(メールマガジン"ZEKT"寄稿コラム バックナンバー)

vol.16:発想の友
2005年05月29日(日)配信分
 いや、世知辛い世の中になってきたもんで。何がって、禁煙世論の盛りあがりですよ。あたしは、もう三十年来(トシと計算が合わないのはご容赦を)のチェーンスモーカーなんではありますが、喫煙マナーに関しては十分心掛けて来たつもりでおりまして、腰ブラの携帯灰皿を必ず持ち歩くようになってからも、もはや十数年は経過しております。また喫っちゃイカンという場所では決して喫いません。自宅でも、煙をくゆらせるのは物置と化している小部屋のみ。その部屋まで一日何十回も通って、ひと息ついているのであります。

 「健康に悪いよ」「ガンになるよ」などと言われましても、そんなこたあ百も承知の介。医療が高度化されてきた昨今では、事件や事故を無事やり過ごしてきた人間も、煙草を喫わない人間も、いつかどこかで癌になって終わるんですよ。それが早いか遅いかだけ。老衰死なんてお気楽な最後はもはやありえませんて。

 それにしても、あたしにとって喫煙は「発想の友」以外の何ものでもありません。腐ってもアイデアをナリワイとしている稼業ですから、これを取り上げられた日にはオマンマ喰って行けなくなるんです。禁煙オフィスでのブレストでは全く思い浮かばないアイデアが、ちょい席ハズシで一服つけた途端、如実にムクムクと湧いてくるのであります。コレ本当。なもんでまさに「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉、あたしにはいっそ死ねと・・・」と言うべきアイテムなのであります。

 最近の禁煙世論の流れはもはや人権侵害である!などと、激怒の愛煙家諸氏もいらっしゃいますが、あたしはそこまでは言いません。ただ、ややヒステリックに過ぎる気はします。たとえば副流煙による健康侵害がとりたててかまびすしく言われます。あたしはクルマを運転しない喫煙者ですが、自動車の出す排気ガスの吸入と、喫煙による受動喫煙では、どちらが健康や環境に及ぼす影響が大きいと思います?タバコを吸わないがクルマに乗る人よりゃ、よほど健康や地球環境に配慮した生活をしていると自負するんですが。

 煙草が「健康を害するこの世に不要なモノ」である、という考えには反対はしません。しかし、行政の財源のため、農家の保護のため、タバコ企業の利益のためにと、カッコ良さ気な広告に煽られ、ン十年毎日買わされ続けてきた我々の世代に、急に禁止だなどと言われてもそれは困る。ただ、ここまで健康への悪影響が明確になったからには、このうえ新たな喫煙者を世に出す必要はないと思います。

 そこで大胆な提案。『平成以降に生まれた人の喫煙が発覚した場合、有無を言わせず磔のうえ獄門。昭和以前生まれは全然お咎め無し』の御触書。これでいかがでしょう。少子化時代の貴重な若者の健康を守り、高齢化社会でなにかと金の掛かるジジババは進んで自らの健康を害しさっさと数を減らしていただく、というこの一石二鳥のアイデア。うん、これでいずれ喫煙者はゼロになり、関連行政・企業も緩やかに財源の移行ができる。日本の将来はキット明るくなるはずだ。スバラシイ!

 でもこれ思いつくのに5本喫いましたわ。