ワイン本・2
2002年05月31日(金)
 ワイン本の続き、『ガイド・カタログ』本の話。
 ワインへの誘いといった趣の本が、ガイド本。
 ワインを買うときに役に立ったり、夕べ飲んだワインのラベルを記憶していて、値段がどれぐらいのワインかを調べたりできるのがカタログ本です。

 ワインのことを知りたい、ワインの話題についていけるようになりたい、と思って、「ワインて何? どんなお酒? ワインのできるまで ラベルの読み方 フランスのワイン地図 ドイツのワイン地図 新世界のワイン 料理との相性」などという目次が並ぶ本を読むんですね。
 こういう本でワインがわかるようになれることはほとんどありません。
 カタログ本は、あるレベルか、ある目的(価格や国、タイプなど)でワインを徹底して集めて紹介文を書いていけばなんとか形は整うのですが、よいワイン飲み手を育てるためのガイド本、これは非常に少ないと思って間違いがない。

 「ワイン本・1」で、名前を出した友人の飯塚が、誰でも書けるガイド本という話をしばしばするんです、腹立ち紛れにね。
 ワインの銘醸地図と、ワイン産出国のワイン法、こうしたものをしっかり紹介している本がある。こうしたことをしっかり覚えないとワインが楽しめないのか、と誤解を生むだけであまり意味のない本です。ワイン法なんか知らなくても、ワインは飲める。
 国別のワイン法などをよく覚えているもんだな、などと感心しないでください。
 以下のようなやり方があるからです。
 フランスワインであれば、フランス食品振興会「SOPEXA」というところ、ドイツ、イタリアだったら日本にある観光局、スペインその他の国だったら、商工省などの出先機関(詳しくは大使館に問い合わせ)に行くと、それぞれの国のワインを日本人に知ってもらうためにパンフレットを作ってあって、もらえたり、買えたりします。
 そうしたものには、その国のワイン法がしっかり載っています。また、その国におけるワイン醸造の歴史と、国の中の地域区分と、植えてある葡萄品種とその解説、そしてワインの特長、その国の料理との相性なども「売りたい一心で」しっかり書いてあります。
 いわば公式のガイドだから、その中から引用してもいいかと聞けば、基本的には許可してくれます。もちろん、参考資料としてもらったパンフレットの名前を載せておけばいい。
 さて、各国のワイン事情をよく読んで、順に歴史とワイン法を書き写す。その後に、地図を多少工夫してわかりやすくして載せる。各地域の葡萄品種とできるワインの特徴を書き写す。その後に、ワインと料理の相性を書き加える。
 これをやると、本ができてしまうんです。充分もっともらしい本ができます。
 で、巧妙なのは、日本で手に入る各国のワインの写真を撮り、適当にレイアウトする。ラベルの読み方のページには、手に入れやすいワインのラベルを出す。そして料理については、それぞれの国の料理を出す適当なレストランに頼んで撮影させてもらう。
 ほら、けっこうな本ができてしまうでしょ。
 ドイツのモーゼル河流域のナントカッテ村のリースリング種を遅摘みして造ったワイン、などと書けるわけですね。秋の最後の陽光を浴びて実る葡萄、こういうのは観光局から写真を借りるんです。上からの陽光だけでなく、モーゼル河の水面に反射する太陽の光も葡萄の成熟に力を貸します…とかね、みな、あちらの本に書いてある。
 しかし、こういう本は読み手がワインを楽しめるようにはできていない。そういう役には立たないといっていい。そんな風にして作ってはいないだろうが、そのレベルで一冊にまとめ上げたと思われる本、これまた駄本の山、です。
 多くの「ワイン入門本」は、こんなものです。入門しようがないんです。
 そうかと思えば、何年経っても、ワインの保存法、コルクの抜き方、一度開けたら飲みきらなければいけないんでしょうか、こればっかり。

 よいガイド本は、まず、目的がはっきりしています。
 「ワインがわかる」ということはどういうことかを書き手が考えて書いている。高いワイン、古いワイン、有名なワインを飲んで自慢することではなく、自分の日常でワインを飲んでおいしく、楽しく過ごせるようになるには何を知ればいいかのヒントをくれる。
 あるいは、ブルゴーニュワインを語るにはこのぐらいは知っておきましょうというように、地域を限り、しっかり書き込んだ本、こういう本にいい本が多いです。
 あるいは、読み手に「あなたはワインをどうわかりたいのか」をしっかり意識させてくれる本もある。自分の舌で自分が味わうワインについて、他人に頼らず、自分で覚える自覚を持ちなさいというタイプの本ですね。こうした自覚を促す本も少ないけれどあります。
 土台、一冊の本で世界中のワインがわかるようになることは、できません。だって、なんですよ、300年もの歴史がある一つのシャトーの話を克明に書けば、分厚い本が一冊できるんですから。優れた書き手は、そういうことを知っているので、世界のワインを一度に語るなどということをしません。それから、ワインをよく知っていることと、ワインのことを上手に書けることは全く別のことです。それでも、ワインの本を書こう、これまでにない語り口できちんと書こうとする人はさすがにいい文章を書きます。
 自慢本は、文章が駄目で、行間が広く、内容がないのにページを稼ぐんだなぁ。
 もう一つ加えるとしたら、いい書き手は、本はしっかり書くものの「残念だけど、ワインは飲まなきゃわからない」と重々承知して本を書いています。これを忘れているようではいけません。だから、これだけ読んだ上は、あとは飲むだけ、という感じですね。
 で、事実、飲みたくなるように書いてくれています。

 駄目の本の前書きには、しばしば「ワインは難しい飲み物ではありません」と書いてあります。
そう書いておいて本の中程で「ドイツワインの分類」などという章が用意してある。ラベルを見ればその分類が書いてあるので、すぐわかります。と、いいますね。
 すぐもなにも、全然わからないから本を読むのだし、読み初めには「難しくない」といいつつ、あのほとんど読みとれないドイツ語を読めという、方針がガタガタでしょ。
 だから、はっきり目的を持ち、どのレベルの知識を提供するつもりかを明確にした本がいい本だというわけです。その点は、ガイド本も、カタログ本も同じです。ワインの「ここ」を知って欲しくて書きました、ということが迫ってくる本を選びましょう。




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