東西南僕 08 ビジネスホテル
2002年07月15日(月)
 旅先の牢獄

 ビジネスホテル、というのが私は非常に怖い。指定された部屋の窓が、「嵌め殺し」だったり、窓の下が絶壁だったり、窓の外がすぐ隣りのビルの壁だったり、何かあったら大変なことになってしまうと予想されることが多い、だから怖い。もともと開けられる仕掛けの窓なのに、可動部を固定して「開けるな」と注意書きしてあるところもある(これは本当は規則に反しているのではないか?)。

 それもあって、ビジネスホテルで自分に振り当てられた部屋に入ったら、まず、非常口に向かうシミュレーションをする。ドアを開けて、廊下の左右を見て、心の中で「ドアを開けて左」「ドアを開けて左」というようなことをくり返す。なにしろ、酔って寝ている場合が考えられるから。
 また、窓の開かない部屋では、窓ガラスを割らなければいけない場合を想定して、何で割るべきか考えておく。私のこぶしぐらいではとうてい割れない厚いガラスは、建物にとって必要な頑丈さであって、宿泊客がそこを抜けて逃げなければいけない丈夫さを想定していない。腕力に自信がないし空手をやっているわけでもないから、その厚いガラスを割る方法を考えておかないと怖い。廊下側に出られないことを想定すれば、ガラスを割らなければいけない事態は、必然である。重くて堅い物を紐で振り回すか、ハンマー状の物を利用すると決めておく。ビジネスホテルの部屋にそういう物がないのが普通だが、とにかく何を利用するかきちんと心づもりしておくことにしている。
 もちろん、試してみるわけにはいかないが。

 逃げるために必要なことを想定したあと部屋を見回せば、洗面所・風呂・便器一体構造のペコペコ型抜き空間がまさしく牢獄である。あそこに入るといつもソルジェニーツィンの「イワン・デニソヴィッチの一日」を思い出す。イワン・デニソヴィッチは独房には入ってはいなかったが、長い収容所生活を強いられ「心の狭さ」まで強要される感じが、ビジネスホテルの小部屋の感覚によって引き起こされる。
 もしここから出ないで何年か過ごせと言われたら狂うんじゃないか、と思ったりもする。私はたぶん閉所恐怖症ではないと思うけれど、ビジネスホテルに着いて、手を洗い、顔の汗を拭く時に「また、独房だね」と思い、軽く気持が揺れてしまう。

  聞いてみると皆そう感じているらしいので、もう少し空間デザインや色を考えてくれればいいのにと思う。人間工学の専門家やら、才能ある建築デザイナーが力を発揮すれば、例え現在のビジネスホテルの空間しか与えられないにしても、もう少しそこにいることが不安にならない場所にできると思う。優秀なデザイナーは、ビジネスホテルの部屋のデザインは手がけないんだろう。そういうところが、この国の貧しさだろう。人数で言えば、最も多く利用されるのがビジネスホテルでしょ? もう少し考えて欲しい。
 サラリーマンでいっぱいだものね、いつも。

 私は、予算の少ない旅をしている(させられている)のでビジネスホテルに泊まることが多いが、これが平均的なのか「低レベル」なのかわからない。そこに泊まることが目的ではなく取材で現地にいることが目的なので、寝るだけの空間として必然的に「ビジネスホテル」になるのだ。

 窓が開かずに、空調がカサカサ。そのせいで風邪をひくことの多いビジネスホテルである。夏でも冬でも、いつも心地よくない。エアコンディショナーは、入れれば寒く、切れば暑い(冬はその逆で、入れれば眠れないほど暑く、入れなければ非常に寒い)。正確に言って、室内のコンディションを整えてくれていないコンディショナーである。
 風呂の栓をしてドアを開けたままにし、シャワーで熱湯をしばらく出して空気を湿らせておく。こんな対策しかないのである(最近ではこれをやると、センサーが反応して大騒ぎになったりもする)。そういう、悲しくも貧しい努力をしなければいけない「ビジネス」ホテル。出張の多い人など、ビジネスホテルの悲哀をしみじみ感じているのではないだろうか。また、それぞれに心地よく過ごすための工夫もしているんだろう。
 日本経済の基本を支えている人達が、ひと晩寝るために過ごす場所としては、侘びし過ぎる。その一方では、税金で接待が行われている。

 なにしろ貧しく、侘びしいのは、朝食である。
 チェックインの時に、朝食は? と聞かれる。もちろん、食べます。「和定食にしますか、洋定食にしますか」と聞かれる(よくあんな物を堂々と定食だなんて言えるもんだなぁ、と思って聞いている。いったいビジネスホテルに勤務している人は自分の勤め先の「定食」と呼ばれているものを食べたことがあるのだろうか?)。
 私は、断じて和定食にすることにしている。日常生活でも、朝食はご飯「米の飯」を基本にして食べているし、隣りのテーブルを覗き込んで知るビジネスホテルの「洋定食」の悲しさ、には耐えられない。
 和定食の場合、ご飯が温かいことが期待できる。味噌汁が温かいことも期待できる。生卵があって海苔があれば、ご飯を二膳は食べられる。洋定食というのは、駅弁のサンドイッチと同じように、侘びしい。食事をしたという充足感を得られるのだろうか、と隣りのテーブルを見ながら思うのだ。
 二枚のレタスに、スライスハムが一枚か二枚、そこに目玉焼き。あるいは、ベーコンエッグ(本来、ベーコンエッグズであって、卵は複数の物であるはずが、日本では卵一つだ)。薄いトースト一枚あるいは二枚、小さなパッケージに入ったバターとジャム、コーヒー。
 これ、悲惨でしょうに。まぁ、サラダという名前のひどくぞんざいな生野菜がついていることもあり、オレンジジュースがあることもある、でもそんな程度である。
 そのベーコンエッグをフォークの背中に乗せて食べる人を見ると、「洋定食」の悲しさはさらに増すのである。
 私は、そういう朝食で、この国の経済を支えているビジネスマン達を送り出すというのは、ひどいと思う。エネルギー量からいっても、満腹の度合いからいっても、悲惨である。日本の経済が崩壊は、あのビジネスホテルの朝食の力のなさに原因の一部があると、思うぐらいだ。
 多くビジネスホテルを利用するはずのサラリーマン達が、あんな物は朝食に値しないとあちこちでハッキリ言い続けてくれればいいのだが、日常的にその程度の朝食しかしていないのか、あの定食についての文句を聞いたことがない。
 ブリーフケースをテーブルの横に置いてそれをソソクサと食べて「ビジネス戦線」に赴くのである。スポーツ新聞を見ながら、片手にフォークをもって、足を組んで斜めに構え、顔をテーブルに近づけては洋定食を食べる姿を見せられると、まぁ、日本のビジネスマンの「基本的な姿」が見えて悲しくなってしまう。応援したいけれど、実体はそうである。
 海外出張はさせられませんよ、絶対にね。

 私も実は「早メシ」の口だけれど、出発の用意をしてテーブルについて時計を見ながらパンを胃袋に送り込む姿を見ていると、日本経済を背負うビジネスマンになれなかったことの幸せを祝ってしまう。
 大手ホテル系のビジネスホテルでは、しばしば「バイキング式」の朝食が用意されている。これはありがたい。温かいご飯と、納豆、海苔、卵、味噌汁、焼き魚、煮物、おひたし、牛乳、最後にゆっくり紅茶。こうしたものがきちんと「適度に」満腹するまで食べられるのでひたすらうれしい。しかし、低予算の取材ではこういう朝食になかなか出合わないのである。
 大体こうした「ピンからキリまで」の朝食の平均の値段は、一〇〇〇円か一一〇〇円というところ。八〇〇円で満足するところもあれば、一三〇〇円でどなり込みたくなるほどひどいところもある。

 ビジネスホテルというのは、ひと部屋分の空間が狭い以外にも、多くの問題をはらんでいる。
 ・テレビが有料である。
 ・備品に、差があり過ぎる。
 ・社員が街のことを知らな過ぎる。
 ・冷蔵庫があったりなかったり。

 立派なホテルにばかり泊まっている人には想像もできないだろうが、ビジネスホテルのテレビはしばしば有料なのである。俗にアダルト放送と呼ばれる「服を着ていない男と女」の放送が有料というのはわからないでもないが、一般放送を見るのに金を払わなければいけないので腹が立つ。
 夕方六時から七時頃に仕事から帰ってホテルに着く。荷物を整理し、テレビでその日のできごとを眺めつつ、さっと汗を流して食事に出ようとする。テレビを見ている時間はせいぜい二〇分ぐらいのものである。そのために一時間分一〇〇円入れなければいけないのだ。
 しかも、途中でテレビを消したからといって金が戻るわけでもないし、そこで一旦タイマーが止まってあとでまた見られるというわけでもない。五分でも、五十五分でも一〇〇円である。これが不愉快である。納得がいかない。一回一〇〇円もあれば、一時間一〇〇円もある。
 一週間も旅を続けると、国内にいても世の中の動きがわからなくなり、曜日の感覚も失われてくる、そうした時にニュースぐらいは見たいと思う。そのことで、いちいち金を払わなければいけないのが業腹である。そういうのは、宿泊代に含めてしまえばいいじゃないか、といつも思う。だからたまに、テレビが自由に見られて新聞を朝夕届けてくれるビジネスホテルに泊まると、うれしい。つまりいつもはそういうのではないホテルに泊まっているということだ。
 朝もそれは同じで、八時半出発などであれば、朝のニュースを見ることができるのだが、とても長々と見ているわけにはいかない。こうして、釣りの出ない一〇〇円電話と同じような不快さが残るのである。

 さて、先に書いた「アダルト放送」だが、本を読む気もなくちょっとエッチなテレビでも見てやろうと思ってその見方の説明を読むと、決まって三〇分三〇〇円と書いてあるのだ。これは、一話が三〇分ぐらいで終わるという前提なのだと想像する。なぜか「一〇分一〇〇円」とは書かないで、三〇〇円払わせようとする。試しに一〇〇円入れてみると、その分ちゃんと映るのである。
 そこで、ビジネスホテルのベテラン「私」は、一〇〇円だけでクライマックスを見ようと企むのである。セコイ! 一般テレビを見るために入れた一〇〇円で、数秒間「アダルト放送」を試してみることができるようになっている。そこで、ニュース番組の途中で「ちょい」と、エッチを覗いてみる。いくらその手の番組でも、服を脱がすまでのアレコレというのがあるもので、「ちょい」と覗いた時にまだ男が女をくどいていたりしたら、もう少し待つのである。こうして「コトに及んでいる場面」を一〇〇円分見るのだが、もちろんこの作戦が大はずれすることも多い。
 なんともセコイ客で、こうだからビジネスホテルにふさわしいのだろうが、テレビが有料というのは普通の感覚では腹が立つ。「コトに及んでいる場面」にモザイク模様がかかるのも腹が立つ。ついでにいうと、ビジネスホテルで見られるような「アダルト放映」の質の低さにも腹が立つ。もうちょっと面白いものはできませんかね。それこそ三〇分間見たくなるようなものですけれど。
 ちょっとした小道具で、一〇〇円硬貨を使わずにこうしたテレビを好きなだけ見る特技を持った旅人も沢山いる。

 タオルが厚く肌に心地よい柔らかさ、これがホテルの気持良さの一つである。
 備品に、差があり過ぎるというのは、そういうタオルがなく、ゴワゴワの薄っぺらのが一枚あるだけで、あとは「おつまみチーズ」大の石鹸一個というようなことがかなりあることを指している。
 洗面道具は必ず持って旅に出るし、ホテルにある歯ブラシは気に入らないので自分の使い慣れた形のを持ち歩いている。髭剃りも、ホテルにあるのはしばしば鋭利過ぎて皮膚を傷つけることが多いから使わない。シャンプー&リンスは便利だがたいていは強い匂いを発するので、私は匂いの極力少ないものを持ち歩いている。
 そうすると、石鹸とタオルに魅力があればいいことになるが、これがなかなかない。きっといいホテルに泊まればそのタオルの良さだけで豊かな気持になれるぐらいなんだろうが、私の旅はそうはいかない。
 備品が揃っていればいい、なければ駄目というのではなく、備品の数が減るなら減るでいいのだけれど、用意しておいてくれる物の心地よさをもう少し心に留めておいて欲しいと思う。
 民宿の洗面所に、使い捨ての歯ブラシと、地元の企業の名前が入ったタオルがあったとして、そのタオルが全て洗い立てのフカフカであれば気分がよくなったりする。ついでに言えば、口をゆすぐカップの縁がきれいであって欲しい。私が言うのはそういうことなのだ。
 凄い香り(というより、臭い)のシャンプーとリンス。それに、使い捨てするにはもったいないような髭剃り。そして、これまた激しい匂いで、小さな容器に入ったローションとクリームなど。そのホテルと契約している化粧品会社のコテコテのサービスなんだろうが、人には日常の習慣というものがあるわけで、ホテルの洗面所には極力匂いを発しない類の化粧品類を用意するべきではないかと思う。
 私は、ほとんど使わないのでどうでもいいけれど。
 ほとんど使わないとは言うが、シャンプーとリンスを兼ねたものや、使いやすそうな髭剃りはいただいて、旅行用の洗面用具入れに加える。この二つはどこでも使えて便利なのである。島の民宿で、風呂には皆で使う石鹸と髭剃りしかおいてないというような場合、そういう風にして手に入れた物が便利なのである。髭剃りを共用するというのは今日日やや危険ですからね。

 ビジネスホテルに着いて、先に書いたように「ひどく個人的な」危機管理やら、次の日の用意をして「晩飯」を食いに出ようと思う。多くの場合その町・街が初めてなので、フロントにいる人に、この辺で「飲み食いするのにいい、お薦めのところはありますか」と聞くのだが、いい店を紹介してくれることが無い。
 これまでに、皆無とは言えないが、いい店を教えてもらったことがほとんどない。これが不思議である。(さりげなく、ホテルの系列の飲食店を薦めるので、最近は油断できない)。
 そのホテルに勤務している人は地元の人なので、自宅に帰って食事をするのが普通らしく、あまりその周辺で飲んだり食べたりしないということだろう。また、若い人の場合は仲間で遊びに行く場所は知っていても、大人の男どもが酒を飲み腹を満たすにはどういう場所がいいかわからないようである。
 ビジネスホテルには食事ができる場所が用意されているけれど、ほとんどそこで食事をする意欲が出るような雰囲気ではない。喫茶店にケがはえたというか、スナックの高級なやつとでも言うか、半径2kmにそこしかないというならしょうがないけれど、他があったらまず入りたくならないような店構えのことが多い。
 こっちはこっちで、せめて地元の酒を飲んで地元の食べ物を楽しみたい、ぐらいは思っているから、ビジネスホテルのフロントの人にはこちらの思い描いている店の見当がつけられないのかも知れない。
 ロビーに置いてある観光案内として作られたグルメマップ(こういう名前にしている神経がわからんのです)などを見ることがあるが、これはハズレが多過ぎて役に立たない。というのも、旅行者にはこういう場所がいいだろうと観光課の人々が思っているらしい場所は、私にはまるで入りたくない場所だし、地元の商工会などが作ったガイドになると「夜のお楽しみ」風な編集になって、これはこれでこちらの目的とは違ってしまう。
 そこでたいていの場合は、持参の普通の地図で繁華街を読み取り、その町の昔賑やかだったはずの一帯に見当つけたりするのである。ビジネスホテルからそこまで歩いて行ってみる。手っ取り早くタクシーに乗って、運転手さんに聞いてしまうこともないではない。
 ただし、男の二人旅、三人旅と見ると、タクシーの運転手さんなど気をきかし過ぎて、「女と酒とカラオケのある」一帯、あるいは「女と妖しげな雰囲気のある」一帯に私達を運んで行こうとするのが常で、そういう目的ではないことを説明するのに手間がかかる。酒だけでいいのである。これが伝わらないのだ。旅先で女を求めたりしないのもいるということを説明するのが、どんなに大変なことか! 質のいい飲み屋をと言うのに、「そうは言うけど、本当は女の子のいるとこがいいんでしょ?」と、最後まで言い張るタクシーの運転手さんである。

 初めての町で、気分のいい「小料理屋」に入りたい。地元の、いい酒呑みが顔を出しているような店。そうすれば間違いなく取材に役に立つ。地元に古くから住んでいる方がそこにいれば、町の変遷について話を聞くこともできる。そういう店の見当がつく社員がいないのがビジネスホテルである。

 サラリーマンが出張の仕事を終えて、その地の支店の人と食事もし、明日の朝早い乗り物で帰ります、というような利用の仕方が多いからフロントの人がいい店を知らなくても済んでしまう、ということなんだろうか。
 仕事でその地に行くということは、人が変わってもその社の同じ担当の人が繰り返しその地を訪れるということである。本社と支店、あるいは企業同士の取り引き、ということを考えれば繰り返し人がやってくることは確実である。その時、あのホテルがいいよ、フロントの人がいい情報を持っているから、というのは魅力にひとつになるはずである。そこに気づいていないようなので、やはり、淋しいビジネスホテルである。

 部屋に、冷蔵庫が無いことも多いビジネスホテル。ちゃんとしたホテルに泊まっている人は経験が無いかも知れないが、ビジネスホテルにはそういうことも多い。冷たい物を飲みたいと思ったら、部屋から出て廊下の片隅に設置してある自動販売機まで行かなければいけない。しかも、その自動販売機が各階にあるわけではなく、部屋にある「ホテルのご案内」などを見て上の階に行くか下の階に行くかを調べなければいけなかったりする。
 部屋の中は個人的空間だが、廊下は「外」である。冷たい飲み物ひと缶のために着替えをして出なければいけないのはひどくうっとうしい。夜中に目覚めてのどがかわいていた場合のことを考えて予備を買っておけば、当然ぬるくなる。そういうことである。
 私は、甘い物は飲みたくないので水かお茶を買うのだが、ぬるくてはあまりおいしくない。「酔い覚めの水千両と値が決まり」と思えないぐらいぬるくなってしまう。
 だいたい、冷蔵庫があれば、到着した時に水を入れ替えて氷を作って、冷たい水を飲むことで済ますことができるのに、のどの渇きをいやす飲み物をいちいち買いに行かなければいけないのが果てしなく煩わしい。
 それと、取材という仕事の場合にたまたまあることだけれど、取材先から生ものをいただくことがある。時間的に余裕がないことや料理しなければいけない物だったりで、部屋ですぐに食べられないことも多い。それを口にした印象を書くことも仕事に含まれるのでどうしても食べなければいけないから、傷まないように保存しておきたい。こういう場合に部屋に冷蔵庫がないと大変である。ホテルの冷蔵庫に預かってもらおうと思っても、ビジネスホテルではこれがほとんど拒否される。
 こういう不都合をすべて考え合わせると、一般のホテルに泊まった方がいいことになるかもしれない。
 しかし、経費節約の時代、予算の都合という大きな制約がある。三人の人間が、飛行機で出かけて二泊・三泊して取材するということになると、削れるのは宿泊費と食費である。その上で、短時間で内容の濃い取材をするしかない。
 また、多くの場合取材先が大きな街ではなく、「町」という文字の方に近い感じだったりして大きなホテルがそもそもないのだ。
 それに、早朝、それも二時だの三時に出ていったん取材してホテルに帰って、二時間ぐらい寝て、アサメシを食ってまた出かける。次に帰ってくるのは、夜の七時、八時などということが多いのだから、その日必要のない荷物を預かっておくことと寝る場所の確保という意味でビジネスホテルで足りるのである。
 そのホテルに泊まることの素晴しさを楽しむ、その中のレストランで食事をする、あるいは部屋からの見晴らしを楽しむ…ということは私の取材には、含まれない。
 かつて石川県で、日本のホテルのベスト5、ベスト10をやれば必ず「3位」までに入っているという有名なホテルに取材に行ったことがある。社長と予定を越えて話が弾んでしまったし、会っていてなんとも心地よい人物だったけれど、我々はそのホテルには泊まらなかった。本来なら取材先がホテルならそこに泊まるべきだと思ったが、日頃の取材費から言ってあまりにも立派なお値段なので「泊まれなかった」のだ。だから、一番近いビジネスホテルに泊まることになった。そういうことである。

 最後に、ビジネスホテルの予約問題について。
 日本のホテルは個人の名前だけで予約しようとすると、ひどく厭やがる。「会社」の名前を言わないと断わられることすらある。私は社員もやっているけれど、個人営業もやっているので、そこはうまくやるようにはなった。にしても、会社の仕事ではなく、個人の名前で仕事をしている時に勤務先の名前を使うのは「ルール違反」だと思う。忸怩たる思い、である。
 個人的な仕事の場合は、その結果の文章が載る本の出版社の名前などを使わせてもらうことにする。これも本当は、腹立たしい、自分の名前を言った時には渋っているのに、出版社の名前を、それも有名大手出版社の名前でも言おうものなら「はい、お部屋をご用意させていただきます」とくるのだから、馬鹿野郎! だ。
 日本人で日本国内を個人で旅する人の多くが、このことを怒っている。西欧の人だと個人でも簡単に泊めてしまったりするくせに、東南アジア人や日本人に対して底意地が悪い。こういうことが、日本を二ないし三流国にしていると私は思う。国が金持ちかもしれないが、国が国民に開かれていない証拠の一部、とも思う。
 私自身は、自分の身分証明書として、日本国内を旅する時もパスポートを持ち歩くことにしている。こいつがこいつであると、客観的に国が認めてくれている証明書といえば、これしか持っていない。けっこうな金額を払ってもらったのだから国内でも役に立てなければ、悲しい。

 …これだけビジネスホテルについてあれこれ言っているけれど、私は、旅を楽しんでいる。充分楽しんでいるのである。実は、事務所の机に向かって仕事をするよりは、思いがけないことが続く旅先の仕事の方が遥かに好きである。そして、仕事が続けば、これからもビジネスホテルの観察を続けることができるわけだ。ビジネスホテル評論家でも、名乗ろうか。




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