東西南僕 07 葛
2002年07月05日(金)
 葛を、符牒で「久助」という

 徳島県に取材に行って、阿波の和三盆についてすっかり「うるさくなった」私は、その約一年後、福岡県・秋月の葛屋さんにいた。
 葛切りもおいしいが、梅雨の季節から夏にかけての涼しげな和菓子にも葛は欠かせない。その取材のためにそこにいた。
 訪ねた葛屋さんは、九代高木久助さんの廣久葛本舗。
 まず、この名前にまつわる、いい話から。

 昔から、料理屋の板場や和菓子屋の工場で葛のことを符牒で「きゅうすけ」と呼んでいるそうである。それは、高木久助さんの「久助」から来ているのだそうだ。
 また、煎餅屋さんで、焼き損ねや割れた煎餅を大きな袋に入れて「久助せんべい」という名前で安く売っていることがよくある。この久助は、くず煎餅を、「くず」の久助にひっかけて言い替えたものなのだ。
 それほど、葛といえば「久助」と昔から言われ、久助の「葛」はいい葛の代表として全国に知られてきたということである。個人の名前が、ある物を表す符牒になって残るというのは、凄いことである。当代の高木さん自身「昔はよほど頑張ってたんだなと思います」と笑っているが、その質と評判を自分でも保たなければということを励みにしている。
  そういう老舗に行き当たってしまう私は、幸運である。私は今度ここで、突然、葛に「うるさくなってしまう」のである。これは、中味のない奴の特権。

 いい水が豊富にある土地の産物を訪ねて、水そのものとそこの産物の関わりを訪ねる旅をして、秋月の葛屋さんにたどり着いたのだった。
 もちろん、葛づくりに最適の条件が揃っていたから秋月で高木さんの先祖がその仕事を始めたという次第。高木さんの処では自家用の井戸水を利用している。葛は完全に自然のもので、栽培している葛というものは一切使っていない。というより、そんなことをして見合うものではないらしい。昔から完全に自然採集の葛だけで「葛」粉をつくっていると言っていた。

 いい葛粉をとるには三〇〜五〇年も地中で成育した葛でなければいけないという。私だって葛という植物を知らないわけではないけれど、五〇年も地中にあるとどうなるか全く想像になかった。本当に「全く」考えてみたこともなかったのだ。
 そのせいで、高木さんが、それですよ、と指をさして私に教えてくれている場所に、葛の五〇年物が見つからないのだ。
 太目の地下茎がどこかにないかと探して視線を巡らしても、無い。
 目の前にずいぶん年取った感じの電柱より少し太い丸太があるだけ。
 マメ科の、寒根かずら。秋の七草のひとつ。葛の地下茎が、まさか丸太のようになっていると思わないから、店内装飾の一部として木を伐り出して置いてあるのだと見ていたのである。目では、間違いなく「葛」を見ているのに、それが葛とは考えないから、見えなかった。
 その電柱よりやや太いぐらい丸太が、葛の根だった。一緒に行ったスタッフも私も「ギャ!」である。

 「この山の」という風に、一つの山単位で心に留めて置くそうだが、その山に点々と生えている葛の全体を把握しておき、ちょうど葛粉の原料としていい頃合いのものを順に採っていくという。高木さんが掘り出すのではなく、葛堀りの専門家がいる。「くずひろい」である。あはは。
 葛が大人の太ももぐらいになったら採ろうという目安はあるそうだ。そのぐらいの時の葛がもっとも歩留りが良い。澱粉の含有量が多いということ。
 山にある葛を、他の人が採っていってしまうというようなことはないものか、という質問に対して、昔は御用商人ということで藩内ただ一軒の葛屋だったから保護されていたし、現在でも「葛は、儲からない商売なので採る人はいない」と言う。私の、卑しい心の隅には「松茸山」というような発想があって、勝手に入り込んでおいしいことをするヤカラのことを想像したのである。

 さて、それが葛だとようやく納得した「大木」。これを機械で叩いて柔かくして、繊維の中に含まれる澱粉が出やすいようにする。鱈の干物をほぐしたみたいにするわけです。それに水をかける。それを絞ると葛の根に含まれる澱粉質が流れ出てくる。それをためておけば澱粉が沈殿して、それが葛。単純でしょ?
 この猛烈な単純さが、伝統の単純さ。
 しかしですよ。
 最初の段階で絞って出てくる水は醤油のような色だそうだ。これを三日ほど置くと、澱粉質が沈殿する。汚い上水(うわみず)を捨てて再びきれいな真水を入れて攪拌して、また三日ほど置く。これを十回ほど繰り返して葛をよく晒すのである。こうして葛を白くし、というのか白く残る分だけを集めて、純度を高めていく。
  計算すると「三日の作業を十回」で、ひと月かかる。不純物も多く、アクも強いので、よくよく晒す必要があるのだそうだ。もとが葛だから、煮てアクを救うわけにはいかない。
 この時に、水が重要な役を果たす。
 葛づくりは一月から四月いっぱいまでの作業、寒い期間だけの仕事。井戸水は十五〜六度で、これは「暖かい」からそのままは使えないそうだ。そこで井戸からくんだ水をタンクに入れておいて、温度を下げる。
 次の朝までおくと冬のことなので表面に氷が張るぐらいに温度が下がる。それぐらいの水を使うと澱粉の沈殿率がよくなるので、わざわざ水温を下げて利用するわけだ。
 暖かい水だと対流を起こすので、沈殿がなかなか進まない。なるほど! 水が冷えきっていると、キュッとがしまる、というのである。それに葛は澱粉質なので、暖かいと発酵してしまう。そういうこともあって冬の作業ということになる。
 暖かいと澱粉と自然にある酵母で、酒ができるような状態になる。どこか和三盆と似た話でしょ?
 水が冷たく、冬が寒いこと、そして空気が澄んでいることが必要である。空気が澄んでいる方がいいのは自然乾燥の時に影響が出るから。自然乾燥中に大気に含まれている埃りが葛の白さを落とす、というような事実。そのことが葛の質を落としてしまうというような話を聞くと、伝統的な産業が求める自然条件の厳しさがよくわかる。
 昔は、空気が澄んでいることなんて「何でもない条件」だったに違いない。そして時代が進んで、周囲の近代化が葛を駄目にすることになってしまう。すごい話なのだ。もちろん、山の「開発」ということも乗り越えなければいけない伝統産業である。

 一〜三月に葛を土から掘り起こすのは、秋から冬に葛が枯れて、養分を地下茎に蓄えているからである。翌年、新しい芽を伸ばすために役に立つ澱粉質を蓄えている時に収穫してしまうのである。必然的に冬の仕事になってしまう。ということで葛の収穫も、葛粉づくりも冬の仕事、特に冬の「水仕事」になってしまうのだ。
 三〇〜五〇年も時間をかけて成長した葛を採るのだから、その年による豊作不作というのはないのではないか、と思ったが、そうではなく、やはり夏暑くて充分な日差しがあった年には澱粉の質も良く量も多いということになるのだそうだ。雨がちだと、葉っぱが落ちてしまって蓄積できる澱粉の量が少ない。そうか、葉で行う光合成の結果の澱粉だと考えれば、わかる。
 葛は繁殖力が強い植物である。
 他の木に巻きつきながら成長するので、植林をする場合には、木の生長に不都合ということで、葛はすっかり切られて整理される。新しい時代に植林された山からは、葛が駆逐されてしまっているので、葛が無い。こういうことを考えると、山を持って、木を植えてそれに葛を絡ませて育てるというような「栽培」は費用がかかり過ぎてほとんど不可能だということもわかる。
 現在、高木さんのところでは、鹿児島から葛の根を仕入れて葛粉をつくっているとのこと。 葛は、原材料100kgから7kgしかとれない! 非常に歩留りの悪いものだそうだ。昔は薬としても使われていたし、白い金、とも呼ばれていたぐらいに高価だったそうである。
 この歩留りの悪さを考えると、山から葛の原料を盗もうと思う人はいないはずである。それにしても、この歩留りの悪さには、素人ながら飽きれてしまった。

 さて、話を戻すと。水で晒していても、葛は粒子が非常に細かいので、上水がすっかり透明になるというようなことはない。晒しで一月、そのあと陰干し二カ月、最低それだけはかかる。
 沈殿を待つのではなく脱水機を使う方法も今はあるのだが、それでやると葛の粒子が崩れてしまう。機械を使うとその粒子に傷がついてしまうのだそうだ。そうするといい葛とは言えない。ということで自然沈殿法ということを続けている。
 料理や菓子の職人には、自然に沈殿させた葛と機械を利用した葛が「違う」とすぐにわかるそうだ。乾燥も、ボイラーで瞬間的に乾燥することもできるけれど、それでやると、葛に一度熱を通してしまうことになる。そうして一度「煮えてしまうと」澱粉質が変化して品質が落ちてしまう。
 一度あんにしてしまうようなものである。
 そういうことがあるので、ほとんど昔ながらの葛のつくり方を続ける方が、いいという結論になる。つまり、伝統的に「そうしてきた物」は、今でも、そうした方が品質も優れ、本物であり続けるということになる。
 やっかいな工程を近代的な方法で省いてしまうと、伝統的な産物がたいてい「駄目な物」になってしまうのが、外野の私には面白い。もちろん、つくっている人は、楽で本物ができる方法を模索しているのだが、現代の技術でも「昔ながらの方法」にかなわないことが多いのである。これが、私の好きな話。

 そして乾燥が終ってから、一年ぐらい寝かせる。澱粉の臭いがあるので、一年ぐらい寝かせて、その臭みが消えるのを待つ。葛に臭いがあってはいけない。
 こうして良質の葛ができるまでに、結局一年三カ月ぐらいはかかることになる。製法そのものは十代続いた間ほとんど変わっていない!
 葛の食感は、ゼラチン質とはまた異なった独得のものである。でき上った物の表に「葛」の個性を出すことなく、それでいて日本の食文化の中で実に個性的な役を果たしているのが興味深い。伝統食でもある。葛自体に味も臭いもない。日本人の好む、舌触り、のどごしを生む素材というのは不思議な存在ではある。

 幸い、今のところ水の質は落ちていないそうである。
 「何百年も水が保たれて来た、というのは奇跡のようなことですよ、この国ではね。『幸い』山の中でもあり近所に大きな工場が建つということが今のところないようですし、もし、水道水を利用しなければいけなくなるとしたら、水道の水を葛に影響のない水にするために手間がかかることになるでしょうね」と高木さんは言っていた。
 和菓子の世界では、夏の表現は葛でするのが決まりのようなもの…というような話をしていたら、「でも、お菓子屋さんで決定的に問題になるのは、水、といっても過言ではないですよ。あんこをつくる時のことを考えてみればわかるんですけれど」と教えてくれた。
 そうか、例えば餡は水とともに漉した豆の粒子を煮詰めるのだから、水が悪ければそれが煮詰まってしまうということか、ひたすら納得。「いや、葛に限らず日本の食品は、いい水に負っているところが大きい」と言う高木さんだった。

 こうして、私は葛のことを知ることができた。私が言うところの「葛に、うるさくなった」のである。
 そして、秋月の高木さんのところで、日本の伝統的な食品に関わる物「特に葛や三盆糖などはその歩留りの悪さや手間のかかることで大変ですよね」というような話になって、たまたま前の年に徳島の『岡田糖源郷』を訪ねたんですがと話が展開したら、
 「あれ、岡田さんとこ行ったんですか」と高木さんが言った。
 なんと二人は以前からの知り合い、友人だと言う。
  和菓子関係の集まりがあると呼ばれることが多く、この世界では「三盆糖と葛が欠かせない」と言われ、つくるのに大変な手間が必要なのはわかっているが、和菓子には欠かせない物だけに、二人とも頑張ってくれと多くの方から声をかけられているのだ。そうした同士がいつの間にか親しくなったという話。
 こういう話がまたうれしい。
 こういう話に会えることがあるので、旅に出て人に会うのは止められないのである。

 そして私は、ますます熱を入れて和菓子屋の客をやることになってしまったわけだ。
 こうして私は、葛に三盆糖もにも「うるさくなって」しまったし、和菓子を口に運びながら、葛はどちらのものを使っていますかだの、三盆糖の甘さは独特ですよね、などと言ってしまうのである。底の浅い、知ったかぶりではある。へへ。




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