(メールマガジン"ZEKT"寄稿コラム バックナンバー)

vol.19(最終回):トリノ五輪雑感
2006年02月26日(日)配信分
 スポーツ観戦が大好きなあたしでございますが、やはりオリンピックには独特の雰囲気がありますな。非常に華やかで、また、呆気ない。4年置きですから、約千五百日ですか。選手の方は大変な鍛練に堪え選考を勝ち抜いて、その場に辿り着くわけなんで、部屋で温々とテレビ観戦しているあたしなんかにあれこれ言われちゃ堪らんと思いますが、でも呆気ない。中継も国際映像ですから、距離競技なんかは前の方にいないことにはテレビに映りません。終了後のテロップの下の方に順位が出て、はい終わり。ご苦労様でございます。

 日本のメディアはいつもメダルのことばかりに一喜一憂するのですが、メダルは各選手が一生懸命練習してきた結果であって、国別メダル数なんか争ってはしゃいでも意味がない。そりゃ数多いに越したことはありませんが、日本のメディアは身贔屓な鯖を読みすぎでしょう。だいたいがですよ、かりに日本の国技である相撲が五輪種目になったとしましてもですね、金銀モンゴル銅ブルガリア、てなところでしょう、今日日。身のほどを知らねばなりません。

 商売柄、オリンピックとなりますとやはりサインデザインやシンボルデザインを注視してしまう訳ですが、今回はイタリア。さすがにソツ無く仕上げてありましたが、なんとなく安普請に感じたのはあたしだけでしょうか。ベーシックなデザインは美しいけれど、設置や管理が「適当」なんでしょうな。ま、お国柄でしょうか。

 冬のオリンピックの愉しみのひとつが、各国のウェアーデザインであります。夏の場合はランニングに短パンなどが多いので、デザインスペースがあまりありませんが、冬は全身覆わないと寒いわけですから、長袖長タイツになり表現の幅が広くなります。でもこの世界も少数の勝ち組企業ばかりがのさばっているようでして、ウェアーの元タイプはほぼ同じ。個性が出るほど種類が無かったのは残念です。

 となると、表面のカラーリングでの差別化ということになるんですが、日本のは毎回、どうも中途半端な感じがします。寄って見れば結構凝った意匠になっているハイテクものらしいですが、競技中は遠目に見るわけですから、そんな細いところまで見えません。遠目に見て一目で日本選手と分かるとか、少しでも強そうに見えるものを選ぶべきなのに、それが表現できていない。

 そこいくと、アメリカはさすが、と思いました。スノボ競技などの白地にピンストライプ、スピードスケートやアルペンの鉄紺のウェアーはシンプルなうえ強そうで格好良い。日本のスピードスケートのウェアーなど凝り過ぎ。服に着せられているようで、まるで強さを感じません。遠慮気味に和風模様なんか入れてないで、この際思いきって浪曲師の着物のように、全身派手な日本伝統図柄で覆うくらいでも良いと思うんですが…。唐獅子牡丹とか唐草模様とか外国人も喜びまっせ、多分。

 でも、あたしも悲観ばかりしているわけではありません。東京大会以降、永らく見続けてまいりましたが、我が国の女性選手のスタイル、ようやく欧米選手のプロポーションに、じんわりと追いついて来たではありませんか!ああ嬉しや。全選手とまでは申しませんが、日本のクロカンのお姉さんがたのカモシカのようなすらりと長い脚。フィギュアのお嬢さんがたの足腰のくびれしなり。かの大会の某さん某さん等を思い出すに連れ、おっさんは感涙にむせいだのであります。あ、編集長、これってセクハラ原稿なんでしょうか?