東西南僕 15 酒は友だち その3
2002年10月29日(火)
■以下の文は、かつて『オー・ド・ヴィー/徳間書店刊』という季刊誌に掲載した原文に、掲載行数の都合で割愛した文章を付け加えたものです。文中の店がまだあるかどうかの責任は、負えませんので、ご注意下さい。

酒は友だち・その三
『九・四に一升』

 梅雨明けの鹿児島で会えたらいいな思っていたのは『森伊蔵』という友だち。この焼酎を飲まないで焼酎を語ってはマズイという、雰囲気があるらしい。さて、森クンはどこに。

  森の兄弟に遭う

 西鹿児島駅の観光案内を含めて数カ所で、「鹿児島の焼酎を沢山揃えて置いてある飲み屋さんはありませんか」と聞いたけれど、無いと言う。各店で選んだ焼酎をせいぜい数種類置くのが当り前で、鹿児島の焼酎を揃えてあるなんていう店は無いものだ、と、こちらを諭す風でもある。「あれもこれも」というようなことをするのは、鹿児島県人の気質に合わない、だからそういうことはしないものだ、とまで解説してくれた人もいた。
 でも、そこに行ったら、鹿児島県の焼酎の主だったものが揃っているという店がないわけがない、と僕たちは結構依怙地に思った。書店でガイドブックを立ち読みして数軒目、ある雑誌で『焼酎天国』を発見した。鹿児島産の焼酎を「全部」揃えてある、と紹介している。僕は、ほらあるじゃないか、と声に出して言ってしまった。
 今回は、出発前の電話調査を全くせず、鹿児島で焼酎の勉強をさせてもらおう、という気持だった。だから、できれば多くの焼酎に会ってみたかった。

 天文館にある『焼酎天国』は、入ると右側に焼酎の瓶が一五〇本近くダーッと立てて並べてあって、基本的にはその焼酎が飲めるということになっているのだが、あくまで基本的にはであって「ないのもある」。普通は、一升瓶をキープしておき、その焼酎を飲みに来るスタイル、とのこと。もちろん一杯ずつも飲ませている(一杯一〇〇円だぜ!)。キープの焼酎は店内にズラリ立て掛けてあるので、焼酎の瓶の壁に囲まれて焼酎を飲むという風景である。にぎやかな壁だ。
 さっそく『森伊蔵』はありますか? と聞くと、ゆうべ飲んでしまいました、という返事で、空瓶を見せられた。
 『森伊蔵』はすごい人気でなかなか手に入らない、という話、そういう事情もあってゆうべは皆で飲んでしまったのだというのである。話は実にサッパリしていて、これはもうどうしようもない。要するに「あったら、よってたかって飲んでしまうほど旨い」ということになる。フム残念でもメゲない僕ら。
 入り口に並んでいる瓶を見て選ぶことにした。モトさんが「俺はこれだな」と選んだのが『錦江』という緑色のラベルの瓶であった。僕は『家の光』を選んだ。さて、『錦江』というのはどこの焼酎だとラベルを見ると、僕が手帳に控えてある住所に似た番地が書いてある。僕が控えておいたのは「森クン」の住所。空になった「森」の 瓶で確かめると、イヤハヤ全く同じ、『錦江』は『森』の兄弟なのだった。 旅の途中で『伊佐美』のラベルが美しいと感じて飲んだらみごと旨かったというモトさんの眼力が、遺憾なく発揮されたというところ。
 しかしですよ、焼酎を揃えてあることで売っている店の人が『森伊蔵』はゆうべ飲んでしまいましたが、同じ処で造っている『錦江』という焼酎があって、これも「抜群に、ウムを言わせず、断じておいしいですよ」と薦めるべきではないか? それをしなかったのは、それを知らないかららしい、この二つの焼酎の関係、違いを聞いたのだが、それも明確に答えてくれなかった。
 ちなみに、焼酎の瓶の色は、醸造会社に帰ってくる一升瓶を洗って次々に使うだけで、かなりバラバラであるそうな。『家の光』に関して言えば、透明瓶にとても良く映えるラベルである。この焼酎、名前から想像がつくかも知れないが、農協系からスタートしたそうだ。

  湯割りというカクテル

 「家の光をお願いします」と注文すると、コップに温かい飲み物が入って出てきた。もう「湯割り」になっていた。
 実は僕の頭の中では、どういう風にして飲みますか、という質問がまずあって、生のまま(ストレート)、ロック、湯割り(この場合は、比率をどうするか質問がある)のどれにするかこっちに決めさせてくれるはずだ、という前提があった。それなしで「五対五」が出てきてしまった。地元では「焼酎」と言って頼むとこういう風にして出てくるんですか、と聞くと、普通はそうだと言われた。
 モトさんは隣りで『錦江』のストレートを、言葉を失って飲んでいる。僕は『家の光』の湯割りの他に、ストレートで飲んでみたいと言って別にコップにもらった。『家の光』は、生のままで口に含むと、非常にまろやかで「甘い」という印象がある。アルコールの甘さではなく、芋から生まれた甘さだろうけれど、これがややキック不足。ところが、湯割りにするとその甘さがスッと消えてすばらしい飲み口の焼酎に変身する。こうして、二つの焼酎を生と湯割りで飲んでみると、僕らの意見では『錦江』は生で、『家の光』は湯割り(五対五)で飲むのが旨いということになった。
 度数二五度の焼酎を、湯と五対五に割るということは、多少アルコールが飛んでしまうということも考えると一二度ぐらいのぬる燗の酒になる。清酒より少し度数は低くなり、これで、地元のややこくのある食べ物をつまみながらゆっくり飲むと、適度な酔いを持続させながら一晩楽しむことができる上に、焼酎のひとつの特徴である「翌朝すっきり」も期待できるということになる。みごとなものだ。伝統の酒の在りようは、こういうものだ。
 しかも、湯割りすることでアルコールとともに、それぞれの焼酎が持っている独特の香りが立って、なおその個性が出てくる。鹿児島の「本格焼酎」というのは、そういう風にできているから、湯割りが基準になっているのではないか、と僕らは「酒精に浸った脳」で結論した。湯で割ることで、個性を面白く表現させる、これはどうしたってカクテルである。
 しかし、日頃「四〇度」を少し越えるケンタッキーやアイルランドを親しんでいる舌には、アルコール度二五度は「そのままで充分旨い」濃さである。そこで、基本は湯割りなのだろうけれど、濃い酒に口の合っている者には生のままでおいしい焼酎と、やはり湯で割ることで個性が出る焼酎があるのだろう、ということにまとめてしまった。それに、湯割りは、「いい香り」を立たせるけれど、もしかしたら昔の焼酎にはあったかもしれない「臭み」をアルコールとともに飛ばしてしまう方法だったのかもしれないと考えると、納得がいく。もちろんこれは、僕の勝手な考え。
 一杯単位で飲めるので、ラベルの面白いもの、名前が面白ものと飲んでいるうちに酩酊していった。
 地鶏の刺身(ムッチリとしていて、鳥の肉を噛み締めているという充足感がある)・蛸の刺身・腹皮(モトさんが泣きましたね)・地鶏の塩焼き・苦瓜・馬刺しを口に運んで、飲み続けた(きびなご、つけ揚げ、豚骨など鹿児島定石をなぜか外す二人組)。

 熱いチェーサー

 さて、生のままで焼酎を飲んでいると、旨い焼酎の持っている味わいの濃い「コク」が口の中に残り、ついには舌を覆い始めるのである。
 そこでモトさんは、コップに湯を注いで、これをチェーサーとして飲むという意表をつく行動に出た。モトさんが考えたのは、焼酎は生で飲み、厚手の大振りの茶碗に熱い湯を注 いでそれを啜りなが飲むという方法であった。厚手の茶碗はすぐに用意できないのでコップを使ったが、腹の中で湯割りにするというのである。これは、やってみると案外ヒットだった。だた、モトさんのように「猫舌」の人は、しょっちゅう「あちち」と言ったり、コップの湯を吹いて冷ましたりしているという次第で、どうも酒を飲む風情としては完成していない。でもこの飲み方は、研究の余地がある。誰が研究するかは別にして、ですけれどね。
 この店の名前の焼酎『焼酎天国』があるというので飲んでみた。浜田酒造『薩摩富士』の醸造元で造っているそうだ。『白波』に味が近く、湯割りの方が向いている、とモトさん。香りの強さ、味の濃さ、全体のバランスがとても良くてすっきりしているので、僕は生のままの方がいいという感じがした。
 かくして、二人の「酔っ払い」の前には、『錦江』『家の光』『焼酎天国』の一升瓶が立ち、それぞれの生の焼酎が入ったコップや湯割りのコップ、湯が入ったポット、板前さんがくれた「旨い水」の入ったコップ、湯のコップなどが並び、たしかに焼酎天国の様相を示し始めたのであった。

 屋台の殿堂入り、「立喰屋」

 天国を、フラリ、という感じで外に出た。 旨い焼酎は充分に体に滲みているのだけれど、もう少し飲みたい。この「もたれかかってこないところ」が焼酎の魅力のひとつでもあると思う。天国から少し歩いたと思うと、そこに屋台があった。これは並の屋台ではない。姿が、こよなくよろしい。吸い込まれるように入って、端に立った。
 モトさんは、スケッチのために屋台全体を見渡せる場所まで下がってい描いている。こういう場合、私は勝手に飲むことになっている。
 暖簾をくぐって内側に入ると、ここに寄るためだけに鹿児島に来てもいい、という感じ。長い時間が醸し出した身をゆだねてしまえる安心感が漂う、ここは天国の町内にある極楽、であった。
 焼酎は『小鶴』である。二杯頼むと燗器に焼酎を入れ、湯を足して少し暖めて出してくれた。なるほど、黙って頼めば、湯割りである。食べ物は、フライと焼きトン。きびなご・芋・豚・牡蠣など串揚げを食べて焼酎を啜るのである。暖簾は古くなっているけれどそれほど汚れてはいない。時代はしっかり染み込んでいても汚れはない、妙な言い方かもしれないけれど、格がある。清酒は何だったかボクは忘れてしまったけれど、モトさんの絵の中に記録されているかもしれない。
 きびなごのフライは、素材の塩味がちょうど良く、ハフハフいって前歯で串からはずし口の中で噛み締め、そこにぬるめの『小鶴』湯割りを注ぎ込むと、ただ笑うしかないのであった。ザクザクに切ったキャベツがあって、それは勝手に取ってソースをからめてバリバリと食えばいいのである。揚げる時油に浸った串をつまんだ指は、目の前にぶら下げてあるクリップに挟んだ手拭きにチョイと拭う、客が串を食えばどういう行動をとりたくなるか、先刻ご承知、ここで少し飲んでゆっくり歩いてホテルに帰り着いてもまだ夜がたくさん残っていた。
 ビジネスホテルの、朝食を食べる「レストラン」が夜の営業を終えようとしていた。枝豆と焼酎でいいですから、と、ここでまた飲み出した。それまでにも、そこでもいい焼酎を何種類か飲んだのだが、当然のように正確に名前を覚えていない。部屋に帰ってからウーロン茶をやたらと飲んだことだけは良く覚えている。こうして、九州で一升は飲んだ。

 桃太郎の鬼退治?

 鹿児島から高知へ行くのだが、鹿児島高知間の空路があるにもかかわらず「休航」なのである。そこで、鹿児島から松山へ空路移動して、松山から高知までバスで行くということになった。大都市と地方都市の間の交通の便は良くなるけれど、地方都市同士は移動する人の数が少なくて商売にならないのだろうかなり不便である。
 はりまや橋近くの、アーケード街の中には、土佐料理を売り物にしている大きな店がいくつもある。今さら、鰹のたたき、皿鉢料理を云々してもどうにもならない。二人旅は皿鉢料理には人数不足でもある。ぼくらの目的は酒である。都市の店が、すごい勢いで「若い人向き」に姿を変えていく、いい呑み屋はますますいる場所がなくなりつつあるというような気がしてくる。タテヨコナナメにいろいろ歩いてみて、土佐の居酒屋『一本釣り』という店に入った。店頭に、高知の酒が何種類かそろえてあるという看板があったのでこの店を選んだ。
 付き出しは「蕗と高野豆腐の炊き合わせ」で、これが旨くて別盛りにしてもらってたっぷり食べてしまった。貝柱の刺身、川海老の唐揚(四万十川の海老)、お新香(モトさんのみ)、太刀魚の刺身、蛸刺し「足一人前、頭一人前」、まぐろの皮酢(これはまぐろの胃袋壁の酢のもので、乙である)。この全部が程よくできている。
 東京あたりでも、太刀魚が珍しいというわけではないけれど、刺身にして食えるような状態では手に入らない。だから、太刀魚を刺身で食う発想がそもそも僕にはない。
 本日のおすすめを見た時から、食ってみないわけにはいかない、のであった。これが目の前に現れて、山葵をつけて醤油を少しつけて口に運んで見ると「無言」であった。そうか、太刀魚は刺身で食うとこんなに旨いのか! その感激が言葉にならなかった。
 「ん!」「ん!」というだけで全く筆舌に尽くそうという努力をしない二人であった。
 半透明で、身に力があるというのではなく、脂が適度に乗っていてしっとりしているのである。あっさりしているのにコクがある、と言うか、シャキシャキだとかコリコリという類とは違った「旨い」刺身だった。
 そういう肴を口に運びながら酒は、『志ら菊』『土陽政宗』『鬼辛』『桃太郎』『酔鯨』『瀧嵐』という順序で飲んだ。はい、乱暴です、わかっていて乱暴なのです。仕事で飲むというのは、時にこういう乱暴をしてしまうことになる。これを全て冷やで飲んだ。なにしろ一升瓶を冷蔵してあるのだから、そうして飲んだ方がいいと店では考えているのだろうという判断で、それをそのまま飲んだ。
 人気のある酒を聞くと、地元の人にも観光客にも『土佐鶴』『司牡丹』がよく飲まれると言う。『桂月』も好かれると店の若者は言っていた。もちろん皆置いてある。なるほど現地の人気はそうかと納得して、それをはずすヘソ曲がり様ご一行二名。
 特に問題にしたいのは『鬼辛』である。問題というのは「辛口で、重い」ことである。舌の上でも頭の中でも整理がつかない。整理がつかなくても現実旨ければいいじゃないかと、思うでしょ? それが一筋縄ではいかない酒なのだ。いくら飲んでも口慣れしてこなくて、それこそ鰹の叩きなど脂の乗った時期の魚をバクバク食べるのに向いた酒か、もしかしたら燗をするといい性格を表わす酒なのではないか、という話をして、次の酒に移ってしまった。
 純米『桃太郎』である。この酒は、モトさんが言うには「口の中にスポッと入って来て、吟醸香があって、少し甘くて、サッと消えていく酒」である。
 前の酒との対比のせいか僕には非常に印象が良かった。『鬼辛』の口直しと言っては悪いが、どうにも口の中に残ってしまう味を消すために次の酒を頼んだのだが、それがたまたま『桃太郎』なので、桃太郎の鬼退治、という洒落になってしまった。
 『酔鯨』と『瀧嵐』は、最近流行りの爽快な口当りの組に入る酒で、初めからこっちの酒を飲めば良かったとも思った。この酒の順番は、カウンターの上に貼ってある紙の「左から順に」という単純極まり無いもので、逆ならまた感じが違っていたかもしれない。
 僕らの飲み方が乱暴だと前に書いたけれど、もちろん普通はこういう酒の飲み方はしない。飲み始めて「お気に入り」が見つかれば、もしかしたらそのあとにもっと口に合うのが見つかるかもしれないにしても、そのピタッと来た酒でその夜はやってみるという飲み方なのである。だから高知での飲み方は、乱暴だったし、ピタッがなかなか来ないうちに酔うに充分な量の酒を飲んでしまったわけだ。
 皿鉢料理を食べ大量の酒を飲み続けるという伝統からすると、やや優しい口当りの飲みやすい酒が高知の酒ということになるような気がしてならない。僕とモトさんは、何も癖が強ければいいというわけではないけれど、もう少しだけ「スキッ、キッ」と立っている酒、「スルスル入ってしまう」酒を探しているような気がするのだ。
 そうは言いながら、四国で一升は飲んだ。 これが「九・四に一升」の顛末。

【後日談】
 この取材のあとにも、『焼酎天国』に行くことがあった。最近も行ったが、焼酎の入れ物が一升瓶から四合瓶(よんごうびん、ではなく、しごうびんと読んで欲しい)に移りつつあって、壁にずらり並んだ一升瓶という風景はなくなってしまった。
 『錦江』と『森伊蔵』の関係について。『錦江』という焼酎を『森伊蔵』に変えたら売れ出した、という人が多ったがそれは違う。当時、『錦江』は『錦江』として販売されていて、『森伊蔵』はそれとは別に「森伊蔵氏の永年の焼酎造りの結晶、記念碑的なものとして、自作の有機栽培の芋だけをつかって造り始めた焼酎だそうだ」…と聞かされた。
 それも少し違っていた。
 実は、最近直接『森伊蔵』の蔵元に取材に行くことができたので、詳しく聞いてきた。『森伊蔵』は、伊蔵さんの息子さんである森覚志さんが造りだした焼酎で、それまでの焼酎と全く違う焼酎を造ろうと決意して醸し、初めから予約制で販売し始めたもの。味わいと評判については今さら私がここに書く必要もないと思う。
 森伊蔵について、詳しくは『世界の名酒事典・2003年版』に載る私の取材文をお読み下さい。
 本格焼酎も、個性か、広告の力か、伝説か、付加価値か、なにか売れる要素がないと淘汰されるのだろう。いつの間にか消えたものもあるような気がする。四合瓶入りの個性的な焼酎が人気を獲得する一方、昔ながらの造り方で「じっくり旨い」焼酎も安定した人気があるように思う。




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