そのごのこごと/280
2007年08月10日(金)
 そのごのこごと/280
 「代理店の若者」

 大急ぎの仕事の依頼があって、先方をよく知っていることもあり、私にできそうだと思ったので引き受けた。先方が「若い者をやるので、話を聞いてくれ」という、それも了解した。
 さて、若い女性がきた。電話で話したとき「させていただいでよろしいでしょうか」というような言葉遣いだったので、困ったなと思っていた。私は「お電話いただいてよろしいでしょうか」というような物言いが大嫌いである。
 さて、面と向かって話し始めると、どうも内容がピンとこない。
 健康食品に関した広告の文章を書くという件だった。あれこれと質問していて、本人が仕事の内容を明確に把握していないことがわかってきた。「これ頼んで、書いてもらって」という程度だったのだろう。急遽言われたというが、他人に仕事を頼みに来るならどういう仕事かぐらいは把握し、「こうして欲しい」といえる程度に整理してから来い、と思ってだんだん腹が立った。雑誌に数頁分の原稿を書くのだが、その内容の展開を描いたラフスケッチと、そのために使う資料を持ってきていた。
 別の人が考えたというが、内容の展開に無理があることを指摘した。話が飛躍しすぎて、こうだからこうです、という説明が付かない箇所がある。また「これが資料です」と渡して寄こしたのが、インターネットで検索したサイトのコピーだった。「これを使ってください」といわれたが「使えません、こういうのを資料とはいいません」と言ってやった。
 同業他社のサイトや、キーワードで検索した「少し怪しい健康食品」の商品販売サイトのプリントアウトを、資料として使って「数値」が正しくなかったり、科学的・栄養学的・医学的に正しい内容でなかったりしたら、どうしますか? 昔から健康にいいとされてきました、という曖昧なことを「根拠」にして、注文の文章を書いていいものではないと思うんだけれど、ともいった。
 食べやすくするためには少し手間が必要だけれど、玄米は体にいい、という話をしてくれというブロックがあったが、本人は「玄米を精米すると白米になる」ことを知らなかったので、何度も話がおかしくなった。これ、ひどいでしょう。玄米を雑穀という。雑穀は、主食にならなかった穀類であって、米である玄米が雑穀なわけがない。担当するものが内容に届いていないので呆れてしまった。
 話の展開をもう一度検討して、ギクシャクしないようにして欲しい。例えば「こんな流れではどうか」と私からの提案もした。また、引用したり、参考にしたりしても間違いのない、しっかりした確かな文献を資料として探して欲しい。私が書く文章の最後に、その参考文献の一覧を載せるから、と一旦帰した。

 私自身「健康食品」というもの自体に懐疑的なので、それの広告、そのお奨めとなると特に注意を払うようにしてきた。この世に、それを食べれば健康になる、という食品は存在しないというのが私の持論で、体を維持するために多くの食品をバランスよく食べていれば、悪くはないのであって、ことさら健康のために食べなければいけない食品などないはず。
 だから、何か健康食品を奨める場合、明確な根拠が欲しい。しばしばブルーベリーが目にいいというけれど、ブルーベリーを食べない人と食べ続けている人の「統計学的に有効な数の試験は行われたのか。医学的に、目にいいと証明されているのか。明らかな数値はでているのか」私は知らない。日本人は長い間ブルーベリーなど食べないで生きてきたけれど、ブルーベリーを常食にして来た人々と視力ではっきりした差が出ているのか、とも思う。
 私が欲しいといったのは、そういうことの確かな資料のことだ。

 二度目に来たときは、サイトのプリントアウトは止めて、医学博士が書いた資料のコピーで、その中の文章は引用していいといわれたという。それはいいのだが、さて数十頁分のコピーを持ってきて、この中の文章を参考に、という。
 私だったら、一度読んで、今度の仕事には「ここと、ここが役に立つと思います」と使いやすくして渡す。仕事に必要のない外国での試験の数値とグラフが延々続くページなどはコピーして持ってきたりはしない。そういう気働きが「皆無」なのが信じがたい。
 とにかくその資料を駆使し、私の持っている食品関連の資料本も利用して書き上げて渡した。急ぎという条件だったので、質と速さの両方を意識していた。

 1週間ほどして、同じ会社の男性から連絡があって、担当が変わったという。先の女性は、前々からの予定で会社を辞めたのだそうだ。私のせいでもあるまい。さて、その交代した男性だが、クライアントに見せたら、部分的に書き換えて欲しいという箇所があるので、書いてもらえませんかという。その文章は病院の院長が書いたもので、そのまま引用して欲しいという。「それならそのままコンピュータに打ち込めばいいだけじゃないか」と思って、少し優しくそういうと、それができる者がいないと馬鹿なことを言う。
 「代理」店というのは、誰の何をどう代理するのか? 
 馬鹿馬鹿しくて情けなかったが、ハイハイと聞いて、文章を打ち込んで渡した。これ、非常に愚かしい仕事ですよ。「この文章を、ここに入れてください」というのがあるんだから、コンピュータが使えるなら打ち込んでしまえばいいじゃないか。大した量ではないのだし。
 そんな連中が「代理店の社員です」と、背広だけはいいのを着てそこらを闊歩しているから腹が立つ。

 それから間もなく、直接仕事をしている代理店に打ち合わせにいったら、新しく女性がスタッフに加わっていて紹介された。
 取りかかる仕事に関した予定表はコンピュータで見事に作ってあり、きれいに色分けされていたが、誤字脱字が沢山あった。例えば「欄」であるべきところに「蘭」と書いていた。
 そして必要な写真に関しては「私の方で確認して、マークしてあります」といったので、それは助かると思った。仕事で必要になる写真を先方が持っているかどうかの確認を済ましてくれたというわけだ。
 建物の写真があるか、建物を中心にした周囲の風景を撮影した写真はあるか、それも冬景色でなければいけないのだが、先方に写真があると「確認して」取り寄せてくれるものと思った。確認するというのは、この仕事でこういう写真が必要なのですがありますか、借りられますか、もしよかったら送っていただきたい、データ化しているのであればメールで送信して欲しい、またこっちから受け取りに行く方がよければ行きます、というところまで確認してくれているものと思ったのだ。
 そうではなかった。日がたっても写真が来たという話がないので、彼女に確認してみると「先方に写真があるかないか確認しただけで」送ってもらうの、受け取るのは全部こっちでやれという。それも「確認」ではありますけれどね。
 さて、私は自社の若い人と手分けして先方に連絡しましたよ。そうすると「写真はある」けれど、どういう写真か聞かれなかったし、冬景色だの周辺の風景がわかる写真だのという話は聞いていないというわけだ。
 「建物の写真はありますか?」「あります」「わかりました」ということだったか。
 電話で話しても長くなるので、こういう内容なので「こんな写真が必要で、もしお持ちならぜひお借りしたい」というFAXを自分たちで12箇所に送信した。記念行事の写真アルバムはあるけれど、建物がわかるような写真とは言われなかったので、ただ写真はあると答えたと、やりとりを教えてくれたところもある。馬鹿の使い、である。結局、何箇所かは撮影に出かけることになった。
 初めに「確認」の意味がわかっていれば、早めに手を打つことができたものを、ギリギリになってきてから、ただ言葉のやりとりだけだったことがわかって大童になった。私たちも、どういう「確認」か確認しなかったのがいけないのだろう。

 代理店の若い連中というのは、こんなものですかね。動かない、考えない、こうすれば実際に仕事をする人間がやりやすいという気働きがない。そういう風には頭が働かないのだと認識した。改めてしみじみ認識した、というところ。
 誰の代理で仕事をしているのか。仕事をしないクライアントの担当の代理をして「同じように仕事をしないのか」。ため息。

 ※そのごのこごと/280
 というのは、週刊誌・サンデー毎日に「こごと百科」というコラムを279回連載したところで最終回になったが、私自身はまだまだ「こごと」を続けたいので、ここで書き続けようということで、280としたのである。
 




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