に行くことになっていた。熊本の米焼酎二蔵、鹿児島の芋焼酎二蔵という塩梅。
 仕事が入ったうれしさはもちろんあるんですが、これまで、清酒、ワイン、ビールの取材はしたことがあったものの焼酎の蔵にきちんと取材に行ったことがなかったので、新しい経験ができることもうれしかった。
 焼酎の蔵に行ったことがないわけではないけれど、立ち寄った程度なので、話をしっかり聞くいい機会だなと思った次第。私が前々から焼酎に関して聞きたいと思っていたことを聞く機会が訪れた、のである。二日で四蔵。非常にあわただしいわけではないが、熊本県と鹿児島県とに場所が離れていることと、できれば芋焼酎に使っている「コガネセンガン」という芋の畑の写真も撮ってきてくれという注文もある。注文に応えるのが、職人です。それで帰りの飛行機の都合を考えるとそうそうノンビリでもない。取材の旅は、あまり余裕があってもだれるし、次を気にするあまり落ち着かないという状態も最悪である。
 カメラマン氏とは「撮ると、話を聞く」をどういう風に組み合わせるか話して、一回で了解しあった。取材の積み重ねをした同士は「いつもどうしているか」をお互いに話して、与えられている時間をどう配分するかを決めれば簡単である。

 さて、私は広告屋で、口先三寸稼業のコピーライターでありますが、はっきり三流です。広告主のお望み通りの「お上手な言い回し」ができない。どう書いても、私のスタイルになってしまう傾向が強い。だから、名指しで来る取材の仕事で、見たまま聞いたまま感じたままを書く方が向いている。そういうこともあって、他人が書く広告文を、疑う癖がある。
 「お上手さん」たちが、本当を書いているかどうかを疑っているのだ。
 それに、もう言葉がすっかり腐り果ててしまった「こだわり」というのを信じていない。拘泥することが、いつの間にか「いいこと」を意味するようになったが、根本的に間違えていると思う。商売道具としての言葉だから、お得意さんが望むなら「こだわり」の山盛りもやるけれど、企業で本当に「言うほど」こだわっているところなどありませんよ。なんであれ、儲かる方法を発見したらすぐにそっちに移り行きます。そういうものです。それこそが正しい「営利を目的とした組織」というものでしょう。
 だから、焼酎について「こだわり」と書くアレコレを「個人的に」確認してきたかった。

 最初に訪ねたのは、清酒の吟醸香のような香りを放つ米焼酎を造った方。
 非常に興味深い人でした。
 こんなことをつぶやいた。「焼酎フェアをやるとジーパンと突っかけで来る、吟醸酒のフェアをやると和服とスーツ、で、ワインのフェアをやるとイヴニングドレスとブラックタイという感じになりますね。そのワインと焼酎の差を埋めたい。そこが私のエネルギーです」と笑っていた。
 話好きの学者のような人、いや実際学者でしたねほとんど。自分の机の周辺に世界中の酒のボトルが雑然と、一部整然と並び、とにかく酒の研究については猛烈に深い人。多くの国に酒の造り方を学びにいっているのです。原料、麹、発酵、熟成、でそういう酒になるか。その原料と麹については、風土的、民俗的背景も勉強してきている。
 酒を飲みながら、そうした話を聞いたら「果てしなく」面白そうな人である。
 吟醸香を持つ焼酎のことを質問すると、苦労話が嫌いだと言うし、「私のように頭が白くなるほど考えて造ったからといって、それに見合う評価があるかどうかは、別です」とも言った。至極冷静である。それから、初めに「こういう焼酎を造りたい」と決めたタイプの焼酎を造るのがいかに難しいかを教えてくれた。
 「吟醸香」を持つ焼酎の難しいところは、蒸留してなおその香りが焼酎に残っていなければならないこと。焼酎にはこの蒸留という工程が当然あるので、その時に飛んでしまうようでは元も子もない。そういわれると素人でも難しいことがわかる。文献や研究所などにあたっても、焼酎で「清酒の吟醸香」を持つものの造り方の前例がない。
 さぁ、困った。
 焼酎は、一旦できた酒を煮立てるわけでしょ。そして水より先に蒸発してくるアルコール分を集める、それを休ませ寝かせて製品化する。さて、蒸留前の「酒」がどういう香りを持っていれば製品になったとき吟醸香を持っているか。これから始めるしかない。
 その方は、麹のタイプ、蒸留前のもろみのタイプ、蒸留のやり方などを、膨大な数組み合わせて、その一つ一つの結果を出して分類してありました。最初100通りぐらいやって、全部駄目。さすがにがっくり来たといっていました。でもね、めげない人なんです。その、全部駄目なことをどこか面白がっている感じ。酒を飲むのが好きで、夜な夜な出かけるものの結局「こうしてはいられない」と店から、時には途中から、引き返すということが続いたそうです。15年かかったあげく、できた。
 何100通りもの焼酎を本当に造っているんです。大きな規模で実験はできませんから、科学の実験のようなサイズで、できあがる焼酎がコップ一杯ぐらいの感じ。でも手間です、これは。その中で吟醸香に近い焼酎の入れ物を並べて、嗅がせてくれました。
 「あ、これは吟醸酒ですね」といってしまうようなものがありました。
 その中で製品化されたものが焼酎好きの間でかなり評判で、いい焼酎・ユニークな焼酎を揃えて商売している店には、貴重な焼酎としておいてあります。
 でもね、本人はもともとその焼酎を「吟醸酒がそんなに人気なのか、じゃぁ、焼酎でやって見せよう」と思って、挑戦してみただけで、本流のつもりはないんです。それがおかしい。

 その15年かかった焼酎を地元の品評会に出したところ、多くの人がこれはいいといってくれたそうです。でもそれは「清酒で、吟醸香がなかなかいい」と思われていたからだった。焼酎なのに、清酒の部門に入れられていたそうです。で、これは清酒ではなく、焼酎だと説明すると評価が裏返って、こんな香りのする焼酎じゃ駄目だと、いわれてしまったと笑っていました。固定観念というのはなかなか改まらない。
 で、そういう評価を地元でもらってしまった焼酎を、本人が知らないうちに友人がモンドセレクションに出品してしまったという。そしてある日、本人に「金賞受賞」の知らせが入った。なんだこれ?! と、思いあれこれ調べてやっと事情がわかり納得。地元の人がいい評価をくれなかった酒に対して、何も前提を知らずに味わった海外の人がうまいといってくれたことだけはうれしかったそうです。
 でも、私は取材したときには「次にかかっている」といっていました。吟醸香のある焼酎はとりあえずできて、東京の人にも評判が良く、海外で認めてくれる人もいた。それはそれでいい。 それで、次はどういう焼酎ですか? と聞いたが教えてくれなかった。
 
 二軒目は若い蔵元に話を聞いた。
 自分が造る焼酎について「それほど個性はないと思うんですが」とつぶやく。
 それでは個性をだすために、父親とは違った何かに挑んでいるのかと聞いてみると、まず「うちの味をしっかり体で覚える」のが先だという。こういう若い醸造家がいるのはうれしい。まずは、うちの味、である。しかも、自分でその味にしているのではなく、いつもの造り方をしていると、うちの味になるようになってきたという。ああ、そういうものかと、納得がいった。
 父に学んでの焼酎造りの経験で、焼酎の味の違いを決定づけるのは蒸留のやり方のようだと教えてくれた。彼は、そう言う、ということですよ。
 「蒸留には、直接もろみに蒸気を吹き込む方法と、周囲に蒸気を通して暖める方法があるんです。直接蒸気を吹き込むと蒸気が水になるから、味が薄くなりますね、それだけで焼酎の味の濃さが変わるんです。蒸留器の形、冷却水の温度によっても差が出ます。冷却水が冷たいとガスになった成分が液体になることが多いし、蒸留器の首の長さによっても味わいが違ってきますね。蒸留器に入れるもろみの量によっても味が左右されます」。
 なるほど、こうしたことの加減をすべて頭と体で把握して、伝統の味を守り、やがて自分の味を造っていくのだろう。原料の「こだわり」について書く人は多いけれど、こういう話をもっと引き出すべきでしょうに。
 また、沸点を下げるために減圧して蒸留する場合は、もろみの味がわりとストレートに出る。常圧蒸留だと温度が上がるのでもろみとはかなり違う個性になったり、温度を上げることで蒸留器の中で新しくできてくる成分もあるのだそうだ。実に、蒸留は一筋縄ではいかない。できた原酒はアルコール度数40度ぐらい、それに割水して25度にするのが普通になっている。昔は30度近いのが普通だったという。
 その焼酎を「伝統的には、米焼酎は割らないで飲んだようです」とのこと。30度近い焼酎を、ガラであたためてそのまま飲むのが米焼酎の飲み方だった。
 芋焼酎を湯で割って飲むのが流行り、米焼酎も湯割りするようになってしまったという。「米」は割らないものなのだ。聞いてみるものである。
 東京の方からそうした「流行り」が入ってくるまでは、米焼酎の湯割りなど聞いたことがなかったとのこと。この地では、湯割りを出されると、ケチとみなされたらしい。
 そして若き蔵元は「米焼酎は、割らない方がおいしいと」静かに断言した。燗かストレートの方がいい。特に「私の」は、昔づくりなのでそのままがいいと思うと自信を持って言い放った。

 次に行った芋焼酎の蔵で「手造り麹」の話を聞いた。
 自分の個性が出せる焼酎を造るため麹も手造りにこだわって、という言い方が「広告方面」では成立している。
 私はそれほど麹に個性が出るかどうか怪しんでいた。
 訪ねた蔵の人が教えてくれた話。
 蔵の規模が小さいので製麹機(せいきくき/麹を造る機械)を使うほど麹がいらない。焼酎を造る量と仕込む日に合わせて親子で手づくりすれば量は十分間に合う。その結果、個性が出ることがあるかも知れないけれど、そのために麹を手造りしているのではない。また、焼酎の個性を大きく作用するのは、必ずしも麹ばかりではないのは先の話の通り。
 と教えてくれた。
 自分で作るのだから、自分が思い描いているような麹は目指すけれど、それが主たる理由の「手づくり」ではないというわけだ。はは、謎が一つ解けた。麹のできはかなり安定してはいるけれど、生き物なのだから毎回完全に同じというわけにはいかない。焼酎のできのすべてが麹にかかっているとは言い切れないのである。微妙な違いを感じていても、結果的にはその蔵の味わいの焼酎にしてしまうわけで、色々途中に手があるのだろう。
 「自分の個性が出せる焼酎を造るため、麹も手造りにこだわって」は、広告上の伝説を作ろうとしているだけで、機械で造った麹でもいい焼酎はできる。個性的な焼酎ができるのである。
 しかもですよ、焼酎の場合は清酒の酒造好適米のようにあの米でなければいけない、この米でなければいけないということがない。多くの蔵が麹を安くつくるためにタイ米など、外国産の米を使っていました。そういうことで、実際米や麹に「必要以上に」こだわらないのです。
 ね、こういうのが、行って聞いてみるものなわけです。

 その蔵で、できたての焼酎に出合う機会が巡ってきた。
 「蒸留」には純粋なイメージがあるが、焼酎の原酒は濁っていると聞かされて驚いた。驚いた私に、これですよと見せてくれた。芋から油が出てきて、初めはそれが原酒に溶け込んでいて微かに黄ばんだ透明である。嗅ぐと、なるほど「くさい」。漢字だと「臭い」ですね。昔はこれこそが芋焼酎の匂いだと、当たり前に飲んでいたものですと教えてくれた。
 その匂いを嗅がないようにして口に含むと「うまい」。抜群にうまい。すっきりきれいになってしまった焼酎に較べて、旨味が複雑で楽しめる部分が多い。それを八ヶ月寝かせて匂いを飛ばし、浮いた油を除いて商品化する。ニュアンスを残すために完全な透明にはしないそうだ。
 その昔の芋焼酎にあった「匂い」を飛ばすために、湯割という方法ができたらしい。

 私が気になっていた、湯割りの方法について質問した。湯に焼酎か、焼酎に湯かである。
 八十度ぐらいの湯に焼酎を注ぐのが基本だそうだ。熱湯は駄目。焼酎に湯を注ぐと、湯が当たったところだけから香りが飛んで良くない気がするといい、二つのやり方で試してみると香りが違うという。これからは「湯に焼酎」である。ただし、水には気を配って下さいと釘をさされた。せっかくこまごまと気を使って造った焼酎を、まずい水で駄目にされてはたまらないというわけだ。焼酎の飲み方について「ストレート、オンザロック、またはお湯割りで」と何も考えないで書いているようだが、米焼酎と芋焼酎は扱いが違い、湯割自体だって「正しい作法」があるのだ。「こだわり野郎ども」は、こういうことに言い及んでいないじゃないか!

 四軒目は、シラク大統領愛飲の焼酎を造る蔵元。東京ではほとんど手に入らないことで有名な焼酎です。一般には「抽選で」買うしかないのに、ちゃんとシラク大統領が飲んでいるということは、蔵元から送ってか、贈っているのかと聞いてみたら、特別扱いはしていないという。いいね、外国の大統領が愛飲しているというのに、贈ったり、宣伝に使ったりしない冷静なありようが好きですよ。
 日本大使館にいるフランス人が毎回沢山抽選に参加して何とかこの焼酎を当てて、本国に届けているのだろうかと話ながら、笑ってしまった。
 その蔵には、仕込みの様子を取材するなら朝の7時半に来るようにいわれていた。それより少し早く行って朝の挨拶をして、その日の仕込みに入る前から見学できた。
 蔵を見た瞬間、「この蔵はおいしい!」と、誰もが鮮烈な第一印象を持つような佇まい。整然としている、清潔感がみなぎっている。蔵子の緊張感も見事。だれている人が一人もいない。コンクリートの床は水で洗われ、かめ壺の内外もタオルで拭って清潔。密閉型の蔵ではないけれど、最大限清潔にし雑菌の繁殖を抑えることが基本だと強調していた。
 四石入りの手づくりのかめ壺五〇本が肩のあたりまで砂に埋まっている。地表面はコンクリートで固めてあるが、壺が埋まっている部分は砂。形はそれぞれに微妙に違うが、埋まっている部分は卵形で、中のもろみが対流するのに都合がいい。それを補うカイ棒での作業も実にやりやすいそうだ。五〇本の壺は、その日蒸留するもろみが入っているもの、いま猛烈に発酵中のもの。一旦空になって待機中などなど。そんな風に使い回す。
 ここの蔵元は徹底して五感で造る。原料に気を遣い、発酵にも蒸留にも徹底して気を配る。嗅ぎ、味わい、触れる。耳で、音も聞く。熟成にも、びんそのものにもびん詰めにも、とにかく自分の焼酎に関わるすべてに徹底して目配りして、造りあげる。「全部が大事」と断言した。

 芋焼酎に使う「サツマイモ」は、黄金千貫・コガネセンガンという品種です。この芋に関しても少し前まで、「こだわり野郎ども」は、コガネセンガンにこだわりなどと取材もしないで書いていましたね。芋焼酎を造る場合、98%ぐらいはこの芋を使っている。なーんだ。誰もが使っているんじゃないか。一部、個性を出すために別の芋を使って造る銘柄もある、というだけ。基本的に芋焼酎はこの芋なんです。
 で、それはどうしてか? この芋が持っているデンプン質が非常に上質で、糖化しやすく発酵が良く進むということだった。
 で、ここのご主人はより良い芋を安定して使えるように、八人の人と契約して、低農薬での栽培をしてもらい、ローテーションで芋を受け取るというシステムにしていた。
 そして私は芋畑へ。蔵から車で一時間の牧ノ原台地。ここのシラス土壌でコガネセンガンが栽培されている。この土壌に、この芋。栽培グループのリーダーに聞いてみると、その蔵元の求める芋は「質に厳しい!」と即座に答えた。それと、熱心に畑に足を運ぶ人だとも言っていた。
 明日仕込む量を連絡してくる。それに間に合うように、ギリギリになってから芋を掘りだし、農協で洗って朝一番で届ける。蔵では、芋の「しっぽと頭」を皆で処理してから蒸す。「芋は野菜ですから」、とにかく新鮮な芋を使うのだと教えてくれた。このやり方だって、多くの蔵を訪ねれば同じようにしているところがあると思う。
 それでも、手造りのお陰で麹が微妙に違い、もろみの味わいが違い、蒸留の工夫があり、熟成期間の設定がちがう。そして蔵元の味覚が違い、伝統の味がある。ということで、おいしさの種類が果てしなくなる。
 こっちは、ナマイキを言ったって、それを喜んで飲むばかり。
 だから、しっかり飲んで、しっかり酔わなければいけないのだ。




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