雑貨屋、開店。「奇妙な関係」
2002年05月17日(金)
 東京・赤坂に金松堂(きんしょうどう)という本屋があります。古い本屋です。
 ここの若旦那、次の社長でしょうね、その人と仲がいい。仲がいいというか、店頭で毎日馬鹿っぱなしをして、なんとか本を売る方法はないかと算段しています。私の「面白い基準」を信用してくれて、これは売れると思うよ、などというと、多めに仕入れて平積みにしたり、手書きのコピーをつけて積極的に売りに出たりします。これが、なかなか効果的。他の店ではそれほどでもない本を沢山売ったりします。若旦那、なかなか商売熱心。
 この人、私の読書の好みを知っていて、一階の目につきやすいあたりに私好みの新刊をさりげなく置くんです。彼はこれを私に対しての「こませ」という。
 これに、半分ぐらい引っかかって、つい手に取ってしまうことがある。それを見ていて、レジの側で「ク・ク・ク」と笑うね、こういう本屋はめったにいない。逆に、私が「こませ」に気づくこともある。「またぁ、わざとらしいレイアウトだね」と見抜く日もある。

 で、4月の半ば、金松堂の本棚に『築地魚河岸 猫の手修業』という本を見つけた。
 福地享子さんという人が書いて、講談社から出ている。彼女とはかつて仕事仲間で、毎晩のように酒を飲んでいた飲み仲間でもあったんですよ。飲むんだ、ほんとうに。
 知人が本を出すというのは、一種独特のうれしさがあって、当然買いました。
 若旦那に、この人知り合いなんだよといっておきました。
 私は私で、しばらく音信不通なので彼女の今の連絡先がわからないから、講談社の友人に頼んで連絡先を教えてもらうことにしました。

 それから少しして。
 金松堂で本を見ていると、若旦那が「ちょっと紹介したい人がいます」という。なんだよ改まってと思いつつ、そっちの方を見たら、これが元総理大臣の橋本龍太郎さんですよ。「紹介も」ないもんだよね。
 で、案外、私は泡を食わなかった。
 橋龍がこの金松堂に来ているのはよく見かけていたし、まずたいていはSFの文庫本のコーナーで新刊を見ているので、SF好きは見当がついていたから、その辺の話を中心に、しばし、お話。心臓関係の手術をして退院後間もないので、白っぽい顔をしていました。でも、目がしっかりしていたので大丈夫な感じ。
 FOCUSで、パロディをやっている頃はかなりの回数茶化したが、本屋の客同士で本の話をしていれば、よさそうなおじさんに過ぎない。
 総理大臣の時は複数のSPが付いていたが、いまは一人いるだけで、2mぐらい離れた場所であたりを眺めている。
 そして、この本の著者と知り合いなんですって? と『築地魚河岸 猫の手修業』を橋龍さんが指さした。若旦那が話していたらしい、それもあって紹介ということになった次第。入院中に読んでものすごく面白くて、そのことを何度もいったので奥さんが読み、私が会った日には娘さんが読んでいるところだという。
 著者の友人としては、良かったなと思った。著者に連絡がついたら、よろしくお伝え下さいと元総理大臣にいわれてしまったもんだ。

 さて、それから2週間ほどして、講談社の友人から福地さんの連絡先を教えてもらった。
 なにせ魚河岸に出ている人だから留守がちだったが、とうとう連絡がついた。本が出たことについて、おめでとうと言ったりして、実は、その本のことで赤坂の本屋で橋龍さんが…と言い出したとたんに、「それでわかった!」というのだ。
 橋本龍太郎と名前をきちんと書いた、直筆の読者カードが彼女の手に届いていて、偽名を使うにしてもそういう名前は使わないだろう、とすると本当に本人だろうとは思ったという。でも、そのハガキに書いてある「本屋で会ったあなたの知り合い」というのが誰なのかわからないでいた、というのだ。
 そこへ私からの電話で、橋龍の名前が出た。
 すべて氷解。
 大笑い。元首相は、なにしろ面白かったと感激した文章を送ってくれたらしい。それで、はっきり橋本龍太郎という読者が、元総理大臣の橋本龍太郎であり、本屋で会った知り合いは私であることがわかって、全部つながった。
 あとは、しばらくの、相変わらず飲んでいるかの、今度どこかで飲もうのという話。
 フリーの編集者として雑誌などに注文で書いてきた文章と違って、自分で書きたくなって、自分の思うように書けたので気持ちよかったというような話を聞いて、本当にうれしくなった。
 いい仕事仲間と再び会えることになって、楽しみにしている。
 
 




(C)コダーマン 無断転載はお断り。仕事のご注文、承ります。
 引用、転載、出版については、メールでご連絡ください。

TOPへ