ワイン本・3
2002年06月09日(日)
 ワインの『歴史・文化』本について、です。
 この分野は、しっかり書かれていれば、基本的には面白い。
 中途半端にかじって「このぐらいでいいだろうという」態度の本を買わない限り、優れた本が多い分野です。友人の飯塚が良い点を入れるのはこの分野の本が多い。もっとも、飯塚はもとが歴史好きですが。

 ワインが好き、ワインに興味を持った。そこから始まって、どうしてその土地に葡萄が根づき、優れたワインが産まれるようになったか…知りたくなる。書くためには、その土地のワインの造り手たちが、どう長い歴史を乗り越えてきたかなどを調べに行かなければならない。
 ワインづくりは、葡萄栽培を基本とした農業と見た方がよく、大地と人と、商業と時に為政者、そういう関係を歴史と文化の中で捕まえて、しっかり読み解かないとわからないことが多い。そうしたことを「かみ砕いて」書いてくれる本は、実に味がある。
 飯塚がいうには、チーズをかじりながらワインをすすって読むのに合っている、です。内外を問わず、ワインがわかるというのは、どのシャトーのワインの何年ものがいいかということより、歴史と文化というワインの背景を理解することを上に置いている感じがする。まぁ多くのワイン本を読んでたどり着くのは、ワインをいかに楽しんでいるかでしょう、これが「ワインがわかる」かどうかの基本だということです。

 例えば、今葡萄栽培で知られる土地が、小麦も育たないような荒れ地で他に何を植えても駄目だから葡萄を植えるしかなかった、ということもあるようです。葡萄しか育たない荒れた土地というのは少し大袈裟ですが、小石だらけでとうてい野菜を栽培することもできないといったところが現在ではワイン名産地だったりします。その小石が日中の熱を抱え込むことで、葡萄には良かったりする。ボルドーにグラーブという地区がありますが、このグラーブが、小石ザクザクの土地というような意味ですからね。
 また、自分たちで消費してしまう程度のワインを造っているなら別ですが、商業的にワインを造る場合は、商品を消費地まで運ぶルートが確保されていないと大きな生産地にはなり得ない。昔は川の近くにワイン産地が多く、水運を使用して巨大消費地にワインを送り出すことが多かった。しかし道路が整備され、車が走るようになると、川の側であるよりいい葡萄が育つ場所であることの方が優先条件になり、葡萄畑が川から離れても成り立つようになる。そうした結果寂れてしまったかつての銘醸地もあります。こうしたことは、ワインを飲んでいるときに話す類のことではないにしても、ワインを飲むときに「心の厚み」として、知っていてもいいことという気がする。そういうことを面白がるという点で、友人の飯塚ととても気が合うとはいえます。
 キリスト教の布教のために教会ができると、ミサにワインが必要だからとりあえず教会の周辺に葡萄を植えた。それが今につながっているところもある。ミサのためということで、当初は味についてとやかくいわないらしいが、教会の人たちが日常的に飲むわけだし、できれば旨い方がいいということで工夫を凝らして葡萄の品種を選んだり、栽培の方法を研究したりで、おいしいワインができるようになることも多いようだ。その教会のワインが旨いからと、王侯貴族がやたらと訪ねてきた教会があったと読んだことがある。ヨーロッパでは、ある地域を支配した貴族や皇帝が「自分で飲みたいばっかりに」、葡萄栽培を命じワインを造らせたというところもあるし、また、それまで植わっていた葡萄を全部伐り払わせて、自分好みのワインができる葡萄を植えさせた例もある。
 そういうことを時間の流れに沿ったり、ある地域を巡りつつ語ってくれると、読んでいて面白ことはいうまでもない。それだけ書く、書けるということはじっくり取り組んだ結果ということになって、おいそれとできる本ではないことが多い。

 他には、「深く」探求したとは言えないかもしれないが、ワインづくりに魅入られてワイナリーに押しかけた体験記なども、文章が冷静であれば充分楽しめることが多い。やや上品な、ワイナリーのオーナー夫妻と「お知り合い」になって、ワインと名物料理の伝授していただいて…というような本もあるが、それよりは、冬の剪定から一年を巡って葡萄づくりの四季を体験し、その家族とともに暮らした、というスタイルの本に面白いものがある。
 それは、多くの書き手が土とともに生きることを日本国内で経験していないからだとも思うが、とにかく、毎日野外に出て葡萄という植物とそれを育てる太陽を感じ、水と土に触れて、一年二年と過ごしてきた人の本には力がある。何百年も「そうしてきた」ことが守られつつ、新しい世代が葡萄栽培やワイン醸造に新風を吹き込む。それを日常生活をともにしながら、この季節にはこの作業、ちょうどその頃おいしくなるあの素材をこんな料理に、と「台所」で体験したことを書いてくれる本は、いい味のものが多い。
 文化に触れるとはいっても、留学中にワインが好きになって地元のワイン協会の会長に話を聞きに行ったのと、自分で畑を耕し葡萄を収穫したのでは、こっちに語りかけてくるものが違う。それはわかってもらえると思うし、また、本を面白がる好みも一様ではないから、土の話など面白くないという人もいるとは思う。
 いうまでもなく、書き手の力量が問題ではあり、ワァーワァー・キャーキャー騒ぐ類の本は、素材が面白いにもかかわらず、文章でつまらなくしてしまっていることも多い。とはいうものの、ワァーワァー・キャーキャーの人が、二年もの間葡萄畑で肉体労働を主体にした生活をしてきて文章を書くということが少ないので、こうした文化体験タイプの本に駄本は少ない。

 ワインの歴史本では、いかにも歴史を語っていながら、実は一つのシャトーの広報のような本もあるので、油断ができない。広報、広告でも内容がしっかりしていれば構わないが、話題にしているワインをやたらと褒め称えたり、その一族の人々が抜きん出て素晴らしいというようなことを書いている本を読まされ、あとがきで、それがそのシャトーの息のかかった本だと知って失望することもある。歴史本とガイドの中間ぐらいの本で、読み進むと「自分が扱っているワインの広告本」というのもあって、こういうのはワインの評価など眉唾で読んだ方がいい。ワインを書くといっても様々な人がいるのだ。

 この分野で、日本のワイン史・ワイン文化を書いた本に深いものがない。それは、この国のワインの歴史が短いし、浅いからしょうがない。それと、輸入したワイン同士をブレンドしたり、国産ワインと輸入ワインをブレンドしたりという造り方が日常的なので、日本のワインと風土を徹底的に語ることができないという事情もある。いきおい、ワインを日常的に飲んできた国々の文化を読み、歴史を読むことになる。それはしょうがない。
 
 ワイン本も、いい本を選べばワインをおいしく飲む助けになることは言うまでもない。

 ワイン本を、『感激・随筆』本・『ガイド・カタログ』本・『歴史・文化』本にわけて解説しましたが、随想を交えながら自分の好きなワインの『歴史・文化』を語るとか、きちんとガイドする本としてまとめていながら各ワインについての感想は「自分が飲んで感動した思い出」を書き加えているとか、分類の明確な線引きのできない本もあります。それでも、おおよそ3つのタイプに分けておけばワイン本を把握するのに楽だと思います。
 ここでは、おすすめ本を名指しで取り上げはしませんでしたが、どうしても読みたくなったらお問い合わせ下さい。飯塚が★を3つ、ヴィノテークという雑誌では「グラスマーク3つ」にしていますが、その、ワインを飲みたくなるような本を紹介します。お好みに合うかどうかは別ですけれどね。
 ヴィノテークのバックナンバーを調べることもおすすめします。飯塚の点数の「辛さ」も読んでやって下さい。月刊誌のヴィノテークには毎号特集があって、蔵書しておいてオーストラリアのワインに興味を持ったときに引っぱり出すとか、ブルゴーニュの新しい醸造家たちは何を思ってワインを造っているか、というようなことを読み返すと、これがなかなかいい。古びてしまわない月刊誌としてしばらく楽しめるのがいい。
 ワインは飲み出すと、ちょっとそれについて書きたくなってしまう不思議な飲み物。そうして書かれた本も、ワイン同様、当たり外れがあり、偉大な一冊があるかと思えばとても楽しめない一冊などなどがあって面白い分野です。
 ひどい本も、そのひどさを話題にできるので時には手に取ってみて下さい。




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