(メールマガジン"ZEKT"寄稿コラム バックナンバー)

vol.17:報酬のギモン
2005年08月28日(日)配信分
 さて、またもや重箱の隅スケールのセコいぼやきなのでございます。しかし、フリーランサーにとっては大変重要なことでありまして、「報酬」のことなんであります。あたしなんざは、もう日々アップアップの自転車操業ですから、仕事の少ない折は、なにはともあれ仕事に飛びつき、はたまた立て込んだ折は、納品に追いまくられで、適正なギャラについてゆっくり考察する機会などなかなかありませんのですが、皆さんはいかがでしょうか。

 あたしは計数関係をからきし苦手としてますもんで、おおむね弱気含みの請求になり、またクライアントの言い値をまんま呑んでしまうことも多いのですが、クリエイティブの手法や手順が大きく様変わりしてきたのに、グラフィックデザインの報酬についてのハッキリした基準が示されないばかりか、旧制作手法時の慣例がそのままなんとなく引き継がれているようで、どうも解せないのであります。

 アートディレクション料が絡みますと、さまざまなケースが考えられてややこしくなりますので、ここではシンプルな紙媒体のフィニッシュ料を一例にとりますが、パソコンによるDTP制作に移行した今日なのに、いまだ判型や色数によってデザイン単価が決められる傾向が強いのには、ちょっと納得が行かないんですな。
 
 ケント紙にカラス口でトンボを引いて写植を貼っていた頃は、判型がデカいと、確かにそれだけ手間も費用もかかりましたし、トレペをかけての色指定も、色数が多いほどタイヘンでした。ところが今や、デカかろうが小さかろうが、ディスプレイ上での拡大縮小で済んでしまうし、色にしたって、4色より2色指定の方がなにかと厄介なくらいです。評価されるべきは、やはり内容でしょう。

 写真画像まで入稿用データをデザイナーが作成してしまう現在、判型や色数に原価が大きく左右されるのは印刷業者であって、原稿を作成するデザイナーにとっては、たとえ小さなものでも、内容が複雑であったり図版や写真点数の多いものには、より制作時間がかかりますし、それなりにテクニックも要します。このあたりの難度を考慮せずに、印刷・製本も含めたトータルな予算からデザイン料を割りだされたのではたまったもんじゃありません(そのくせ高額な媒体料などは別にして計算されることが多いし)。

 某老舗GD協会のサイトにある、D料金の「目安」表を見ても、10年前の基準のまま提示されており、現状に合わせて改善しようという姿勢も見られません。グラフィックデザインの価値は、近年の急速な情報技術の変化のエアポケットに陥り、流されるままに甘んじ続けていくということなんでしょうかね。

 もともと、明確な原価や評価が出しにくいデザインというお仕事ではありますが、基本的な部分から、適正に仕事の評価がなされないことには、ちまたに溢れる表現物の「質」はどんどん下がり続け、全体として「文化」の退廃に直結してゆくのではないかと、大袈裟に考えてしまうのでありますよ。

 ま、セレブなクリエイター殿には、どーでも良いハナシかもしれませんがねえ。