東西南僕 12 深川の金魚売り
2002年09月04日(水)
 深川の金魚売り

 深川に取材に行くことになった。
 私は東京生まれではないので、かえって下町と呼ばれる地域に興味を持っている。だから、深川に深川という川がないことは知っていた。深川八郎右衛門という人物が徳川家康の要請を受けてこの地を開発し、その名を地名にすることを許された、それで深川である。
 深川を舞台にしたテレビ人情時代劇の紹介記事に添える、今の「深川紹介」が取材の目的だった。カメラマンと三日間歩き回って面白い話を聞くことができた。一方、地元に長く住んできた人達が地域を離れてどんどん引っ越していってしまう悲しみも繰り返し聞かされた。年を取ってから町内の知り合いがいなくなるのは、辛いに違いない。
 取材二日目の午後、ウグイスの糞を売っている店に写真を撮りに行った。ウグイスの糞は、日本では伝統的な美肌用品で、年配の人だけではなく、かなり若い人が買いに来ていた。来年の分の予約というのもやっていた。
 「ウグイスの糞で顔を洗う」ことは平安時代からすでに行われていて、短期間で美白効果を発揮する洗顔料として愛用されてきた。歌舞伎役者や芸者の肌の治療にもウグイスの糞が役立ってきた。繰り返し白粉(鉛を含んでいる)で化粧するために肌が黒ずんでしまう、いわゆる肌やけを直す洗顔料として使われてきた。
 ウグイスは腸が短く、糞の中に豊富な消化酵素が含まれたまま出てくる。この消化酵素は、漂白酵素、脂肪分分解酵素でもあり、乾燥させて利用すると、肌を柔らかにし、肌の汚れを皮膚組織の深部から落とすのである。よくそういうことに気づいたものである、たぶん、中国からの知恵ではないか。  
 さて…
 その店の佇まいはいかにも東京の下町の店という感じでカメラマンが楽しそうに写真を撮っていたが、その間に私はその店の主人が元金魚売りだったことを聞き出した。金魚売りをして貯めた金で、今の店を出したのだというのだ。
 「金魚売り」には前々から聞いてみたいことがあった。
 私の田舎にも金魚売りが来たが、その金魚売りはその日のうちにもと来た方へ戻って行くことがなく、何日かたってから、去っていった方から戻ってくることを知っていた。
 ということは、金魚はどこで仕入れるのだろう、それが気になっていたのだ。
 「金魚は、どこで仕入れるんですか?」
 この問いに対する答えは簡単だった。昔は、金魚を育てているところがいくらもあったというのである。その答えに対しても「え?」と思った。
 理解できないものはできない。
 まだ、農業が主体だった戦後すぐの日本では、畑をやっている人には大きな池が必要だったり、また田んぼをつくっている人たちにも干ばつに備えたりするために池が必ずあったものだという。そうした池の端に囲いを作って金魚を育てている農家があちこちにあったものだそうだ。私の不思議は、金魚売りには全く不思議でも何でもないことだったのだ。
 ということで、
 「三島まで行く場合には…」と、深川から静岡県の三島まで行く道程と、半日か一日歩けば金魚を仕入れることができる場所があったと教えてくれた。その道程の長さと、金魚を育てている人が点々といるという「のんびりした時代」がうらやましい。
 「天秤の荷は、前と後ろの重さを同じにしないと運びにくいんだよ。で、前は、金魚と水だな。後ろには、金魚鉢と餌、それに自分の着替えだ」。これで歩き始めるのである。
 一匹二円か、三円で仕入れた金魚を十円から十五円ぐらいで売る。物によって、値段を変えるぐらいの工夫はもちろんする。金魚鉢と餌も売る。
 「案外儲かるもんなんだよ。あの、金魚鉢がさ曲者なんだよ。上の飾りのところは見た目良く広がっているけど、鉢の口そのものは狭いだろ? 金魚を飼うのに向いてねぇんだよ、本当は。あれに、一匹じゃさみしいだろ、三匹かそこらは入れるだろ、彩りもよくしてな。で、水草を入れる。これだって根の無いもんで、息はしてない。それでさ、必ず餌を入れすぎる。もうこりゃ決まってそうなんだ。で、水が汚くなるし、プカプカとやるのはなんだよ、呼吸困難というわけだ。だから、売って十日ぐらいして、戻りにその町内に寄るともう死んでることが多いんだよ、金魚には可哀想だけどよ。ちょいと粋なねえさんなんかが金魚を飼っちゃ殺すわけだ。行き来に売れるんだよ」。
 こうして、金魚は思いの外よく売れたものだという。
 参った、実にすごい商売なのである。
 一度南に行ったら今度は北、売りに行く方向は思いのままに選ぶことができる。本当に心任せ、足任せ。西は、三島あたりまで、山梨に向かえば、甲府。高崎、前橋まで行ったり、宇都宮までいったり。水戸まで行って、銚子をかけて戻ってきたり。そんな話をしてくれた。
 買う人が多ければその町内に長い時間いることになり、売れなければどんどん町を抜けてしまう。それでも一日二〇キロを越える程度には歩く。町が切れて次の町まではただ歩を進めるだけなので距離が出る場合もあるわけだ。
 そして、この元金魚屋さん、まめな人だったのである。
 泊まった宿のマッチの箱を全部日記帳に貼り付けてあった。旅商売している人の泊まる安宿、商人宿ではあるが、昔はマッチをこしらえ、箸袋に趣向を凝らしていたりで、今見せてもらうと、実に時代がそこに現れている。
 で、何々荘ははいくらで、食事がまずいのおいしいのといったことも全部記録してある。本人は、記録しておくつもりではなく、次にそっちへ旅したときに、厭な目に遭わなくて済むようにという覚書なのだが、今見せてもらうとこれが面白い。食事、風呂、部屋の様子の他に、そこに呼んだ商売女の値段やあしらいの善し悪しまで、この金魚屋さんは克明にしたためてある。
 「えへへ、これ見るとみなわかっちまうんだ。な。それとな、ここに富山って書いてあるだろ。富山、わかるか?」
 これには見当がついたが、わからないことにした。
 「これな、その宿が富山の薬売りの常宿ってことだよ。富山の薬を行商して歩いている連中が泊まるんだ。皆、人はいいんだけどな、集まると、話し込んでうるさいんだよ、一晩じゅうな。その常宿には、足らなくなった薬を補充するために富山から来ている人間もいて、薬の受け渡し、金の受け渡しがあって、田舎の情報っていうか、あれこれ知らせを伝えるわけだよ。で、酒になる。どんなに静かに始めても、久しぶりだし何だしで大騒ぎなるんだ。これをやられると、こっちは寝られない」。
 ということで、日記には富山の薬屋の常宿かどうかも記録してあるのだった。なかなか抜け目がない。というより、一人の商売というものは、いざやり出したらそれぐらいの心遣いはしておかなければいけないということだろう。
 行きに寄って気に入った宿に、帰りにも寄って、前に呼んだ女をもう一度呼んでいることも、日記からわかる。行きと別の宿に泊まるのは、大体前に泊まった宿の印象が良くないか、少し高いかである。物見遊山の旅ではなく、金を稼ぐために足で歩いて金魚を売るのだから、楽しみは女にとどめておくといったところ。
 「誰が育てる金魚は質が良くて、別の人のは良くないということはなかったんですか」
「それがあるんだよ、やっぱり。熱心に育てている人のはいいんだ、大きいしきれいでね」
「そういう場合は、値段を高くするんですか?」
「そう。見ばのいいのは、高くても売れるんだ。囲われも者のねえさんなんか、いくら高くったって気にしないだろ、そういう時は商売商売、よ。水をしょっちゅうとっかえなよ、なんて言ってさ、売っちまうわけだ」。
 金魚屋さんというと、初夏から夏の風物詩のように思っていたけれど、やはり夏のものかと聞いてみると、水が恋しい時期を狙って売りに行くのだそうだ。ちゃんと心得ているのである。金魚鉢の水が涼しげに見える時期、うちの出窓にもひとつ欲しいという頃にあの「きんぎょ〜〜え、きんぎょ」が、やってくるのだ。
 「夏が過ぎて、水が恋しくなくなったら、何をするんですか」
「風呂屋の釜たきをしていたよ、あちこちにたく木をもらいに行ってリヤカーに積んでくるんだ」
「なんだか、いつも重いものをもって歩く仕事ですね」
「あはは、そういやそうだな」
「で、春までは釜たき」
「いや、冬になったら、焼き芋屋だよ、リヤカー引っ張って」
「へぇ! これまた、重い」
「釜たきやっている間に、冬んなんったらお願いしますと、薪のあてをつけるのよ」
「あ、さすがですね。巧いもんですね」
「夏は、水。冬は、火。実際は涼しくないし、あったかくないけど商売だから」
 こうして仕事をしてきて、金もたまった。もう、遠くまで歩くのもいいや、ということで、深川に土地を見つけて「ウグイスの糞」を売り始めた。いや、正確には小鳥屋である。けっしてペットショップではなく、小鳥屋。その商売の中で、ウグイスの糞も売れるとわかったから商っている。
 「売ってんだか、飼ってんだかわかんねぇけど、面白いやな」という一言を聞いて、私の取材をおしまいにした。町の、何でもないように見える人の人生も、聞けば、沢山の物語が隠れている。私はそういう人に会い、話を聞くのが無類に楽しい。




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