志ん朝忌
2003年10月30日(木)
 志ん朝忌

 平成13年(2001年)10月1日に、志ん朝さんが亡くなった。
 2年経った平成15年の秋になっても、志ん朝さんが亡くなった後遺症が続く私である。
 どういう症状か? 落語の、先の楽しみがなくなってガックリ、という症状。

 10月1日を「志ん朝忌」としてしまおうと決めた。で、挨拶句。
 船徳の客も粋なり志ん朝忌   音澄

 平成13年10月下旬、私はこんなことを書いてあった。

 テレビやラジオで志ん朝さんの放送があったら録っておかなければと思うんだけれど、芸は消えていくものと思えば、ただテープにとって持っているのも逆に悲しい。
 そんな思いで過ごしている。
 本当に志ん朝さんが亡くなってから、落語に対して腑抜けになってしまっている。
 昨夜、日曜日の夜TBSラジオの、レギュラー番組を聞き始めると、今夜は、志ん朝さん特集でお届けします、という。録音しようと思って、思い直して、そのままラジオを聞き始めた。
 昭和42年録音の「宮戸川」、そのあとで昭和43年録音の「火焔太鼓」だった。これ、変でしょう。1967年と、68年の録音ですよ。もっともっとあとの、素晴らしいできの落語があるはずだからそれを探し出して放送しないと意味が無いじゃないか。
 放送の世界に、落語がわかる人がいなくなってしまったか。選択がおかしい。同じ時代に生きた私としてはせめて50歳を過ぎてからの高座を聞きたい。
 若いときの元気な落語だけがいいのではないということがわからないのか。情けない。

 以上。
 私が怒っている理由は、私にはわかる。
 「宮戸川」だって、「火焔太鼓」だって、この時の! という高座があると思う。どうしてそんなに前の録音を流すのか、理由は言わなかった。

 こんなメモもあった。
 亡くなったすぐあとに、NHKテレビで追悼番組をしていた。
 「明烏」を放映したが、途中少しカットしてあった。
 私には、その番組の中で談志が「自分で銭を払ってでも見たい噺家がいなくなっちまった」と言っていたのが、よかった。少しのヨイショがあっても、これはいい追悼の言葉だと思う。天下の立川談志が言うんだもの。
 その時、談志が「志ん生を継げよ、その時の口上を俺に言わせろよ」と言ったら「アニさん口上を言ってくれるかい?」と志ん朝が聞き返したという話もよかった。どきどきする話。

 志ん朝と談志のことを知らないと、それぞれに対する思いがないと、ちっとも面白くない話だけれど、「NHK」で「談志」が話してくれたところに値打ちがある。で、とても面白い。

 2003年10月記
 早川書房刊・ミステリマガジンに書いたノンフィクション紹介の文章を下敷きにして。
 その月、取り上げた本は、『花は志ん朝』(大友浩著/ぴあ刊/一六〇〇円)である。(この本の内容と直接関係ないが、私はノンフィクション評論と思って書いているのではなく、その月に出た中から選んで読んでみたノンフィクションで一番面白かったものを紹介するというつもりで書いている。本の評論は、私には非常に不向きであることを承知している)

 2001年10月に亡くなってしまった、古今亭志ん朝。私には今でも「志ん朝さん」である。この10月が来て志ん朝さんの名前を耳にしたときに、もう2年も経ってしまったのか、と思った。
 あれからこっち、もう落語は終わってしまった気分。落語を聞く楽しみを失ってしまった感じである。喪失感というのが、これだろう。志ん朝さんがいないということが、これほど大きな穴になってしまうとは実は思いもしなかった。
 まだ、立川談志がいる。
 そう、談志がいるのだけれど、このところ談志の落語はもう、なんだか理屈に走って、枕の弁はなかなかに、時にものすごく冴えているけれど、肝心の落語に入ると乱れている。存在自体がすごい談志だけれど、落語はすごみがなくなってしまった。
 面白い回に当たらない。高い切符を買ってがっかりして帰ることが度重なってきた。貧乏な客には「大きな痛手」である。
 その点、といっても詮無いが、志ん朝さんは「落語をやってくれた」ので、満足感があった。

 私のように、志ん朝さんを失ってがっくり来ている人が多いだろうと、書き出している本『花は志ん朝』であった。
 ミステリマガジンにはこの本が「少し元気をもたらしてくれた」と書いたが、時間が経って再びがっくりしている。元気がちゃんとは戻らなかった。
 この本には、一般のファンだけではなく若手落語家の中にも力を失ってしまい、何もやる気が出なくなってしまったという人が多いことを知った。そりゃそうだろう。
 「しかし、そうばかりもしていられないでしょう、そのために志ん朝が人間として、落語家として、どういう人だったか、ここでまとめておこうではありませんか」という本である。それはわかる。わかるけど、鼻の穴を広げて「んねぇ」という志ん朝節が生で聞けないんだからいけませんよ。
 「んねぇ」の「ん」は、鼻に空気が抜ける程度のかすかな「ん」ですよ。志ん朝ファンにはこれが、どうにもたまらない。

 本をどこまで読み進んでも志ん朝を悪くいわないのは、著者も果てしなく好きだったからだとは思うけれど、何を口ごもっているのだろうか? と思わせないでもない。少しは「いけないところもあっただろうに」と思った。落語家だよ、猛烈に酒の好きな落語家なんだから、ちょっと乱れた話なんかがあっても良さそうなものを、と思ったね。
 でも、志ん朝さんはひたすらいい人だったんだと思っていたいファンには、ありがたいだろう。
 志ん朝の対談や亡くなってからの思い出のエッセイの類を読んではいるが、この本が一番志ん朝のそばにいると思う。小林信彦の本に期待したけれど、志ん朝さんを書いた本というより、志ん生親子を書いた本だった。古いところから持ってきた内容もあって、ちょっと困った。小林が志ん朝を「渾身の力を込めて」書いてくれたらいいのに、と思う。

 古今亭志ん朝は高座に、私は客席にという関係以外経験がない。
 出囃子が聞こえて、フワッと出てきて座布団に座って、「んー」と言い始めた瞬間、また志ん朝が聞けるというあふれるような満足感の中に浸ればよかった。極論すれば、「生の」志ん朝さんが落語をやってくれさえすればいいのだ。演目なんかどうでもいいぐらいだった。
 先の本は、何度も体験したその志ん朝に満たされた時間をなぞるように、少しもこわさないようにしてくれる本で、「志ん朝を引きずっている」人には悪くないが、あまりにもいい人でなんだか人格が平板に感じてしまうところもあった。まったく目新しい事実は、ほとんどない。
 皆が思っていた志ん朝がこの本の中にいる。
 ⋯というような本ではある。何かの時に、志ん朝さんをさらうのに最適だから、持っていた方がいい。
 
 それにしても、芸人は、持っている芸のすべてを持って死んでしまうので悲しい。(いとし師匠が亡くなったことを思えば、このことがわかると思う)
 読み終えて時間が経ってからのことだが、上の本の著者は、もう一冊志ん朝の本を書かないではいられないのではないかと思った。
 談志が生きていて、談志と著者のからみで「今は書けない」ことを全然書かないで終わった本という気がし始めた。志ん朝さんは、談志のことを多く語らなかったかも知れないが、談志は志ん朝について多くの言葉を費やしているような気がする。それが、かなり毒を含んでいたり、談志あるいは志ん朝を誤解させる要素を含んでいるので、今は迂闊に書けないが、いずれ書くぞ、という物書きとして「第2弾」の用意をしているような口振りに思えるようになった。勘ぐりすぎかもしれないが、あまりにもいい人過ぎる志ん朝にやや「怪しい感じ」を持ってしまったのだ。

 志ん朝の父、志ん生さんがまだ生きていて、もう高座にでられなくなってからも、寄席に行けば「志ん生休演」という札が下がっていた。
 昔の池袋演芸場ではそうだった。多くの人は気づいていないと思うが、汚い小さな段ボール紙にそれが書いてあって、いつもいつもぶら下がっていた。他の寄席ではどうなっていたか知らない、池袋演芸場が私の本拠地だったから。
 高座に出てくる落語家が、楽屋と客席の人数を比較して、楽屋の方が多いという。いつもいつもそんな風だった。事実、私は客席三人のうちの一人だったことがある。
 それでも落語が好きだった私は通い詰めていたし、汚い札を見ては、病んでいてもいい、とにかく志ん生という人がこの世に生きていればそれでいいと思っていた。
 その志ん生を失ったときより、さらに大きな衝撃が志ん朝さんの死である。例えば、病気でふせっているけれど、志ん朝さんはちゃんとこの世にいて欲しい。現在形の言葉でそう思う。

 古今亭志ん朝が「古今亭志ん生」を継ぐかどうか、本人は継ぐ気がなかったようだ。名前がどうなろうと変わりなく、普通に生きてくれれば、このあとまぁ20年ぐらいは「志ん朝が聞ける」人生だったのである。私は、追っかけて必死に聞きに行くような客ではない。でも、志ん朝さんと誰かがホールでやる、その相手も面白そうだという会、あるいは「やる気になっていたはずの」談志・志ん朝二人会だったらいかないではいられない。そうして、年に何回か生で聞き、あとはテープを聴いて「すんちゃん? おれは、しんちゃんなんだけどな」などを聞いて笑っていればいい。「甚平衛さんと火鉢を一緒に買ったような」を聞きながらニタニタしていればいい。
 そういう人生予定だった。私の落語人生計画はそういう風だった。

 志ん朝さんの落語をテープに録音して沢山もらってしまった。これを時々聞いて、志ん朝はいいなぁ、と思う。勝手に独演会を構成することができる。
 でもね、「この噺、今の志ん朝さんならどうやるんだろう。どこを新しくするんだろう」を確認しに行く手がなくなった。「こんだ、聞きに行こう」ができない。
 「おあとがよろしくない」んだから、悲しい。





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