読前感、読後感
2002年05月24日(金)
 ずっと本を読み続けていて、ほとんどの場合「読後メモ」をつけている。ワープロが出現する前には大学ノート(懐かしいね)に書いていた。ワープロは1980年代の半ば以降から愛用、その後、パソコンのワープロソフトということになった。その間、とにかく読み終えたら一行でも読後感を書いてきた中で、本を読む前にも「感想」というべきもの、まぁ、期待や内容の予想、期待以上の面白さが味わえたらどんなにいいだろうといった欲、あるいはどんなことが書いてある本だろうという興味、そういうものがあると思うようになった。
 私のいう「読前感」である。読前感という言葉は、日本語にはない。
 だいたい、何も考えず、何も期待しないで本を買ったりはしないでしょ。
 この作家で、この本で、この値段という「コスト・パフォーマンス」もあり、この作家の本を前に読んで面白かったから今度も読んでみようということもある。前に読んで面白かったと思い返すときには、前の本の印象に残る風景を思い浮かべたりもする。
 海外ミステリーで、シリーズ1、2が面白く、3がグッと落ちてしまった場合の「4」を目の前にした時は、いろいろ考えるわけですよ。3で評判を落としただろうから、作家も今度の新作では頑張ったのではないか、そうだと充分楽しめるはず。でも、名前を知られたシリーズになったからこの前の「3」レベルでいけると思ったとしたら、もっとひどいかもしれない。今すぐ買わないで、この手の本の情報に詳しい講談社の谷さん(実在の人、友人)に聞いてからにしよう、と判断したりもします。この、買う前の心の動きが「読前感」です。
 ね、そういう風に考えると読前感はあるんですよ。
 ノンフィクション方面で、わりとよく買う「恐竜研究本」の場合だと。まず、この数年間に進んだ研究の新しい成果が盛り込まれた本なのかどうか、これを調べます。これまでの恐竜研究のおさらいだけで、新しい発見が盛り込まれていなければ、面白くない。恐竜の知識が頭の中にしっかり入っているわけではないから、基本の繰り返しでもためにはなるけれど、もうそれを繰り返す気はない。
 かつて、恐竜の末裔は現在の爬虫類ということになっていたけれど、最近では、恐竜の末裔は鳥類という説に大きく傾いている。その説に傾いていくような化石の発見があり、化石の研究にCTスキャンを利用するだのなんだの、研究の手法も広がった。だから、新しい恐竜本を目の前にしたときには、沢山のことを思い巡らす。また、多少知っている恐竜の研究家の名前を思い浮かべたりもするわけだ。それが、読前感になる。
 で、読み終えると、読後感。これは、読前に漠然と考えていたことが当たっていたか、その予想を超えて面白かったか、予想と全然違っていたが考えもしなかった楽しみをもたらしてくれたか、あるいは、期待はずれで時間の無駄だったというような、読後感になる。
 そうして、本一冊の「読前読後」感がまとまる。
 面白い本は、こっちの予想を超えているから面白いことになる。タイトルからは想像もしなかった内容という意味も含めて「越えている」という。
 とはいえ、本を一冊買った時に、買う前にこんなことを思い巡らして買ったと書いておいて、読み終えてから、こんな感想を持ったとすべての思いを書くのは大変で、読前感を書くのは止めてしまった。一時、雑誌にコダーマンの「読前読後」というコラムを連載したこともあるが、いや大変だのなんの。長くなってどうにも困った。だって、文章上おしゃべりの上に、読前感の長いこと長いこと、そして読後感だってながいんだから、へとへと。
 そうしたことを自分だけのために書くのは、時間の浪費に近い。それに、買った本をすぐに読むわけではなく、2年ぐらいしてから読むこともある。そうなると2年前、買ったときに書いた読前感を探さなければいけなくなる。これが、なかなか見つからない。
 でもね、本をよく読む人たちに、私の言う読前感を聞くと面白いと思うんだ。月刊誌のコラムなんかでやればいいのにと、思う。(このアイデアを、パクる場合は、連絡を)




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