東西南僕 02 和三盆
2002年06月17日(月)
 徳島の、和三盆

 私は、酒も好きで甘い物も好きである。どうして「日本の男は」どちらか一方でなければならないような言い方があるのか、わからない。俺は酒呑みで「甘いもんなんか断じて食べない」と依怙地になっている男がけっこう多い。
 私の旅はほとんど仕事の旅だけれど、夜は地元の酒を飲み、昼の空き時間に地元の和菓子屋を訪ねることが案外多く、楽しみの一つである。空き時間がなくて行けないことも多いが、空き時間があれば「必ず」行くといったところ。
 取材は先方の都合で時間が決まるので、ポッカリ一時間空くというようなこともしばしば起こる。食べ物屋の取材など、昼の忙しい時間は避けてくれ、夕方の仕込みにはいる前にしてくれ、というようなことで、二時半からの一時間というような場合、昼食のあと奇妙な空き時間ができてしまう。そういうことである。

 日本の、現在「市」になっているところは、かつての城下町が多い。港町、門前町など町の成り立ちを社会科で習った覚えがある。江戸時代の長さ、藩の多さからして城下町だったところが各地にあるわけだが、そこには和菓子の老舗が沢山残っている。
 城主の茶の湯のつき合いから、どの土地にも、茶人、文人などの仲間がいたのだろうと勝手に想像しているが、そこに和菓子屋もいたのではないか。まずたいていの都市に江戸時代から続いている和菓子屋がある。藩のご用達、という店だ。その店のお菓子は、城内の女性達の大好物だったんだろうと思うと興味深い。冠婚葬祭に菓子が付き物で、神事・仏事用の菓子があつらえられるのが常だったとすれば、城下にそれなりの菓子屋が必要だったはず。
 私の好きな甘い物は、こういう店の和菓子である。徳川幕府によって移封されることになった藩主を慕って、もといた藩からついて行った、などという和菓子屋も各地にある。
 和菓子は、豆、豆の粉、米の粉、糯、麦の粉、粟、芋、葛 、卵などを材料にし、これに甘味と色や香りをつけ形を整える。その色や香りを付ける素材も日本の自然から手に入れるものが基本。最近の大嫌いな言い方で言えば、ナチュラルでヘルシーなのである(ゲッ! こういう発想で和菓子を食べて欲しくないものだ)。
 基本的には、地元の素材を生かしつつ、どうしても地元では揃わないものをその生産地から買って、菓子を作っている。
 その、どうしても「それ」でなければいけないものの一つに、「和三盆」がある。日本の伝統的な砂糖。和菓子の老舗ではこの砂糖を使っているということが圧倒的に多い。実は、私はずっとこの砂糖のことが知りたかった。
 和菓子屋さんで話を聞いていると、和三盆を使うのが当然、和三盆でなければうちの菓子の甘味は出ない、和三盆をきちんと使わないようじゃ、いい和菓子はできませんでしょう、という心が読み取れるのである。
 「和三盆をたっぷり」というのが、高級な和菓子の良さをいうことに等しい感じさえある。といって、和菓子は「おいしくはあっても」それほど甘くない物である。いや、今の甘さの感覚で言えばそれほど甘くなくても、甘い物の少なかった時代には素晴しく甘かったに違いないが。とにかく老舗の和菓子屋は、その伝統の「甘さ」を今に継いでいるわけだ。
 和菓子屋特有の、落ち着いた佇いの店に入って、その季節のその店の一番得意の菓子を買って、食べる。そこで食べる。大きく広い構えの老舗の本店なんかであれば、片隅に床几と卓が用意してある。ありがたいことに、たいていお茶を出してくれるので、そこに腰を下ろして、食べる。「今頃は、こちらのお店では、これですか?」と一番数が揃っているのを指さして、確認してから買って、口に運ぶ。
 季節感があるから和菓子はうれしい。たぶん、正しい洋菓子もその国の季節によって変化するものだと思うけれど、そちらの知識が全くない。初夏の果物、晩秋の果物など、また、チーズなどにも季節があるので「ああ、これが出る季節になったね」は、諸外国にもきっとあると私は思っている。
 買って食べれば、客である。だからといって威張りはしないが、質問ぐらいは許されるだろう。そういう感じであちこちで話を聞いたのだが、たいていの店が和三盆、三盆糖とも呼ぶ砂糖を使っていると言う。
 それで、この砂糖のことを本で調べた。砂糖黍を搾り、その汁を煮詰める。アクをとって、適度なところで、温度を下げたあと、糖と蜜とに分ける。この糖を盆と呼ばれる板の台の上で…
 という解説が多い。
 さてこの文中の「糖と蜜とに分ける」というのが、私にはどうにもわからなかったのだ。簡単に言うと、ピンとこなかったのである。
 一回でわかってしまう人もいるだろうが、私にはわからなかった。そのことを目の当たりにして知りたいのと、和三盆その物についてもぜひきちんと聞きたいと長い間思い続けていた。そうしているうちに、徳島に取材に出かけるという仕事が回って来た。「阿波の和三盆」を取材する絶好の機会が巡って来たのだ。
 主題は、阿波おどりであった。その取材も、他の取材もどんどん進めて、予定になかった阿波の和三盆の取材の時間を作ってとうとう疑問を解くために出かけた。

 五月の下旬。和三盆作りの最後の時期だった。
 和三盆作りの「最後の時期」であることは、突然訪ねた『岡田糖源郷』の工場が、ラム酒の香りに満ちていたことが教えてくれた。
 これ、わからないでしょ?
 和三盆は、竹糖(ちくとう)という砂糖黍の一種を搾った汁から作る。四国・徳島の五月は充分に暖かく、バケツに入ったこの汁が発酵し始めてラム酒の香りを放つようになっているのである。「砂糖黍の汁が発酵」で、ラム酒になるのは至極当然で、私には楽しいのだが、酒を造る気はない和三盆屋さんには困るのだ。汁が自然発酵しない寒い間の作業になると若主人が教えてくれた。五月はもう最後の最後の時期になる。
 砂糖を作っている処の名前が、『岡田糖源郷』。「糖源郷」が、洒落ている。
 さて、初めだけは黙って作業工程を見学していたが、我々しかいなかったのでのびのびと「愚かな質問」を連発して、沢山の話を聞かせてもらった。
 先に書いたように、竹糖の茎というか「稈」を器械で絞ると黒っぽいドロドロが出てくる、この汁を煮詰める。色は、バッタが吐き出す黒と茶色が混じった濃い色のドロドロとそっくりの色である。
 煮ていると、けっこうアクが出るのでこれをていねいに除く。アクをきちんと取り、どの量まで煮詰めるかというのは、人の感覚の作業。
 そのあとこの汁を、ゆっくり冷ます。そうすると、糖分が結晶し始める。やがて、砂糖の結晶と黒い蜜が混じった、波打ち際の砂のような状態になるのだ。
 ここで、やっとわかった!
 この結晶した砂糖と蜜を、袋に入れて漉すのである。そうすると、黒い蜜は外に出て、袋の中に砂糖の結晶が残る。ここで、とうとう私もわかりました。
 「結晶した糖と液体の蜜」を分ける、と書いてくれたら見当がついただろうと思う。
 私はずっと、蜜そのものだって「糖」じゃないか、と思い込んでいたので、どうしても糖と蜜を分けるという言葉の意味がわからなかったのだ。こういうのを百聞は一見にしかずというのだ。実に単純なことじゃないか!
 わかれば単純、長い間の疑問はとうとう解けた。
 私の実家は、醸造業なので、酒を絞る、醤油を絞るという作業を子供の頃から見ている。糖と蜜を分ける作業はそれと全く同じなのだった。和三盆の蜜の絞り方、それに使う道具は昔の醸造業と全く同じだった。

 なお、煮詰めた汁をさますには時間がかかるので、機械化して温度を下げるようにしたのだが、コンピューターにどう教えても、自然に温度を下げた時のような均一の結晶にならないので、せっかくの近代設備を全てもとの伝統的な釜に戻さざるを得なかったそうだ。
 私は、こういう話が無類に好きである。コンピューターなど現代機器の能力を信じているし大好きなのだが、伝統の技はそこに人がいてこそである。人がいなければどうにもならない技術「ちょうどいい、いい加減」というのが大好きなのだ。
 刃物を使って作業をする職人さんに話を聞くと、自分の力に合った切れ味に刃を研ぐなどという、ただ切れればいいというわけにいかないところが、職人仕事のすごいところだと思うし、その人の眼、その人の力、その人の感覚でなければ仕事が巧く運ばない、というのがうれしい。
 そういう人達と話すのが全く楽しい。そういう話を聞くためにでかけるのが取材だといった気持がある。

 さて、この蜜を絞る工程は、一気にすごい重さでやるのではなく、徐々に重しをかけてゆっくりやる。しかも絞りに絞って中の砂糖を真っ白にしてしまったりはしない。この辺がまさに手作りの「味」だ。
 その袋の中に残った「やや黄ばんだ柔らかい粘土」のような砂糖を、適当量取り出して、板の台(盆)の上に置き、少しずつ水をかけながら練り・揉む、こうするとそこからまた不純物が流れ出す。その作業が一度終わるとそれをまた布で包んで絞る。そうして絞った砂糖は、前よりは白くなっているが、かすかに黄色が残っている。これを三回繰り返す、それで「三盆糖」という、ということになっているが、この説はやや怪しいようだ。
 とにかく、めちゃくちゃに手間のかかる砂糖で、高価なものになってしまうのもしょうがない、と納得した。
 おおよそのところがわかっていただけただろうか。よくそんな方法を思いついたものだと感心する。
 そうして、ここまで練り上げればいいというところまで手間をかけた砂糖を絞って、乾燥させれば、和三盆はできあがる。
 それでも、真っ白ではない。かすかに黄ばんでいるが、純粋な糖分だけの「薬品」のような砂糖ではなく、大地に生えた竹糖が蓄えた旨みや、さまざまな含味(こんな日本語はないが)もあっての和三盆である。
 霰と呼ばれる、小指の先ぐらいの和三盆の塊りが日向に干してある。これをつまむ。うまい。ノッペリと甘いのではなく、ずっと奥の方に味のある旨み、それがかすかに日向の香りに染まっている。私の大好きな「日向臭さ」だ。臭いという文字を使うけれど、太陽の香ばしさ、でもある。これでお茶をいただく。こんなことは普通は許してもらえないのだろうが、取材の余禄ということにしておく。
 私はこういう旅が、果てしなく好きなのだ。四国・徳島の五月の日射し、広い庭に出してある、手のかかった砂糖の固まり。遠慮しつつ、あまりおいしいので、二つ、三つと口に運んで「いいなぁ」と茶を啜る。旅ってのはこんな時間が、たまらなくうれしい。
 「糖と蜜に分ける」は完全に理解した。そして実に含蓄の多い説明を聞いていて、結局この和三盆は農作物なんだな、と理解した。そこで「年によって、微妙な違いがあるでしょうね?」と質問してみた。あると言う。もちろん、和三盆の味わいとして「これ」という範囲には納まるにせよ、その年の夏の日照や温度などで、微妙な味の違いが生まれるということである。本当に微妙だろうが、そうした大地が育て上げる物の年々歳々が、文化を育てる。そこに人の技が加わって、伝統になる。

 『岡田糖源郷』の工場の休憩室に、和菓子の好きな人なら必ず知っているはずの、日本各地の老舗和菓子屋の化粧箱や、有名な店の包装紙が沢山展示してあった。それぞれの店の主人や職人さんが『岡田糖源郷』を訪ねてくるのだそうだ。
 そして、うちの分は「もっとニュアンスを残して」というような話になり、精製の度合いの指定をしたりするということである。和菓子屋側に、あの菓子にはこれぐらいに練った和三盆を、この菓子には徹底して磨いた物を、という考えがあるということなのだ。
 そうして、経験と技から生まれた砂糖を、経験と技を持った人達が吟味して買い、和菓子にしてくれる。その和三盆をたっぷり使った、ただ甘いだけではない甘味の和菓子を店頭でムシャムシャと食べて、恥ずかしがらないで質問ができるようになった旅人が私。

 甘味として、和三盆だけを使った和菓子が「結構なお値段」になることは以上でわかってもらえると思う。普通は、和三盆と一般の白砂糖をその菓子なりに混ぜて使うそうだ。和三盆そのものを砂糖として売っているが、その価格がけっこうな「お値段」である。それに老舗の技と一流の材料が合わさった和菓子となれば、一つ一つがいい値段になってもしょうがない。
 とはいっても、和菓子は高いものではない。
 その日のうちに食べるおいしさ、その季節の間しかない美しさを秘めているが、いずれ食べてもらうために作られる和菓子だから、高いなぁ、と思うことがほとんどない。和三盆の工場で、そんなことを思っていた。
 こうして、専門家に少し話を聞いただけで、その方面のことに「すっかりうるさくなった」と思うのが、私の薄ッペラなところである。つまり、私は徳島の『糖源郷』を訪ねたことで、その後すっかり三盆糖についてうるさくなってしまった。
 そんな風にして、あちこちを訪ねては「うるさくなる私」である。だから、旅が面白いのだ。




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